南井三鷹の文藝✖︎上等

Home > ブログ

ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(講談社学術文庫)高 哲男 訳【後編】

顕示的浪費の文化的影響

不勉強な哲学者たちの誤りを正すのに紙幅を費やしてしまいましたが、
学者でありメディア露出も多い著名人が出版し、業界ではそれなりの評価を受けた本でさえ、プロの仕事と言えないものがある、と認識することが大切です。
文章の内容は、本質的に、内容そのもの以外(社会的地位や名声など)が判断材料になることなどないのです。
とりわけ権威への依頼心が強い人を信用しすぎるのはお勧めしません。


ここまでが『有閑階級の理論』全14章のうちの4章までにあたります。
おいおい、まだまだ残りの方が断然多いじゃないか、と思われるかもしれませんが、ここからは派生的な内容です。
よく読むと興味深い記述がたくさんあるのですが、
記事の長さを考えて、僕が個人的に興味を惹かれたところをピックアップして書いていきたいと思います。


顕示的消費として行われる支出は、無限に拡大する可能性がある、とヴェブレンは述べます。
収入が減るよりも、支出の水準を落とす方が困難であることに加え、
顕示的消費で支出される額は、がんばれば今の自分でも達成できる理想額になります。
そのため、各階層は社会的ランクが1つだけ上位の階層を羨みつつ張り合うようになるのです。
自分の階層とかけはなれた存在については、上位でも下位でも視界に入りません。
「個人の生活水準がどのようなものになるかをおおよそ決定するのは、個々人が所属している社会や階級内部でお墨つきを得ている支出の基準である」
というヴェブレンの記述からは、顕示的消費が個人的な虚栄心とは関係なく、
社会に組み込まれシステム化されていることを読みとるべきでしょう。


顕示的浪費は周囲からの尊敬を得るために行われることなので、何にお金をかければ尊敬に値するか、ということを考えるように人々を促します。
ヴェブレンは尊敬に値する支出を行うという慣行が、宗教的分野の神聖な建物や崇拝用の道具にも及んでいると指摘します。
(ここにアドルノ先生は激怒したわけですが)
宗教的儀式には定式文言フォーミュラのくりかえしが見られます。
古い呪術性を持った言葉が、その内実を失って形式化したあとも使われているのは、
その顕示的な言葉の浪費において、儀式を司る主人(司祭など)の社会的能力を示す目的がある、とヴェブレンは考えています。
この話は宗教だけでなく文学にも当てはまりそうな感じがします。


文学といえば、ヴェブレンはウィリアム・モリスの話をするときに、芸術的な出版事業について取り上げています。
本を作る上で手作り感や「オールド・スタイル」(無骨な紙面、手漉き紙、昔流の活字など)など使い勝手が悪いものを好むのは、
「時間と努力を浪費できる能力」を証明してくれるからだ、と彼は述べます。
機械製の製品より手作り品が優越する、というモリス的な発想は、ヴェブレンからすれば、顕示的な浪費や閑暇の現れでしかありません。
(ここに國分功一郎がまた文句を言っていますが、例によって不勉強なイチャモンなので割愛します)
全面的にヴェブレンの意見に賛成する必要はないと思いますが、
内容がひどく同時代的なものでしかないにもかかわらず、造本において古めかしいスタイルをとる本には、
著者の有閑階級意識を顕示する欲望を嗅ぎとることができる、という点には僕も同意します。
限定出版にも同様の効果があるとヴェブレンは述べています。


こういうヴェブレンの実証的な記述に当たると、國分のように、あれもこれも顕示的閑暇で説明すると思う人が出てくるのはわかります。
ですが、そもそもヴェブレンは顕示的閑暇や顕示的消費というものが原理として文化を制限していると考えています。
その前提に立てば、根底的な原理として見出されたものが、いろいろなものに適用できなければおかしいのです。
いろいろな現象にヴェブレンが顕示的閑暇の痕跡を見つけ出すのは、当然の展開だと思います。
それに注意深く読めば、すべてが顕示的な要素で決まるわけではない、とヴェブレンが書いている箇所を何度も見つけることができるはずです。
ヴェブレンは直観にすぐれた、いわゆるパラノイア型の天才です。
11か国の言葉を自由に使えたらしい、と宇沢弘文も書いていますので、言語能力だけでも相当なものです。
浅薄なポストモダン理解だとパラノイアは悪いものにされているのですが、そういう思考法でしかつかみ取れないものがあることも事実です。


他にも興味深いヴェブレンの指摘はたくさんあります。
有閑階級の生活様式は古い過去から受け継がれたものであるため、初期の野蛮時代の風習や理想などを体現しています。
略奪が価値を持った時代の価値観も保存され、有閑階級は武勇の精神を尊重するとしています。
ヴェブレンがおもしろいのは、この武勇の精神の尊重が現代ではスポーツに現れている、と主張することです。
こういうところも文句を言いたい人はたくさん出てきそうなものです。


