南井三鷹の文藝✖︎上等

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現代アートへのレクイエム【その1】

「現代」ということの意味

「現代アート」や「現代思想」、「現代音楽」や「現代詩」など、「現代」を冠したものはいくつもあるのですが、
この「現代」というものはいったい何なのでしょうか。
「現代」という接頭辞は英語ではcontemporaryに当たると思いますが、contemporaryには「同時代の」という意味があります。
伝統的な古臭さにとらわれずに、同時代性に応える「新しさ」を備えたものこそが「現代〇〇」ということになるのでしょうが、
僕にはこれら「現代」を冠する文化が軒並み限界にぶつかっているように感じられて仕方がありません。
今回は現代アートを例にして考えてみたいと思っています。


何であれ、「ジャンル」というものは、伝統や歴史性を踏まえて発展していきます。
伝統や歴史性の理解を前提とした上での発展であるため、ある種の狭量さや排他性が存在するものです。
そこでは目的意識の集中によって強力な切磋琢磨がもたらされ、非常に高度なものが出現してくるメリットがある一方で、
伝統や歴史性に縛られると、狭い中でそのジャンルが煮詰まってしまうデメリットも目立つようになります。
また、伝統を前提としてしまうと、歴史性において利のある地域がどうしても優位に立ってしまいがちです。
さらに、その文化的な歴史性が国家権力に利用される結果になってしまうこともあったのです。
このような歴史や伝統、その上に成立した近代的な国家権力から自由であることを求めて「現代〇〇」というものが登場したように思います。


注意したいのは、歴史や伝統、近代的な国家権力からの自由を志向する場合、
たいていは資本主義と結託することになるということです。
「現代」という同時代的なものを重視する価値観において、資本主義経済の影響は無視できないものです。
芸術というと、経済から自立した領域であるかのように思われがちですが、「現代」と冠するもので資本主義イデオロギーに反しているものを見つけるのは難しいのではないかと疑います。


その意味で、資本主義が煮詰まってしまった現在、「現代〇〇」が例外なく危機に陥っているのは当然に思えます。
〈フランス現代思想〉に代表される現代思想が、口では資本主義批判を語りながら、
結局は消費資本主義を推し進めることに利用されたことは、もうすでに僕が何度も書いていることです。
現代アートなど他の「現代〇〇」にも同じような矛盾があると思います。
難しいままに言ってしまうと、資本主義とは矛盾を逆説として成立させてしまうシステムだからなのです。
私たちは矛盾を矛盾と感じないシステムに慣らされてしまっているのです。



『日本語と西洋語』(講談社学術文庫) 金谷 武洋 著

日本語に主語はない

本書は講談社メチエの『英語にも主語はなかった』(2004年)を原本として、加筆修正された文庫版です。
著者の金谷はカナダに移住して、モントリオール大学東アジア研究所の日本語学科で日本語教師を長年務めていました。
どうやら日本語学のアカデミズムの外部にいる人のようです。


金谷の論の骨子は「日本語には主語がない」ということにあります。
権威化した日本語文法では主語は存在することになっているので、金谷はそれに真っ向から反対しているわけですが、
ほとんど同調する研究者がいないらしく、彼に先行して「主語廃止論」を主張していた三上章という存在がしばしば取り上げられています。
三上は高校教師(どうも数学教師だったらしい)の立場で『現代語法序説』(1953年)を書いたのですが、
主流に反対する立場の上にアカデミズム外部の人間であったため、「黙殺」されたと金谷は述べています。
国語学界の排他的な「村の論理(差別体制)」がそこに見えると言うのです。


