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非在の芸術

現代アートへのレクイエム「番外編」

山本浩貴『現代美術史』は僕が「現代アートへのレクイエム」を執筆している時期に刊行されました。
読み始めた時には記事のほとんどが書き上がっていたので、この本の内容を少ししか反映させることができませんでした。
リレーショナルアートを取り上げられなかった心残りもあって、
「現代アートへのレクイエム」の付け足し「番外編」のようなスタンスでこの記事を書き始めたのですが、
だいぶ話が違う方に展開してしまったので、とりあえず書評に分類するのをやめました。
(この記事で「本書」と書かれているのは『現代美術史』のことです)
考えてみれば、僕は現代アートという制度はもちろん、作品の多くにも否定的です。
現代アートの価値を疑ったことのない人が書いたものをおもしろく読めるはずもなく、
どうしても批判的な筆致になってしまいます。


僕は現代アートが資本主義と同種の運動で成立していると主張しました。
外部にあるものを自己領域へと取り込んで自らを拡大していく運動です。
簡単に言うと、それまでアートだと見なされていなかった領域を、
「これはアートだ」と命名し認知させることで、それをアート領域へと回収し、結果としてアート領域を拡大していくことになる、ということです。
本書は完全にこの見方を裏付けています。
本書の第一章は1960年台から80年代にかけての現代美術史の概説なのですが、まさに章の名が「拡大された芸術の概念」となっています。
ここでは芸術がその外にある社会的事象を芸術として組み入れ、その概念を拡大していった歴史が示されています。
山本はロンドン芸術大学で研究をしていた人なので、アカデミックな視点で現代アートにアプローチしています。
専門領域の人が現代美術の歴史を芸術概念の拡大と捉えているのは興味深いことでした。
終章で山本は次のように述べています。


本書で見てきたように、とりわけ一九六〇年代以降の美術は、芸術の概念自体を拡張することによって、より直接的な仕方で、そしてより広い「社会」(より多くの人たち)に自らを接続することを志向してきました。(中略)事実、芸術は社会に影響を及ぼし(同時に影響を受けながら)、しばしばその変革の原動力となってきました。

自己領域の拡大を意図して、より多くの人に接続するという山本の説明は、
外部領域へと接続することでネットワークとして成立した自己領域を拡大する運動を示しています。
アートそのものが高額商品になるという事実がありながら、このような考察を資本主義の運動と結びつけようとしないのは知の堕落です。
そのくせ、山本は本書が「芸術と社会」というテーマで書かれている、と宣言しているのです。
大手出版社で本を出すからには、都合の悪いことは触れない「お約束」を共有し、安全領域で「知的ゲーム」に興じておくのが無難です。
商業出版の世界には反抗心や抵抗心の居場所はないのです。
反抗心のない人に、往々にして芸術とファッションの区別ができなかったりするのはよくあることです。



現代アートへのレクイエム【その3】

芸術を定義する哲学的欲望

前回の考察では、現代アートは「アートらしくないもの」というアートの「外部」を、
これはアートであると「命名」してシステム内部に取り込む、資本主義同様の運動によって成り立っていることを確認しました。
そこでアート作品は、これまでのアートを乗り越えたことの「痕跡」として、
アート自体が依拠している超越性の顕現を先送りする役目を負っています。


柄谷行人の『トランスクリティーク』(2001年)には、デュシャンの《泉》にカント的な超越論的還元が見られると述べた箇所があります。
柄谷はカントの美学が主観的であることに注意を促し、その主観性は「超越的な括弧入れを行う「意志」」である点で、ちっとも古びていない、と言います。


たとえば、デュシャンが「泉」と題して便器を美術展に提示したとき、彼は芸術を芸術たらしめるものが何であるかをあらためて問うたのだが、それはまさにカントが提起したポイントの一つであった。すなわち、物をそれに対する日常的諸関心を括弧に入れて見ること。もう一つのポイントは、美的判断には普遍性が要求されるにもかかわらずそれがありえないということ、われわれが普遍的と見なすものは歴史的に形成された「共通感覚」にもとづいているということである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

柄谷が「日常的諸関心を括弧に入れて」と述べているところが、超越論的還元にあたります。
前回の記事でデュシャンがレディメイドによって「趣味的無関心」による還元を意図していたことを紹介しましたが、
ある種の関心を「括弧入れ」することが、デュシャンのみならず現代アート(や近現代思想)においていかに本質的なものであるかがわかると思います。
柄谷は近代科学も「道徳的・美的な判断を括弧に入れるところに成立する」としています。
デュシャンがテクノロジーに強い関心を持っていたことはすでに指摘しました。