こうなると、有閑階級は野蛮で略奪的な特性を現代にまで保存してきた存在ということになります。


現代的な産業における有閑階級に属する人々の職業は、一定の略奪的な習慣や性癖を生き延びさせるような種類のものである。

ヴェブレンの書き方がわかりにくいのですが、現代の有閑階級は古い略奪的な習慣を保持できる職業についている、と言っています。
どうして有閑階級が古い習慣や性癖を持ち続けるのか、というのは注目すべきポイントです。
おそらく有閑階級が産業労働を免除された存在であるため、
産業労働の世界で生み出された価値観の圧力を受けることがなく、野蛮時代の特質を保存し続けることができたのだと思います。
そうなると、社会的階層が上位に位置するほど、昔ながらの考えを保持し続けることになるわけです。



ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(講談社学術文庫)高 哲男 訳【前編】

異端の経済学者

消費資本主義について考察する上で、読んでおかなければならない本の一つにソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』(1899年)があります。
ヴェブレンには他に『企業の理論』(1904年)などの著作があるのですが、結果として処女作が長く読み継がれることになりました。
僕が100年以上前の古典を取り上げるのは、ヴェブレンの有閑階級についての考察が、アメリカ消費文化への批判であり、
ひいてはアメリカ消費文化を模範として発展した日本の現在の消費文化を考察することに役立つからです。
現在、講談社学術文庫(高哲男 訳)とちくま学芸文庫(村井章子 訳)で翻訳が出ているのですが、ヴェブレン独自の思考展開(特に後半)についていくのが難しく、
僕は両ヴァージョンを計3回(講談社を2回)読んだのですが、3回目でやっと何かが書けるような気がしてきました。
(この記事での引用文は断りがない限り、講談社学術文庫版を用います)


「異端の経済学者」とも言われるヴェブレンの経歴は少し変わっています。
彼はもともと哲学で博士号を取得しています。
カントやハーバート・スペンサーを研究していたようで、「カントの判断力批判」という投稿論文が残っています。
ヴェブレンは哲学科の大学教員になりたかったようなのですが、望むような仕事は見つからず、一度は実家のあるミネソタに戻りました。
幅広い分野にわたって読書をしたのがこの期間だと言われています。
そこからヴェブレンは経済学へと転身し、コーネル大学の大学院へ2年間通います。
そこで指導教授をしていたラフリンに気に入られ、ラフリンがシカゴ大学の経済学部長になると、その縁で助手のポストを得ることになるのです。
ヴェブレンは1899年に『有閑階級の理論』を出版し、翌年には助教授になりましたが、学界での評価はそれほどでもなかったようです。
それでも晩年にはアメリカ経済学会の会長に推薦されたこともありましたが、
ヴェブレンはそれを辞退し、カリフォルニア郊外の小屋で自作の家具とともに質素に暮らしました。
亡くなったのは、1929年の世界大恐慌が起こる直前でした。


ヴェブレンの経済学に若き日の哲学研究が影響しているかどうかに関しては、様々な意見があるようです。
ハーバート・スペンサーの影響が晩年の著作に反映されている、とはジョン・K・ガルブレイスの言葉です。
カントの影響というのは、僕が読んだ印象では、あまり感じられませんでした。


彼が「異端」と言われる理由は本書を読むとよくわかります。
経済人というものは合理的に損得勘定をして意思決定をするものだ、という多くの経済理論とはまるで違って、
富裕層というものは古代から続いている人類学的な社会習慣に基づいて、非合理的に見える消費行動をするものだ、と主張しているからです。
労働することが人間のあるべき姿であるという考えに反して、労働しないことが上流の階層であることの証明だ、としているからです。
さらに言えば、一般に経済学の範疇だと思われている領域を激しく逸脱し、人類学や社会学の領域に踏み込むような考察をしています。
ガルブレイスは、ヴェブレンが人類学や社会学を用いたのは、富裕層への敵意をわかりにくくするための隠れ蓑だと言っていますが、
僕はそういう印象は抱きませんでした。
ヴェブレンは経済学という学問上の領域を突破して、人間とはこういうものだという一種の「人間学」を試みていたように感じるのです。
こういう規格外のものがアカデミズムの世界で評価されるのは、いかにアメリカでも難しかっただろうと思います。


『有閑階級の理論』は単純な原理に貫かれているので、いくらでも簡単にまとめることは可能なのですが、
進化経済学という変わった学問ジャンルを構想していたためか、話題が広範囲に及ぶためか、文章のせいか、
実際は後半部に行くにつれて読みにくくなる難解な本です。
正直なところ、その部分に迫るほどの読書はできていないのですが、なるべく深いところまで触れていきたいと思っています。



丸山眞男に学ぶ日本の精神病理

忘れられた戦後思想のツケが大学改革に影響している?