つまり国語学界にとって、理論の内容はどうでもいいのだ。学界のウチにいる人間の考察か、ソトにいる人間の考察か、が最大の問題となるのである。

同様のことは金谷自身にも当てはまるようで、金谷が著者で批判した文法学者たちからの反応はなく、これも黙殺という状態です。
このあたりのことは本書の第五章で書かれているのですが、
僕にも身に覚えがあることなので、金谷が「日本という風土がいかに論争に向いていないか」と言いたくなる心境がよく理解できます。
どうにも日本の研究者は自説の正しさの証明より、自らの社会的地位を保持する意欲の方が強いようです。
たとえ自説が批判されたとしても、相手の社会的地位が自分より低い場合は、
同じ土俵で批判に応じて下位の者に論駁されるリスクを取るよりは、黙殺してしまう方が相手からダメージを負わされる心配がない、と彼らは考えるのです。
都合が悪いから論争に応じないで逃げた、と考える人が多ければこういう態度は取れないはずなのですが、
論理より権威が優越する社会ではそういうことはなかなか起こりません。
日本が論争に向いていないのは、権威主義が強く機能していることと無関係ではありません。


金谷の主張がおもしろいのは、日本語に主語がないという主張が、日本語特殊論ではなく、それへの反論だということです。
これまで、日本語は主語のない特別な言語だ、とか平気で書いてある文章を何度か見たことがあるので、
金谷もその類かと思っていたのですが、立ち読みをしてみると、まったくの誤解だとわかったので、今回彼の本を読んでみることにしました。
むしろ、金谷は現代英語がヨーロッパの主要な言語に対しても「例外的」な位置にあるとしています。
(現代英語としているのは、古英語に主語がないことを金谷が本書で論証しているからです)
金谷が批判する現在の日本語文法は、現代英語を世界標準と思い込んで、それを参考にして作られたものなのです。




『冬の旅、夏の夢』(朔出版)高山 れおな 著 with 『彷徨』(ふらんす堂)中原 道夫 著

アイロニーの退屈さ

高山れおな『冬の旅、夏の夢』は第4句集にあたります。
第3句集『俳諧曾我』(2012年)が部数限定での販売だったので、一般読者向けの句集としては13年ぶりの新刊です。
高山は2018年7月から朝日新聞の俳句投稿コーナーである「朝日俳壇」の新選者となったので、
新しい読者への「顔見せ興業」の意味を持った句集だと考えてよいと思います。
実際、書店ではこの句集の表紙に「朝日俳壇」新選者であることを示すシールがわざわざ貼られていました。
高山は「─俳句空間─豈weekly」の創刊のことばとなる「俳句など誰も読んではいない」という文章でこう書いていました。


そもそも結社誌なる存在にしてからが、主宰者を主体にした刊行物という見せかけのもと、多数の小口の出資者が共同でひとりの読み手を雇っていると考えた方が実態に近いだろう。意地悪く言えば、句会もまた、俳句作品に対する贋の需要を最小限の犠牲で発生させる装置なのだ。

なるほど、結社の主宰は小口の出資者に雇われた読み手でしかないと貶めているわけですが、
しかしその高山も、今となっては大口の新聞社に読み手として雇われているわけです。
その上、句集を売るのに新聞俳壇の選者という肩書きを用いられてしまうお瑣末さ。
マスコミの力に抱っこされている高山が、自分で結社を運営する人よりどうして偉いのか僕にはよくわからないのですが、
俳句界というのは結社の悪口を言えば一定の支持が得られるところなのでしょうか。
(放っておいても結社はどんどん廃れていく運命にありますが、残念ながら新聞や大手マスメディアも同じ運命をたどります)


『冬の旅、夏の夢』は高踏派を気取っていた高山が、新聞俳壇を楽しむライトな読者を想定して構成したことが伝わる句集です。
その意味では本句集は読者に自分をどう見せるかを非常に強く意識した句集です。
別の言い方をすれば、新聞俳壇の選者として親しみを持たれると同時に、
伝統から逃れた自分の立ち位置をわかりやすく示す、「政治的」な意図を持った句集とも言えます。
このような面を無視して『冬の旅、夏の夢』について語ることは茶番ですし、この句集の本質にも至りつけないと言っておきます。