この柄谷の議論を踏まえて、アーサー・C・ダントーの芸術論について見ていきたいと思います。
ダントーについてはアートの哲学化を主張した人物として前回少し紹介しました。
彼はフランスでメルロ・ポンティに学んだあと、コロンビア大学の哲学科で教鞭をとっていた学者です。
現代アート関連書籍でもダントーの名は何度も見かけました。
とりわけ、アンディ・ウォーホルの作品《ブリロ・ボックス》(1964年)について語る上では避けられない存在となっています。
ダントーの著書『ありふれたものの変容』(1981年)『アートとは何か』(2013年)を読むと、
彼が主張する現代アートの哲学化は、デュシャン(のレディメイド)とウォーホル(の《ブリロ・ボックス》)に集約されています。
ダントーはデュシャンのレディメイドについてこう書いています。


わたしにとってデュシャンの哲学的発見は、アートは存在しうるということ、そして、審美的な享楽がアートの存在のすべてと広く信じられていた時代においても、アートの重要性とは、語るべき審美的な特質など何も備わっていないところにあるということであった。わたしに関する限り、それがデュシャンのレディメイドの功績であった。それが明らかにしたのは、非審美的なアートが存在しうるがゆえに、アートは美学から哲学的に独立していることを認識する哲学的な態度である。(アーサー・ダントー『アートとは何か』佐藤一進訳)

引用文を読むと、ダントーにとってレディメイドなどの非審美的なアートの存在は、
「アートは美学から哲学的に独立している」という「哲学的な態度」を示すことになっています。
アートは美学ではなく哲学なのだ! とするアカデミシャンによる「箔が付く考察」が業界でありがたがられるのは理解できるのですが、
残念ながら超越論的還元を求めるものを「哲学的」だと評する程度のことは誰にでもできます。
真に考察するべきなのは、非審美的なアートが資本主義と同様のシステムに依存していることの意味なのです。


先にネタバラシをしておきますが、
西洋人が資本主義に支えられた現代アートを、哲学的だと主張できてしまう要因が、
資本主義システムと神学システムの「同一視」にあることを示していくのがこの文章の主旨です。
そこでは「同一視」というのが本質的な問題となります。
なぜなら、ダントー自身がアートの哲学的定義に費やした思考のほとんどが、
見た目がそっくりなものの片方にだけ神が宿っている(受肉)としたら、それをどう区別するか、という
同一なるものの中にある差異をめぐってなされているからです。
アートを哲学的に定義することに固執するダントーの欲望は、彼自身がどの程度気づいていたかはわかりませんが、神学論争に勤しむ教父のそれに近づいていくのです。



現代アートへのレクイエム【その2】

 デュシャンのレディメイド

前回は小崎哲哉の『現代アートとは何か』を参照しながら、現代アートを資本主義との関係の面から概観しましたが、
今回はその芸術性のありかを内容の面に踏み込んで見ていきたいと思っています。


現代アートを語る上でどうしても避けて通れないのがマルセル・デュシャンのレディメイドです。
僕が参照した現代アート関連の本で、デュシャンに触れていないものはありませんでした。
英国のアート専門家500人を対象にした「最も強い影響力を持った20世紀のアート作品」という2004年のアンケートで、
最重要作品に選ばれたのがデュシャンの《泉》です。
専門家が20世紀を代表するアート作品とするくらいですから、その意義の大きさは折り紙付きだと言えます。
しかし、《泉》という作品が登場した経緯を詳しく知ると、その作品としての実態が不確かなものだったことに驚きました。


《泉》は1917年にニューヨークの公募展にデュシャンが出品したものです。
結局は展示拒否という結果になったのですが、
それというのも、《泉》はデュシャンが買ってきた磁器性の男性用小便器に「R. MUTT 1917」というサインをしただけの作品だったのです。
有名な作品なのでご存知の方も多いでしょうが、便器をアートだと主張するのは、常識的な美意識からすれば反発を招く行為です。
この公募展はニューヨークの独立芸術家協会が主催していたのですが、
その理事であったデュシャンと仲間2人が、協会の主流派を非難する意図で仕掛けた作品だと言われています。
《泉》は架空の芸術家リチャード・マットの作品として出品されたのですが、最初から展示拒否をされる目論見で用意されたものだったのです。