今回は丸山眞男の「軍国支配者の精神形態」(1949年)と「超国家主義の論理と心理」(1946年)について書こうと思っているのですが、
キッカケは思想とは直接関係のない本を読んだことでした。
(どちらの論考も『丸山眞男セレクション』(平凡社ライブラリー)に所収)
丸山などの戦後思想は僕が物心ついたときにはほとんど読まれていなかったと思います。
プルデューに言及したりして左翼を自認する大学教授が、ろくに丸山を読んでいなかったことに驚いたこともあります。
ポストモダニズムは欧米では自己批判の思想ですが、日本では自己批判的な意味を持つ戦後思想を過去へと追いやり、
バブル景気を背景に日本を肯定する役割を果たしました。
しかし、戦後思想は役割を終えたわけではなく、現在も解決されない問題として残り続けています。


それが最近出版されたある本に示されていました。
大学受験制度が来年から共通テストという新方式に変更されるにあたり、
英語の民間試験導入や国語の記述式回答などで文部科学省への批判が相次いだのは、記憶に新しいところです。
そんなこともあって、佐藤郁哉の『大学改革の迷走』(ちくま新書:2019年)を読んでみたのですが、
意外にもその中で丸山眞男の「無責任の体系」が出てきたのです。


せっかくなので少々回り道をして、佐藤の本についても少々触れておきます。
佐藤は文科省などが主導する大学改革が、なぜ迷走しているのかを考察しています。
最初に、大学の履修登録の資料となる「シラバス」が、手本であったはずのアメリカのsyllabusと全然違うということを取り上げます。
電話帳のようなシラバスや、桐の箱に入れられたシラバスなど、アメリカ人が見たら目を見張ることでしょう。
そのような事態になってしまったのは、文科相やその諮問機関である中央教育審議会からの「御意向」を、
大学側が「忖度」した結果だと、佐藤は指摘します。


こうしてみると、日本の大学は、文科省が改革度を測るモノサシとして設定してきた各種の基準などを元にしてシラバスの理想形について「忖度」しながら、教員たちのシラバス作成やその監視・修正の作業を進めてきた、ということが言えそうです。(佐藤郁哉『大学改革の迷走』)

次に佐藤は、もともと工場の品質管理に用いられていたPDCAサイクルという言葉が、
大学改革関連の文章の中で使われるようになったことについて検証します。
工場で作られる製品に適用される方法が、どうして教育機関に持ち込まれたのか不思議になりますが、
どうやら文科省がビジネスの世界を参考にして大学改革を進めようとしたことに原因があったようなのです。
ここで佐藤は、早稲田大学ビジネススクール教授の山田英夫の「フレームワーク病」という言葉を紹介しています。


山田氏は、日本というのは、新奇なビジネス用語やフレームワークが次から次へと海外(主に米国)から輸入されて流行してきた「不思議な国」であるとします。また、日本のビジネスパーソン(特に若い人々)には、その流行に乗らないと取り残された気分になってしまったり、単に用語を使うことで分かったような気になってしまったりする傾向があるとし、それを「フレームワーク病」と呼んでいます。(『大学改革の迷走』)

この「フレームワーク病」に思い当たらない日本人は少ないと思います。
海外から形式だけを輸入してその内実に関心を払わないために、実質的な効果がなくなってしまうのが「フレームワーク病」です。
こうして内実のない形式だけが大流行します。
海外の影響を形式上にとどめて、自己都合の「翻案」をするのが日本人の特徴でもあります。


日本における大学改革の不幸は、政府あるいは内閣府や文科省などの府省が、外来のモデル(と一見そのように見えるもの)を付け焼き刃的に借用した上で大学現場に対して押しつけてきた、というところにあります。(『大学改革の迷走』)

海外のモデルを一次的権威として、国内の政府や府省が二次的権威となって、より下方へと権力的な振る舞いをする、
これを僕は広い意味での天皇制メカニズムだと考えているのですが、この権威主義的メカニズムについてはあとで取り上げます。
佐藤は、文科省や中教審などが、PDCAをきちんと理解せずに大学に押しつけたことと、
大学側が民間経営手法の「劣化コピー」に従うか従うフリをしたことを批判します。
ここには僕が〈内実に対するニヒリズム〉と名付けた日本人の表層執着志向が見られます。



『くたばれインターネット』(ele-king books)ジャレット・コベック 著/浅倉 卓弥 訳

私はインターネットが嫌い

書店で手にとって中をパラパラしてみると、最初のページに「役に立つ小説」というコベック本人の署名入りの一文が目に入りました。
ついで真偽の定かではない本書についての書評が載せられています。
混乱したままページをめくると、「閲覧注意」の囲い文があり、
「本書は以下の内容を含みます。購読の際はご注意下さい」と書かれたその下には、
「資本主義、男どものすげえ臭い体臭、歴史上登場した懐古主義、殺すぞとの脅し、暴力、人々の絆、流行り廃り、絶望、際限ない金持ちへの嘲笑(以下略)」と続きます。
まるで一昔前の怪しげなサイトに接続するような注意書きですが、筆者のコベックはそういう文化に親しんでいたのでしょう。
実際に読み終えると、たしかに挙げられているような内容が書かれていたのですが、
閲覧注意というほどの刺激があるわけではないのでご安心を。


本書の原題は『I hate the internet』です。
原題を見て気になるのは、「私はインターネットが嫌いだ」の「私」とは誰なのか、ということです。
この小説は主にアデレーンというサブカル女子のネット炎上事件を中心に展開するのですが、
実はアデレーン当人はそれほどインターネット嫌悪を露わにしているようには見えないのです。
むしろ息子や友人が彼女にツイッター上での反論をやめてくれと頼んでいるにもかかわらず、彼女はネット活動を続行し続けます。
物語の主人公がインターネット嫌いでないのならば、誰がインターネットを嫌っている「私」なのでしょうか。
おそらく、それは作者であるジャレット・コベックだということになるでしょう。
つまり、本書の題名は作者自身の宣言のようなものになっているのです。