僕は以前に高山の第2句集『荒東雑詩』(2005年)にレビューを書いているのですが、
本句集を読んで、当時高山の句に抱いた印象を全く変えるところがないことに驚きました。
正直に言えば、当時僕は高山当人に直接不愉快な思いをさせられたことがあって、
批評を書く人間のプライドとしては評価に私情をはさむつもりはないにしても、
どこか必要以上に厳しい見方をしたのではないか、という思いがあったのです。
しかし、落ち着いて見直してみると、口調は多少厳しくても、内容に関してはしっかり読んでいたのではないかと感じています。


おさらいをしておけば、僕は高山について、
「彼は参照すべきプレテクスト(元ネタ)がないと句が作れないのである」と断じていました。
「句が作れない」というのは乱暴な言い方をしたな、と感じてしまいますが、
しかし、言い方の問題を抜きにすれば、高山がプレテクストに依存した句作を好むという指摘は本質的だったと思います。
そのレビューでは高山のプレテクストに依存したアイロニカルな俳句が、読者ではなく作者自身に奉仕するためにある、と指摘されています。
このあたりの印象は『冬の旅、夏の夢』を読んでも改める必要は感じません。
高山がプレテクスト依存にこだわる理由を僕はこう書いていました。


高山は句を無防備に提出して、
読者と同等の位置に立つのが嫌なのだ。
それで、プレテクストを参照しないといけない句を作りたがる。

パロディによって自らを傍観的(メタ的)な位置に置き、読者から自分自身を隠すことを優先する姿勢は、今回の句集でも変わりません。
もはや俳句を作ること以上に「自分隠し」をすることが目的なのではないか、と疑いたくなるくらいです。
元ネタに依存して俳句を作るしか能がない関悦史と高山れおなの絆はここにあると言っても過言ではありません。
アイロニーには効用もあるとは思いますが、彼らのように安全な位置(メタ視点)を確保するために用いるのは正しい使い方ではありません。
(ちなみに関悦史は僕の批判や抗議に一度としてまともに返答もせず逃げ続けています。
なぜか代わりに高山れおなが出てきたり、匿名の変な奴が嫌がらせをしてきたことはありましたが)



「権威」という病

ネット民に支持を受けた人がネット批判をはじめた

最近インターネットで支持されてきた人がインターネットを批判する(もしくは悲観する)ことを目にするようになってきました。
わかりやすい例が「ゲンロン」を運営していた東浩紀です。
僕は同世代だったので初期のころから彼の活躍を知っているのですが、
1998年に『存在論的、郵便的』で注目を集めたあと、
網状言論などと言って出版よりネットでの言論活動を重視して、インターネット世代の代表としてオタクの肯定に勤しんでいました。
インターネット嫌いの僕は彼が世代の代表と思われることが本当に嫌でしたし、
そういう世の中から距離をとりたくて作品発表も断念していました。
しかし、最近の東はどうやらインターネットの未来を悲観するようになっているようです。
BLOGOSに掲載されている東のインタビューでは、ネットの古き良き時代を振り返る哀愁のオジさんという雰囲気で、このように述べています。


ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている。フェイクニュースとかポストトゥルースといわれていた現象で、これもいまはみなわかっていることだと思います。

このインタビューで東が「問題は「リアルタイム」が重視されすぎていることです」とか言うようになっているのが面白かったです。
(2003年に僕は、webを礼賛する東がデリダのリアルタイム批判を理解していないと批判していたのですけどね)
東はネットに夢を見たあとに「転向」して雑誌の形態へと戻り、「ゲンロン」を出版するようになりました。
ネットでしか見れないコンテンツで活動していた人が、あとになって出版に戻るのも考えが浅かったことの証明でしかありませんし、
「誤配」とか「切断の自由」とか言ってた人が、フェイクニュースの批判をするのも、
自分にその資格があるのか、しっかりとした反省をしてからにしてもらいたいものです。


