- 2021/03/25
- Category : 南井三鷹の【評論】
〈ネットワーク型権力〉と消費社会【後編】
還流する視線の非対称性
ヴェーバーが明るみに出した禁欲的プロテスタントの精神では、神の恩恵の確証を自らの倫理的行動の客観化(=可視化)によって示す必要がありました。
ここでの可視化は救済を受ける者であることを証明する動機で行われています。
しかし、パノプティコンで可視化されるのは、監視される囚人です。
可視化ということで、救済される者と囚人を重ね合わせてしまうと、
幸福なはずの救済者がまるで神の囚人みたいではないか、と思う方もいるかもしれません。
ぶっちゃけて言えばそういう解釈でもいいのですが、実際はもう少し複雑なメカニズムがあるので、それを説明します。
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