翻訳者の浅倉卓弥によると、作者のコベックはトルコ系の在米移民の子孫であり、
作品に登場するジェイ・カレセヘネムという作家が彼のモデルだということです。
(カレセヘネムはトルコ語で「黒い地獄」という意味だと作中で強調されています)
作品の舞台はサンフランシスコなのですが、コベックも実際にサンフランシスコに住んでいたようです。
ラスト近くでジェイ・カレセヘネムはサンフランシスコに嫌気がさして、ロサンゼルスへと引っ越すのですが、
そのときに絶景で有名なツインピークスに立ったジェイ・カレセヘネムが演説を始める場面があります。
「サンフランシスコよ」と呼びかけたジェイ・カレセヘネムは次のようなことを届かない相手に向けて語ります。


そなたが守ろうとしている相手は考えられ得る限り最悪の者どもだ。うざったくてたまらない種類のオタクどもを、数に限りのある、選ばれたセレブの席へと押し上げてしまったのだ。あのマーク・ザッカーバーグのすさまじき猛攻の前に我々はもはや息絶え絶えだ。

こうして彼は「異形の者」にとって生きづらい「金持ちたちのためのディズニーランドと化した」サンフランシスコを糾弾します。
そしてサンフランシスコ批判は、インターネット批判へと重ねられていきます。


しかも最後に残っていた善き物事さえそなたは捨て去った。それはインターネットが垣間見せていたユートピアの幻だ。全世界が繋がるという夢はねじ曲げられ、最早それはただ、広告機会を提供する以外の目的を持たないような領国同士が複雑に絡み合った魔窟さながらの様相ともなった。よく聞くのだ、サンフランシスコよ。私もかつてはそなたの住人だったのだ。だから私は、連中が金儲けに使い始める前のインターネットというものがどういうものだったかもよく知っている。

この演説ではサンフランシスコとインターネットが奇妙に同一のもののように語られているのですが、
おそらく、これはインターネットを牽引するシリコンバレーがサンフランシスコにあることを念頭に置いているのだと思います。
コベック自身を投影したジェイ・カレセヘネムが、草創期のインターネットにノスタルジーを抱いていることは、
このあたりを読むとよくわかると思います。
オタクが金儲けに利用し、商品広告に奉仕するだけの世界となったインターネットへの嘆き節とでも言うべきでしょうか。


コベックは本書を自分で立ち上げた出版社から出しています。
というより、この小説を売るために出版社を自前で作ったみたいなのです。
それが英米でベストセラーになったため、こうして邦訳もめでたく出版されることになったのですから、
諧謔味だけでなく、非常に信念のある人だと感じさせられました。
「インターネットが嫌い」というのは僕もくりかえし書いてきたことなので、自分も最後は出版社を興すしかないのか、と考えるようになりました。
しかし、そういう弱小出版社の本が売れるというのは、日本に住んでいると実感としてよく理解できないところはあります。
根本的な文化環境が違うのではないかと思わないこともありません。



『柄谷行人浅田彰全対話』(講談社文芸文庫)柄谷 行人 浅田 彰 著

対談という日本的な文化

本書は1985年から1998年にかけて行われた、柄谷行人と浅田彰の対話を6回分収録しています。
対談というのは良くも悪くも日本的な文化だと思います。
日本のジャーナリズムでは大人気企画で、2人だと「対談」、複数だと「座談会」と呼ばれたりするのですが、
座談会は菊池寛が「文藝春秋」誌上で初めて企画したと言われています。
これらはあまり欧米では行われていないもののようです。
欧米ではインタビューの形で話し手と聞き手をある程度しっかり分けて、
話し手の考えを読者にわかるように伝える、というジャーナリスティックな目的で行われているように思います。
しかし、対談や座談会では共通の「場」に複数の人が参入し、ある話題について意見を交換するというかたちで進みます。


ただ、この対談や座談会の有効性についてはあまり考察されてきたようには思えません。
たとえば日本で最も考察された座談会といえば、1942年に「文学界」の特集として13人が参加した「近代の超克」が挙げられると思います。
いろいろな人たちがこの座談会について書いているのですが、たいていは座談会そのものの内容は低調だったとしています。
しかし、13人も参加した座談会に低調でないものなどあるものでしょうか。
人数を絞って対談にしたところで、やはり読むべきほどの内容が得られることは少ないと思います。
なぜなら、最終的にはある程度「場」がまとまる必要があるので、
参加者が互いに暗黙の了解を共有したり、相手の考えについての理解を持っていたりすることになるからです。
結局は「場」の共有を前提とした「内輪の話」以上のものにはならないのです。
その意味で、対談する2人は関係が近すぎても遠すぎても面白味が出ません。
俳句の二物衝撃のように、近すぎず遠すぎずがいい塩梅ということになるわけです。