彼の周辺人物も似たようなジレンマを抱えています。
初期インターネットにドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」を感じたと語っていた千葉雅也も、
最近ではインターネットを「民主主義幻想」として否定的に扱い、社会的地位を尊重しない人に対する苛立ちを隠しません。


率直に言うけど、若い人にとって僕は「目上の人間」なのであり、目上の人間が言うことに対する基本的尊重というものがなければ文化の歴史は崩壊する。そういうことがインターネットの民主主義幻想によってめちゃくちゃになってしまった。
午前0:55 · 2019年5月20日 · Twitter for iPhone

「目上の人間」の「基本的尊重」(まるで儒教道徳!)が「めちゃくちゃになってしまった」のは、インターネットのせいだと千葉が考えていることがわかります。
このように、インターネット肯定派であったはずの人々がインターネットに否定的な見解を示すように変わったのは興味深いことです。
僕自身はもともとインターネットには否定的ですし、SNSもAmazonレビューという手段を奪われたために仕方なく始めました。
その意味で彼らの方が僕の見解に近づいているのですが、ネット利用者を責めるだけの彼らの口ぶりからすると、
彼ら自身はどうして自分が「転向」するハメになったのか、あまり理解できていないように思います。
自分自身のやっていることを理解できていないから、のちに宗旨変えすることになるのです。


東や千葉という現代思想の人を取り上げたのは、それが現代思想の敗北を示していることを明らかにしたかったからです。
今回は彼らの「転向」もしくは「自己矛盾」から、インターネットをめぐる権威の問題を考えてみたいと思っています。



『資本主義リアリズム』(堀之内出版) +『わが人生の幽霊たち』(ele-king books)マーク・フィッシャー 著/セバスチャン・ブロイ 河南 瑠莉 訳/五井 健太郎 訳

ニック・ランドと近い存在?

2018年2月に出版された本書『資本主義リアリズム』(原書は2009年刊)が、フィッシャーの著作を初めて日本語に翻訳した本だと思います。
僕が彼のことを知ったのも、書店でこの本を見つけたときになるわけですが、
驚いたことに、それより前の2017年1月にフィッシャーはすでに自殺していたのです。
2019年に『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』(原書は2014年刊)が続いて出版され、
彼の音楽ブログ「k–punk」を中心とした内容に触れることができるようになったのですが、
すでに著者が死んでしまっていることで、皮肉にも日本の読者にとってフィッシャーはまさに「憑在論」的な現れ方をしているように思います。
(憑在論についてはあとで触れます)


では、フィッシャーとはどんな人だったのでしょう。
フィッシャーはイングランドにあるウォーリック大学の哲学博士過程に在籍していました。
当時、ウォーリック大学には加速主義という言葉とともに最近日本でも紹介されているニック・ランドが講師をしていて、
ランドはセイディ・プラントや学生たちとサイバネティック・カルチャー・リサーチ・ユニット(CCRU)を形成していました。
CCRUにはいろいろな面々が参加していたようなのですが、
フランス現代思想系のポスト・ヒューマニティーズに共感するレイ・ブラシエやイアン・ハミルトン・グラントなどの名前もあります。
フィッシャーもこのCCRUに参加していたため、ランドの影響を受けた人物として取り上げられているのですが、
資本主義に対する態度としてはフィッシャーとランドの方向性は少し違うような印象です。


加速主義については「現代思想」2019年1月号に水嶋一憲による説明があるので引用しておきます。


加速主義を駆動している動機は、資本主義の過程を加速すること、いいかえれば、資本主義の潜勢力を十二分に引き出しながらそれを疲弊・消尽させることを通じて、資本主義を超える何かにアクセスするための道筋を開くことである。

