南井三鷹の文藝✖︎上等

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情報✖︎上等

このブログができた経緯と南井三鷹がどんな人かをお知らせします

僕はAmazonというサイトで主にブックレビューを書いてきました。
いいものはいい、ダメなものはダメと、自分の心に素直に商品の評価をしてきたのですが、
ダメな本であることを立証された著者やその仲間から嫌がらせを受けることも少なからずありました。
レビューの数も増えてアーカイブ用に自分のブログを立ち上げたりしたのですが、批判された著者(研究者)の中には逆恨みをする人物がいました。
彼らはネット上で僕の悪口を書く一方で、僕の批判言論を平気で弾圧しました。
結局、彼らのAmazonへの中傷行為によって僕のレビューは一瞬にして全部削除されてしまいました。
(一応トップ1000レビュアーとかいうやつだったのに、ずいぶんな扱いだと思いました)


それから再スタートを切るかたちでこのブログを立ち上げました。
反響があった思想と文学のジャンルを中心として、書評やその枠をこえた批評、論考などを載せています。
せっかく商業的枠組みから逸脱したので、タコツボ的なジャンルの枠を超えた「横断的視点」だけでなく、消費的ポストモダンが捨て去った「歴史的視点」を意識して記事を書いていくことを心がけています。


僕は80年代以降のポストモダンは、思想的にも文学的にも「失われた30年」だと思っています。
だから「ポストモダン嫌い」とレッテルを貼られたりしましたが、正しくは、国力低下という現実から眼を逸らして、内輪的な自己肯定やナルシシズムを高める現代日本人のあり方を問題視しています。
また、知の商業主義への接近には否定的な立場ですので、このブログで1円すら収入を得ようとは思っていません。


【付録】南井三鷹用語集

〈俗流フランス現代思想〉
バルト、デリダ、ラカン、ドゥルーズ=ガタリなどのフランス現代思想の日本的受容。フランス思想を援用して、本来は自己批判であるべき思想を、西洋近代だけを批判して日本の帝国主義を免罪する自己肯定=ナルシシズムへとすり替える。ポストモダン思想と呼ばれているものの正体。そこに思想的内実はなく、サブカルや商業と結びついて自己享楽を蔓延させる幼児的思想。

〈内実に対するニヒリズム〉
真実や事態の本質を尊重せずに、便宜的な都合を優先して事足れりとするあり方のこと。反論が表面化しなければ嘘も真実となる、という日本型全体主義の精神。

〈対面的でフェアな関係からの逃避〉
同等の条件で対面的にコミュニケーションをするのを嫌い、あくまでも自らが相手より一段優位な立場に立つことにこだわる態度のこと。「メタに立つ」という表現も同義。コミュニケーションにおいては相手が知るべき情報を隠蔽するようになる。夏目漱石『こころ』で先生がKを自殺に追いやった手口。簡単に言えば封建制における家長のあり方。

〈流通の全体主義〉
実質的な価値に乏しくても、広く流通してしまえば権威として通用するため、実質を無視してとにかく流通を拡大することばかりに執心する経済衰退期のイデオロギーのこと。

〈日本安楽主義〉
不快をもよおす原因となるものを視界から一掃しようとする、世界の安楽化(ディズニーランド的な幼児化)を強要するイデオロギーのこと。

〈遠隔的同一視〉
一定距離から離れて見ることで、微細な差異もしくは内的な差異を含む異なるものの輪郭をぼやかして、同一のものと認知させる方法のこと。

〈領域拡大ゲーム〉
外部にあるものを自らのシステム内に取り込んで、自己の領域を拡大していこうとする、資本主義システムと相同的な運動のこと。

〈非日常の無限ループ〉
退屈な日常生活を忘れられるような心の躍るイベントや、日常で傷ついた心の「癒し」となる甘美な物語などの「非日常」を繰り返すことで、貧しい現実を豊かなファンタジーへと置き換えようとする終わりなき試みのこと。

〈潜在性の普遍化操作〉
十分に意味化できない未熟な潜在状態を、各人が好き勝手に解釈できるが故に普遍的なものと錯誤させるイデオロギーのこと。どの男の所有物になっていない処女を、全ての男の聖母と崇めるロリコン=マザコン的発想もこれにあたる。潜在性や可能性にやたら価値を持たせる現代思想も、この操作に依拠している。このイデオロギー的操作は、共感を個々の内面に閉じ込めるため、確定的なコミュニケーションから逃避させる効果を持つ。

〈強者依存イデオロギー〉
軍事的・政治的・経済的・文化的な「強者」に率先して従うことを「倫理」へとすり替えるイデオロギーのこと。「強者」に媚びたり、取り入ったり、その影響下で好き勝手ふるまう姿勢を育てる。