しかし、実際は内輪感バリバリの近い人同士の対談が目立ちます。
近すぎず遠すぎずの関係は読者にとっては面白いのですが、やる側にとって楽ではないからです。
こうなると対談や座談会という企画が、いかに編集する側にとっての都合であるかが想像できるのではないでしょうか。


では、なぜ日本ではこの手の企画が人気なのでしょう。
それはおそらく、彼らの語った内容を知ること以上に、彼らの「場」に自分も参与することに読者の関心があるからだと思います。
他人の発言を参考にして勉強したり触発されたりする勤勉な読者もいるはずですが、
あまりそういう人が多いような気はしません。
なぜなら実際には信用に足りない低レベルの発言をする人の対談を平気で何度も掲載している雑誌が少なくないからです。
そこから推測するに、読者は論考の読解という負荷のかかる作業より、
手軽に一流の知識人の発言を「拝借」して、自分がその「場」に参与している気分になることを重視しているのでしょう。
つまり、対談や座談会はそこで前提とされる知的な「場」への憧れで駆動されているのです。
これが日本独特のワイドショーなどのコメンテイター文化を構成するようになり、
ジャーナリズムで活躍する「マスコミ御用達」のエセ知識人がアイドル化する原因となっています。
(東浩紀が立ち上げたゲンロンカフェが、出演者を「ゲンロンカフェ四天王」と呼び、地下アイドル化に励んでいたことには苦笑するしかありませんでした)


さて、本書は左派思想のアイドルとも言える柄谷行人と浅田彰の対話を集めたものですが、この2人が近すぎる関係であることは疑いありません。
雑誌「批評空間」を一緒に編集してきた仲だからです。
(僕はこの雑誌を一度も読んだことがありませんが、「ゲンロン」の東浩紀はこの雑誌から出てきてアイドル化したのでしたね)
本書の最後に柄谷が浅田との関係について書いた文があるのですが、
「漫才でいえば、私はボケで、彼はツッコミである」と表現されているのは言い得て妙でした。
その意味で、2人の対話は対談というよりもコンビ芸に近いものがあります。
柄谷の尖ったアイデアをすぐさま浅田が適切に整理する、ベテランの餅つきのような手つきには何度も驚嘆しました。



非在の芸術

現代アートへのレクイエム「番外編」

山本浩貴『現代美術史』は僕が「現代アートへのレクイエム」を執筆している時期に刊行されました。
読み始めた時には記事のほとんどが書き上がっていたので、この本の内容を少ししか反映させることができませんでした。
リレーショナルアートを取り上げられなかった心残りもあって、
「現代アートへのレクイエム」の付け足し「番外編」のようなスタンスでこの記事を書き始めたのですが、
だいぶ話が違う方に展開してしまったので、とりあえず書評に分類するのをやめました。
(この記事で「本書」と書かれているのは『現代美術史』のことです)
考えてみれば、僕は現代アートという制度はもちろん、作品の多くにも否定的です。
現代アートの価値を疑ったことのない人が書いたものをおもしろく読めるはずもなく、
どうしても批判的な筆致になってしまいます。


僕は現代アートが資本主義と同種の運動で成立していると主張しました。
外部にあるものを自己領域へと取り込んで自らを拡大していく運動です。
簡単に言うと、それまでアートだと見なされていなかった領域を、
「これはアートだ」と命名し認知させることで、それをアート領域へと回収し、結果としてアート領域を拡大していくことになる、ということです。
本書は完全にこの見方を裏付けています。
本書の第一章は1960年台から80年代にかけての現代美術史の概説なのですが、まさに章の名が「拡大された芸術の概念」となっています。
ここでは芸術がその外にある社会的事象を芸術として組み入れ、その概念を拡大していった歴史が示されています。
山本はロンドン芸術大学で研究をしていた人なので、アカデミックな視点で現代アートにアプローチしています。
専門領域の人が現代美術の歴史を芸術概念の拡大と捉えているのは興味深いことでした。
終章で山本は次のように述べています。


本書で見てきたように、とりわけ一九六〇年代以降の美術は、芸術の概念自体を拡張することによって、より直接的な仕方で、そしてより広い「社会」(より多くの人たち)に自らを接続することを志向してきました。(中略)事実、芸術は社会に影響を及ぼし(同時に影響を受けながら)、しばしばその変革の原動力となってきました。

自己領域の拡大を意図して、より多くの人に接続するという山本の説明は、
外部領域へと接続することでネットワークとして成立した自己領域を拡大する運動を示しています。
アートそのものが高額商品になるという事実がありながら、このような考察を資本主義の運動と結びつけようとしないのは知の堕落です。
そのくせ、山本は本書が「芸術と社会」というテーマで書かれている、と宣言しているのです。
大手出版社で本を出すからには、都合の悪いことは触れない「お約束」を共有し、安全領域で「知的ゲーム」に興じておくのが無難です。
商業出版の世界には反抗心や抵抗心の居場所はないのです。
反抗心のない人に、往々にして芸術とファッションの区別ができなかったりするのはよくあることです。