要するに資本主義の駆動力を利用して資本主義を超える、もしくは人間を超えることを妄想する思想なのですが、
僕はこういうものを一笑に付すこともできなくなったところに、
現代思想というものが水面下で維持してきた資本主義との共犯関係を、とうとう表面化させて開き直ったように受け止めています。
〈フランス現代思想〉とりわけドゥルーズ=ガタリの思想が、日本では消費資本主義のイデオロギーとなって出版利権化したことは、僕がさんざん書いてきたことです。
そのドゥルーズ=ガタリの「脱コード化」の一面だけを強調した加速主義が、資本主義を原動力にして旧体制を解体するという思想であるのは当然だと思います。
ちなみに日本でも千葉雅也がドゥルーズ=ガタリの「脱コード化」(=切断)ばかりを強調したという点で、
ニック・ランドと近い立場にあったことを記しておく必要があります。


ランドは旧体制を破壊する力として資本主義を肯定しているため、市場原理を信奉するリバタリアンと結びついたりしているのですが、
フィッシャーの著書を読むと、彼はランドとはだいぶ異なった思想の持ち主で、ドゥルーズよりデリダやマルクスに共感する反資本主義の立場にいるように思えます。
フレドリック・ジェイムソンとスラヴォイ・ジジェクの言葉「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」を、
フィッシャーが共感をもって『資本主義リアリズム』で引用していることにも、彼の左派的傾向がよく現れています。
『資本主義リアリズム』の中でフィッシャー は、ランドの言説を「楽天的なもの」と評しています。
語り口に共感は見られますが、その考えには明確に反対しています。



『ポイント・オメガ』(水声社) ドン・デリーロ 著/都甲 幸治 訳

映像時代の作家

僕は文学より思想や社会関係の本を読むことを優先しています。
そのため、新作が出ると必ずチェックしたいと思う現代作家は、もうミシェル・ウエルベックとドン・デリーロとエリザベス・ストラウトと生来有一の4人だけになりました。
あまり共通する傾向がないように思えるのですが、僕の興味がスキゾかつパラノであるのはいつものことなので、あまり気にしていません。
そういえば、他の3人は佐野波布一時代のレビューで取り上げたことがあるのですが、デリーロには初めて触れるような気がします。


ドン・デリーロはイタリア系の移民を父に持つニューヨーク生まれの作家です。
ノーベル賞候補という声もある作家ですが、作品の難解さのためか過去の代表作はほとんど絶版になっています。
出世作の『ホワイト・ノイズ』の新訳が刊行予定らしいので、再評価されることを望んでいます。
ポール・オースターが『リヴァイアサン』を出版したときにデリーロへの献辞を書き、
デリーロが『コズモポリス』でオースターへの献辞を書いたため、二人の親交もよく知られています。
オースターはユダヤ系移民の子孫ですが、二人には移民という出自と映像時代の作家という共通点があるように思います。


『ポイント・オメガ』は150ページとそう長くない小説なのですが、筋を説明して小説の魅力が伝わるとは思えない困った作品です。
とにかく無駄な部分があるように思えないのです。
その作品構成を説明すると、
冒頭に「匿名の人物 Ⅰ」という短いパートが置かれています。
続いてメインストーリーが4章に分かれていて、これがメインパートになっています。
最後に「匿名の人物 Ⅱ」という冒頭と呼応する短いパートで締められます。
要するに、2つのバンズでメインディッシュを挟み込むハンバーガーのような構造になっているのです。

細部までデリーロの思索の跡を宿したこの小品は、すべての場面を説明したくなる小説であり、何一つ説明できない気にさせられる小説です。
今回、意を決してこの作品について数行書き始めたあとにも、苦戦が続いて、すでに2回読み直しました。
何度読んでも解決できない部分が大きく残される作品で、下手にまとめると陳腐なことを言いそうなのですが、挑んでいこうと思います。



『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎) 野口 悠紀雄 著

バブル崩壊の後遺症

野口は頻繁に著書を出す売れっ子経済学者です。
僕も過去に野口の本を何冊か読んでいるのですが、それでも新刊が出ると内容を確認してしまいます。
経済という現在進行形の状況を分析する視点は数多くあり、どの見解が正しいのかは判断が難しいのですが、
野口の視点は確かなものがあるため、つい参考にしてしまうからだと思います。


本書は題名で一見してわかる通り、平成の30年間を「失われた30年」という「失敗」の時代として捉えて、その原因に迫ろうというものです。
その作業はとても重要なのですが、僕は「失われた30年」という表現にまず躓いてしまいます。
「失われた○○年」という言い方にはバブル経済崩壊の後遺症が続いているという前提が感じられるからです。
そこには本当なら得るはずだった経済的利益があった、というニュアンスが読みとれてしまうわけですが、
その「得るはずだった」という感覚が問題であるように感じます。
野口も気づかずに使っているのですが、この表現はバブル期を健全状態として想定しているため、
解決策として金融政策による株価バブル(通称アベノミクス)を呼び寄せる心理的効果があります。
そういう誤った前提を破棄して、経済停滞の30年とか、経済失速の30年とか、衰退の30年とか言い換えた方が適切に思えます。


野口は「はじめに」で自分たちの世代が責任を果たせたかと自問したあと、
それに失敗したとして理由をこう語ります。


この30年間を一言で言えば、世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代であったからです。平成時代を通じて、日本経済の国際的な地位は継続的に低下しました。
ここで重要なのは、「努力したけれども取り残された」のではなく、「大きな変化が生じていることに気がつかなかったために取り残された」ということです。改革が必要だということが意識されず、条件の変化に対応しなかったのです。

いきなりまとめが来てしまうのですが、野口は平成の30年がこのような「失敗の時代」であったと言います。
帯の文章にも「失敗の検証なしに、日本は前進できない!」とあるように、失敗したことはとっくに明らかであり、問題はその原因の認識にあるというのが野口の立場です。
彼の認識に異論はありませんが、僕の関心はさらに深いところにあります。
世界経済の構造変化に日本人が「気づかなかった」としたら、それはなぜかというさらなる原因の分析です。
本書の読解から僕が掘り下げていきたいのは、この深層レベルの原因分析であることを先に言っておきます。




「反伝統」という詐術

伝統をめぐる「対立」などあるのか

俳句界には「伝統」と「反伝統」という対立軸があるようです。
俳人の中には何かしらの了解があるのかもしれませんが、このような「対立図式」が外部の人間である僕には正しいとは思えません。
少し前のことになりますが、「俳句界」2019年1月号で「「ホトトギス」は永遠に不滅です」というタイトルの特集がありました。
この特集が本気なのか皮肉なのか、一見しただけではよくわかりませんが、「巻頭言」を寄せた筑紫磐井にとっては明らかに皮肉でした。
この筑紫の文章について少し語ってみたいと思います。


筑紫は「巻頭言」の最初で、鶴見大学の名誉教授だった山下一海の著作集の別巻にある文章を引用しています。
一人の研究者の見解だけを頼りに、俳諧の何たるかを「定義」しようとする筑紫の態度に違和感はあるのですが、
まずはその引用された山下の文章を見ていきます。
山下は「俳諧にとって伝統とは何か」という文章の中で、


俳諧にとって、伝統とは破壊するためのものであったのではなかろうか。しかし、大切なことは、伝統を破壊することによって新しい伝統を創開しているということである。

と述べているのですが、この文章を引用した筑紫は、


伝統墨守の俳人は驚愕するだろう。芭蕉・蕪村も現代俳句も通じて言えることは、「伝統ということを否定するところに俳諧の生命がある」「否定されるべきものと否定するものとの間の往復運動が、俳諧史を動かして行くエネルギーであった」ということになるのである。これは文学を越えた実証哲学的な視点であるように思う。