『未来への大分岐』(集英社新書)マルクス・ガブリエル マイケル・ハート ポール・メイソン 斎藤 幸平 著

政治的な左派思想の復活へ

マルクス・エンゲルス全集(MEGA)の編集委員である斎藤幸平が、
マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソンの3人と資本主義の行末について対談した本です。
斎藤はマルクスの物質代謝について研究しているのですが、
雑誌「現代思想」でマルクス・ガブリエルを早い段階で紹介したり、彼の著書の翻訳に携わっていたりするので、
國分功一郎や千葉雅也よりもガブリエルの対談相手としてふさわしい研究者だと言えるでしょう。


斎藤は消費資本主義に依存した〈フランス現代思想〉のオタク的な人たちとは違って、
マルクスについて語れるのはもちろん、経済思想が専門ということで政治経済についての幅広い教養を持っています。
その意味で左派的なスタンスをしっかりと持った思想系の学者と言えます。
ただの聞き手だと侮っていると、斎藤の思わぬ反論に驚かされることになるでしょう。


個人的な話ですが、少し書いておきたいことがあります。
僕は以前、ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』のAmazonレビューで、
ガブリエルが〈フランス現代思想〉などのポストモダン思想(ポスト構造主義)を批判していることを指摘しました。
当時にそのような意見は他に誰も書いていなかったと記憶しています。
それが正しかったことはもう本書をはじめ後発の翻訳でも明白になっています。
しかし、当時の出版マスコミはガブリエルを〈フランス現代思想〉の延長であるかのように捉える愚かな思い込み(もしくは意図的な操作)をして、
前述のドゥルーズ学者などにガブリエルの著書の帯に推薦文を書かせたり、彼の紹介記事や対談相手を依頼したりしていました。
日本の大手出版社の編集者がいかに勉強をせずに、業界内の「利権」ばかりを優先しているかがよくわかる事例ですので、
読者の皆様には日本の編集者のレベルを判断する材料にしていただきたいと思います。
今回、集英社の編集者が講談社や朝日新聞よりも「普通」に仕事をしていてホッとしました。


目玉である対談相手について僕の知っていることを書きましょう。
マイケル・ハートは『〈帝国〉』(2000年:邦訳2003年)や『マルチチュード』(2004年)などアントニオ・ネグリと共著で名を馳せました。
圧倒的にネグリの知名度が高く、ハートはおまけ(失礼)のような扱われ方でしたので、
今回の単独での登場は珍しくハートが脚光を浴びる機会になったように思います。
ただ、ネグリ=ハートの『〈帝国〉』が日本で話題になったのは、ブッシュ大統領がイラク戦争でアメリカの単独行動主義を露わにした時期で、彼らの描いたグローバル秩序がもう終わりに向かう時でしたし、
二人ともドゥルーズ思想との関わりが深く、その意味では遅れて来たポストモダンの人というのが僕のイメージです。


マルクス・ガブリエルは史上最年少でボン大学教授となり、思弁的実在論が話題になった流れで彼の「新実在論」も注目されるようになりました。
彼の著書『なぜ世界は存在しないのか』は平易な語り口で、ドイツだけでなく日本でもベストセラーになりました。
日本の〈フランス現代思想〉系の出版利権を貪る学者たちが目の色を変えて、彼の本をたいして読みもせずに批判していたのは醜いとしか言いようがありませんでしたね。


ポール・メイソンはイギリスの経済ジャーナリストです。
著書の『ポストキャピタリズム』(2015年)が情報テクノロジーによる資本主義の崩壊を描いたことで話題になりました。
僕は本書を読むまで彼についてはそれほど知りませんでした。


本来の集英社新書のカバーの上に、販促用のカラー表紙がついていたのが目について手に取りました。
そのカバーがB級映画のポスターみたいで思わず苦笑してしまいます。
タイトルの横に「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」とのアオリ文句が踊っています。
加えて裏表紙に対談相手の説明があるのですが、そこに付けられたキャッチフレーズがまたサブカル色にあふれています。
内容と関係ないのですが、笑えるのでちょっと紹介しましょう。
マルクス・ガブリエルは「哲学界のロックスター」、マイケル・ハートは「革命の政治哲学者」、ポール・メイソンは「鬼才の経済ジャーナリスト」という具合です。
このカバーデザインが資本主義の終わりを考察する本であるのは、いかにも日本らしいと感じてしまいます。



現代アートへのレクイエム【その3】

芸術を定義する哲学的欲望

前回の考察では、現代アートは「アートらしくないもの」というアートの「外部」を、
これはアートであると「命名」してシステム内部に取り込む、資本主義同様の運動によって成り立っていることを確認しました。
そこでアート作品は、これまでのアートを乗り越えたことの「痕跡」として、
アート自体が依拠している超越性の顕現を先送りする役目を負っています。


柄谷行人の『トランスクリティーク』(2001年)には、デュシャンの《泉》にカント的な超越論的還元が見られると述べた箇所があります。
柄谷はカントの美学が主観的であることに注意を促し、その主観性は「超越的な括弧入れを行う「意志」」である点で、ちっとも古びていない、と言います。


たとえば、デュシャンが「泉」と題して便器を美術展に提示したとき、彼は芸術を芸術たらしめるものが何であるかをあらためて問うたのだが、それはまさにカントが提起したポイントの一つであった。すなわち、物をそれに対する日常的諸関心を括弧に入れて見ること。もう一つのポイントは、美的判断には普遍性が要求されるにもかかわらずそれがありえないということ、われわれが普遍的と見なすものは歴史的に形成された「共通感覚」にもとづいているということである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

柄谷が「日常的諸関心を括弧に入れて」と述べているところが、超越論的還元にあたります。
前回の記事でデュシャンがレディメイドによって「趣味的無関心」による還元を意図していたことを紹介しましたが、
ある種の関心を「括弧入れ」することが、デュシャンのみならず現代アート(や近現代思想)においていかに本質的なものであるかがわかると思います。
柄谷は近代科学も「道徳的・美的な判断を括弧に入れるところに成立する」としています。
デュシャンがテクノロジーに強い関心を持っていたことはすでに指摘しました。


この柄谷の議論を踏まえて、アーサー・C・ダントーの芸術論について見ていきたいと思います。
ダントーについてはアートの哲学化を主張した人物として前回少し紹介しました。
彼はフランスでメルロ・ポンティに学んだあと、コロンビア大学の哲学科で教鞭をとっていた学者です。
現代アート関連書籍でもダントーの名は何度も見かけました。
とりわけ、アンディ・ウォーホルの作品《ブリロ・ボックス》(1964年)について語る上では避けられない存在となっています。
ダントーの著書『ありふれたものの変容』(1981年)『アートとは何か』(2013年)を読むと、
彼が主張する現代アートの哲学化は、デュシャン(のレディメイド)とウォーホル(の《ブリロ・ボックス》)に集約されています。
ダントーはデュシャンのレディメイドについてこう書いています。


わたしにとってデュシャンの哲学的発見は、アートは存在しうるということ、そして、審美的な享楽がアートの存在のすべてと広く信じられていた時代においても、アートの重要性とは、語るべき審美的な特質など何も備わっていないところにあるということであった。わたしに関する限り、それがデュシャンのレディメイドの功績であった。それが明らかにしたのは、非審美的なアートが存在しうるがゆえに、アートは美学から哲学的に独立していることを認識する哲学的な態度である。(アーサー・ダントー『アートとは何か』佐藤一進訳)

引用文を読むと、ダントーにとってレディメイドなどの非審美的なアートの存在は、
「アートは美学から哲学的に独立している」という「哲学的な態度」を示すことになっています。
アートは美学ではなく哲学なのだ! とするアカデミシャンによる「箔が付く考察」が業界でありがたがられるのは理解できるのですが、
残念ながら超越論的還元を求めるものを「哲学的」だと評する程度のことは誰にでもできます。
真に考察するべきなのは、非審美的なアートが資本主義と同様のシステムに依存していることの意味なのです。


先にネタバラシをしておきますが、
西洋人が資本主義に支えられた現代アートを、哲学的だと主張できてしまう要因が、
資本主義システムと神学システムの「同一視」にあることを示していくのがこの文章の主旨です。
そこでは「同一視」というのが本質的な問題となります。
なぜなら、ダントー自身がアートの哲学的定義に費やした思考のほとんどが、
見た目がそっくりなものの片方にだけ神が宿っている(受肉)としたら、それをどう区別するか、という
同一なるものの中にある差異をめぐってなされているからです。
アートを哲学的に定義することに固執するダントーの欲望は、彼自身がどの程度気づいていたかはわかりませんが、神学論争に勤しむ教父のそれに近づいていくのです。



現代アートへのレクイエム【その2】

 デュシャンのレディメイド

前回は小崎哲哉の『現代アートとは何か』を参照しながら、現代アートを資本主義との関係の面から概観しましたが、
今回はその芸術性のありかを内容の面に踏み込んで見ていきたいと思っています。


現代アートを語る上でどうしても避けて通れないのがマルセル・デュシャンのレディメイドです。
僕が参照した現代アート関連の本で、デュシャンに触れていないものはありませんでした。
英国のアート専門家500人を対象にした「最も強い影響力を持った20世紀のアート作品」という2004年のアンケートで、
最重要作品に選ばれたのがデュシャンの《泉》です。
専門家が20世紀を代表するアート作品とするくらいですから、その意義の大きさは折り紙付きだと言えます。
しかし、《泉》という作品が登場した経緯を詳しく知ると、その作品としての実態が不確かなものだったことに驚きました。


《泉》は1917年にニューヨークの公募展にデュシャンが出品したものです。
結局は展示拒否という結果になったのですが、
それというのも、《泉》はデュシャンが買ってきた磁器性の男性用小便器に「R. MUTT 1917」というサインをしただけの作品だったのです。
有名な作品なのでご存知の方も多いでしょうが、便器をアートだと主張するのは、常識的な美意識からすれば反発を招く行為です。
この公募展はニューヨークの独立芸術家協会が主催していたのですが、
その理事であったデュシャンと仲間2人が、協会の主流派を非難する意図で仕掛けた作品だと言われています。
《泉》は架空の芸術家リチャード・マットの作品として出品されたのですが、最初から展示拒否をされる目論見で用意されたものだったのです。