と書いています。
筑紫は山下の文章に伝統墨守の俳人が驚愕すると得意げですが
俳人でもない僕が驚愕したのは、筑紫当人が自分で引用した文章をちゃんと読んでいないということでした。
山下が「大切なことは」とご丁寧に強調までして、
「伝統を破壊する」ことの目的が「新しい伝統を創開」することにあるとしているにもかかわらず、
筑紫の文からは山下が強調した「新しい伝統」という視点が完全に欠落しているのです。
その結果、山下が単なる伝統破壊を推奨しているかのようにまとめられています。


「伝統ということを否定するところに俳諧の生命がある」という山下の文章を引用して、
筑紫は「現代俳句も通じて言える」と書いていますが、僕がこの山下の「俳諧にとって伝統とは何か」を読んだところ、
この箇所は「俳諧にとって」とあるように、完全に芭蕉について語る文の中に存在していたものです。
山下は現代俳句の話など全くしていないのですから、ここは筑紫が自分の見解を勝手に滑り込ませたものだと言えます。
山下は同じ文章で「芭蕉にとっての伝統は、「貞徳の涎」として、否定されるべきものとしてのみ存在した」と書いています。
つまり、山下が俳諧における伝統の破壊と言ったものは、「芭蕉が蕉風を創開した」ことについて述べたものなのです。


山下があくまで新たな伝統の「創開」を重視していることは、筑紫の引用文を見るだけでもわかることだと思います。
新たな伝統のために既存の伝統を破壊する行為は、単純に伝統に「対立」するものとして考えることはできません。
将来に伝統になりうるものでなくてはならないからです。
この筑紫の杜撰かつ意図的な「対立図式」が、彼自身の欲望を投影した結果であることは想像に難くありません。
要するに、アカデミックな世界ならば絶対に問題になるレベルの恣意的な読み換えだということです。


山下の「俳諧にとって伝統とは何か」をそのまま読めば、「伝統」がテーマであることは題名でも明らかです。
芭蕉の蕉風俳句がその後の伝統となったように、俳諧では伝統への反発が新たな伝統を生み出してきたという内容です。
冒頭にはこのような記述があります。


伝統への反発の強さが、新しい生命を生み出す活力となるのなら、伝統の存在もまた、歴史の革新に一つの寄与をなしているといえる。

つまり、伝統への反発もまた革新を生むエネルギーとして「歴史」に寄与する、ということです。
伝統への反発がその後の「歴史」へと寄与することが前提になっている話であることを見逃してしまうと、山下の意図がわからなくなります。
引用文にうまく身を隠したつもりなのかもしれませんが、俳諧とは伝統の破壊だ、などと一方向へと偏った意見を述べているのは筑紫であって、山下ではないのです。
伝統への反発が新たな伝統となるのですから、伝統と本質的に「対立」するものなど、山下はこれっぽっちも提示していないのです。
「俳諧にとって伝統とは何か」の最後の段落で、実は山下はこのように書いています。


俳諧の伝統否定・伝統反逆を説きながら、結局、私は俳諧の伝統を説いているわけである。



『世界史の実験』(岩波新書) 柄谷 行人 著

柳田国男の可能性の中心

本書は柄谷行人の3年ぶりの本です。
語り下ろしなので、柄谷特有の文体よりはだいぶ読みやすくなっているように思います。
題名こそ「世界史」となっていますが、本書の内容は明らかに柳田国男論だと言えます。
柄谷は2013年に『柳田国男論』(インスクリプト)、2014年に『遊動論──柳田国男と山人』(文春新書)を出版していますので、
本書はその延長に位置づけられるものと考えてよいでしょう。


実は僕は本書の前に出ている柄谷の柳田論には興味がそそられなかったので、全く読んでいないのですが、
ちょっと調べた感じでは、『世界史の実験』の第2部にあたる山人についての考察は、すでに前著で語られている内容とそれほど変わりがないように見えます。


柄谷が強い関心を抱いているのが「山人」という存在です。
柳田国男は『遠野物語』や『山の人生』で山人について語っています。
しかし、山人が実在したことを実証することができなかったため、柳田は平地農民である「常民」ばかりを語るようになりました。
その結果、柳田は日本人の文化的多様性を無視したと批判されているのですが、柄谷は柳田が山人の存在を生涯追い続けたと反論します。
柄谷が言うように柳田が山人の存在にこだわっていたのか、それとも放棄したのかについては、僕には判断がつかないのですが、
その真偽は問わないことにして、なぜ柄谷が柳田の山人にこだわっているのか、そして柳田論でしかないものをどうして「世界史」などと言うのか考えてみたいと思います。




私生活主義イデオロギー

私生活主義という新たなイデオロギー

80年代のバブル景気以降に広まったポストモダン思想は、イデオロギーなどの近代的体系性を批判する思想として登場しました。
近代の結末にあった第二次世界大戦と、世界の破滅を視野に収めた冷戦時代を乗り越えるためには、
資本主義と社会主義の対立を生み出す国家的イデオロギーに対する批判が有効でした。
しかし、90年代に入ると社会主義陣営が崩壊し、世界には資本主義しか選択肢がなくなりました。
日本で「ポストモダン」という言葉が本格化するのはこの時期で、もうイデオロギーの時代ではないということが、
「大きな物語」の崩壊などという言葉で語られました。
今読むほどの価値があるとは思えない東浩紀の『動物化するポストモダン』が2001年出版当時に大きな話題を呼んだのは、
イデオロギーという「大きな物語」が終焉し、消費資本主義的な私生活重視の価値観が一般化したという背景があったからです。


しかし、日本の「ポストモダン」という言葉が脱イデオロギー(もしくは脱社会主義)を表すものであるとハッキリさせてしまえば、
日本のポストモダンが70年代後半に始まっていたことが理解しやすくなります。
なぜなら、日本の脱社会主義つまりは脱左翼運動が鮮明になったのは、72年のあさま山荘での連合赤軍事件だからです。
連合赤軍事件によって、学生などの左翼運動が凄惨な内ゲバを繰り返すだけで、社会的な広がりを持ちえないことがわかり、
左翼的な政治姿勢への支持が失速していったのです。
1972年は若者にとって政治の季節の終わりを刻み込まれた歴史的な年でありました。
それが僕の生まれた年です。


政治の季節の終わりは、陰に陽に政治と関係を持ち続けた近代文学の終わりを導きました。
70年にすでに三島由紀夫が自決し、72年にはノーベル文学賞作家の川端康成が自殺しています。
その後は左翼的学生運動の傍観者だった村上春樹が文壇の中心的存在となり、日本の若者の政治からの逃避が決定的になりました。
政治運動に関係しないのはもちろん、政治的関心も弱くなり、ついには社会への関心を失っていくことになりました。


社会への関心が失われると、反比例するように自分自身とその周囲への関心が高まるようになっていきます。
自分への関心に集中する私生活主義の登場です。
ポストモダン思想は趣味的関心に特化した私生活主義の付属物として登場しました。
要するに、ポストモダン思想とは私生活主義という新たなイデオロギーを後押しする理論として登場したのです。
その意味でポストモダン思想の実態はイデオロギー批判ではありません。
社会への関心よりも個人的な趣味的関心を重視して、消費にはげむべきだという消費社会のイデオロギーだと考えるべきなのです。


ポストモダン思想は私生活主義というイデオロギーの一部を構成するものでしかありません。
社会的関心がある程度死滅した世界においては、もはや私生活主義を裏付ける理論など必要はなくなります。
現在、ポストモダン思想が下火になっているのは、このような私生活主義が完全に社会的関心の排除に成功したからに見えます。
その意味で、より進んだ私生活主義の立場からポストモダン思想を批判する人に対しては、立場が違うので距離を取りたいと思っています。