このような事情を知ると、《泉》は単なる内輪揉めによるスキャンダル狙いの作品だったと考えることができます。
作品そのものに芸術的な意図がどれほどあったのかも疑問です。
仲間がいたわけですからデュシャンの単独犯でもありません。
それどころか、驚くことに《泉》はデュシャンの作品ではないという説もあるくらいです。
というのも、展示拒否となった《泉》は、作品が確固たるオブジェとして存在する機会を得ることもなく、
ただ事後的に写真が残っているだけの「幻の作品」だったのです。


それが後々に20世紀を代表する重要な作品と評価されて、今ではデュシャンは「現代アートの父」とされています。
この作品を分水嶺として、アートは新たなステージに入ったという評価は多くの本でなされています。
『マルセル・デュシャンとアメリカ』(2016年)で研究者の平芳幸浩は、
ネオ・ダダイズムやコンセプチュアル・アートなどの戦後アメリカ美術の中でデュシャンがどう受容されたかを丁寧に追っています。
戦後アメリカ美術の変遷において、デュシャンは何度も元祖のような存在として呼び出されています。
《泉》が20世紀に最も影響を与えた作品に輝いたのは、平芳が示した通り、その後のアメリカ美術との強い関わりによるものだと思います。


その平芳がキュレーションをした「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展が開催されたのは2004年でした。
僕は実際にこの展覧会に足を運んだことがあるのですが、
そのカタログで平芳は、デュシャンが1950年代後半に「発見」されたと記しています。
30代後半以降にほとんど作品を発表しなくなり、忘れられた存在となっていたデュシャンの評価はわりと最近になって確立されたのです。
それが工業化によって消費資本主義が浸透する時期と重なっているのは偶然ではないと思います。


自らの技量で作品を制作するのではなく、既製品を用いてオブジェに仕立てた作品のことを「レディメイド」とデュシャンは名付けました。
オーダーメイドと対比してこの言葉が用いられたようです。
デュシャンは《泉》以前の1913年にレディメイド作品を発表していました。
それ以前には絵画を描いていたのですが、デュシャンは目の快楽に貢献するだけの絵画を「網膜的」として退けました。
1913年に台所用スツールに自転車の車輪を取り付けて回転させるオブジェを制作しました。
制作とは言っても、既製品を組み合わせただけではあるので、広い意味でこれはレディメイドと解釈されています。
デュシャンは1915年に雪かき用のシャベルを購入して、《In Advance of the Broken Arm(腕が折れる前に)》と命名しました。
1950年代以降のネオ・ダダイズムやポップ・アート、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの源流を振り返った時、
デュシャンのレディメイドにそれらの要素が存在していたため、これが現代アートの先駆的作品として評価されるようになったのです。



現代アートへのレクイエム【その1】

「現代」ということの意味

「現代アート」や「現代思想」、「現代音楽」や「現代詩」など、「現代」を冠したものはいくつもあるのですが、
この「現代」というものはいったい何なのでしょうか。
「現代」という接頭辞は英語ではcontemporaryに当たると思いますが、contemporaryには「同時代の」という意味があります。
伝統的な古臭さにとらわれずに、同時代性に応える「新しさ」を備えたものこそが「現代〇〇」ということになるのでしょうが、
僕にはこれら「現代」を冠する文化が軒並み限界にぶつかっているように感じられて仕方がありません。
今回は現代アートを例にして考えてみたいと思っています。


何であれ、「ジャンル」というものは、伝統や歴史性を踏まえて発展していきます。
伝統や歴史性の理解を前提とした上での発展であるため、ある種の狭量さや排他性が存在するものです。
そこでは目的意識の集中によって強力な切磋琢磨がもたらされ、非常に高度なものが出現してくるメリットがある一方で、
伝統や歴史性に縛られると、狭い中でそのジャンルが煮詰まってしまうデメリットも目立つようになります。
また、伝統を前提としてしまうと、歴史性において利のある地域がどうしても優位に立ってしまいがちです。
さらに、その文化的な歴史性が国家権力に利用される結果になってしまうこともあったのです。
このような歴史や伝統、その上に成立した近代的な国家権力から自由であることを求めて「現代〇〇」というものが登場したように思います。


注意したいのは、歴史や伝統、近代的な国家権力からの自由を志向する場合、
たいていは資本主義と結託することになるということです。
「現代」という同時代的なものを重視する価値観において、資本主義経済の影響は無視できないものです。
芸術というと、経済から自立した領域であるかのように思われがちですが、「現代」と冠するもので資本主義イデオロギーに反しているものを見つけるのは難しいのではないかと疑います。


その意味で、資本主義が煮詰まってしまった現在、「現代〇〇」が例外なく危機に陥っているのは当然に思えます。
〈フランス現代思想〉に代表される現代思想が、口では資本主義批判を語りながら、
結局は消費資本主義を推し進めることに利用されたことは、もうすでに僕が何度も書いていることです。
現代アートなど他の「現代〇〇」にも同じような矛盾があると思います。
難しいままに言ってしまうと、資本主義とは矛盾を逆説として成立させてしまうシステムだからなのです。
私たちは矛盾を矛盾と感じないシステムに慣らされてしまっているのです。