このような事情を知ると、《泉》は単なる内輪揉めによるスキャンダル狙いの作品だったと考えることができます。
作品そのものに芸術的な意図がどれほどあったのかも疑問です。
仲間がいたわけですからデュシャンの単独犯でもありません。
それどころか、驚くことに《泉》はデュシャンの作品ではないという説もあるくらいです。
というのも、展示拒否となった《泉》は、作品が確固たるオブジェとして存在する機会を得ることもなく、
ただ事後的に写真が残っているだけの「幻の作品」だったのです。


それが後々に20世紀を代表する重要な作品と評価されて、今ではデュシャンは「現代アートの父」とされています。
この作品を分水嶺として、アートは新たなステージに入ったという評価は多くの本でなされています。
『マルセル・デュシャンとアメリカ』(2016年)で研究者の平芳幸浩は、
ネオ・ダダイズムやコンセプチュアル・アートなどの戦後アメリカ美術の中でデュシャンがどう受容されたかを丁寧に追っています。
戦後アメリカ美術の変遷において、デュシャンは何度も元祖のような存在として呼び出されています。
《泉》が20世紀に最も影響を与えた作品に輝いたのは、平芳が示した通り、その後のアメリカ美術との強い関わりによるものだと思います。


その平芳がキュレーションをした「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展が開催されたのは2004年でした。
僕は実際にこの展覧会に足を運んだことがあるのですが、
そのカタログで平芳は、デュシャンが1950年代後半に「発見」されたと記しています。
30代後半以降にほとんど作品を発表しなくなり、忘れられた存在となっていたデュシャンの評価はわりと最近になって確立されたのです。
それが工業化によって消費資本主義が浸透する時期と重なっているのは偶然ではないと思います。


自らの技量で作品を制作するのではなく、既製品を用いてオブジェに仕立てた作品のことを「レディメイド」とデュシャンは名付けました。
オーダーメイドと対比してこの言葉が用いられたようです。
デュシャンは《泉》以前の1913年にレディメイド作品を発表していました。
それ以前には絵画を描いていたのですが、デュシャンは目の快楽に貢献するだけの絵画を「網膜的」として退けました。
1913年に台所用スツールに自転車の車輪を取り付けて回転させるオブジェを制作しました。
制作とは言っても、既製品を組み合わせただけではあるので、広い意味でこれはレディメイドと解釈されています。
デュシャンは1915年に雪かき用のシャベルを購入して、《In Advance of the Broken Arm(腕が折れる前に)》と命名しました。
1950年代以降のネオ・ダダイズムやポップ・アート、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの源流を振り返った時、
デュシャンのレディメイドにそれらの要素が存在していたため、これが現代アートの先駆的作品として評価されるようになったのです。



現代アートへのレクイエム【その1】

「現代」ということの意味

「現代アート」や「現代思想」、「現代音楽」や「現代詩」など、「現代」を冠したものはいくつもあるのですが、
この「現代」というものはいったい何なのでしょうか。
「現代」という接頭辞は英語ではcontemporaryに当たると思いますが、contemporaryには「同時代の」という意味があります。
伝統的な古臭さにとらわれずに、同時代性に応える「新しさ」を備えたものこそが「現代〇〇」ということになるのでしょうが、
僕にはこれら「現代」を冠する文化が軒並み限界にぶつかっているように感じられて仕方がありません。
今回は現代アートを例にして考えてみたいと思っています。


何であれ、「ジャンル」というものは、伝統や歴史性を踏まえて発展していきます。
伝統や歴史性の理解を前提とした上での発展であるため、ある種の狭量さや排他性が存在するものです。
そこでは目的意識の集中によって強力な切磋琢磨がもたらされ、非常に高度なものが出現してくるメリットがある一方で、
伝統や歴史性に縛られると、狭い中でそのジャンルが煮詰まってしまうデメリットも目立つようになります。
また、伝統を前提としてしまうと、歴史性において利のある地域がどうしても優位に立ってしまいがちです。
さらに、その文化的な歴史性が国家権力に利用される結果になってしまうこともあったのです。
このような歴史や伝統、その上に成立した近代的な国家権力から自由であることを求めて「現代〇〇」というものが登場したように思います。


注意したいのは、歴史や伝統、近代的な国家権力からの自由を志向する場合、
たいていは資本主義と結託することになるということです。
「現代」という同時代的なものを重視する価値観において、資本主義経済の影響は無視できないものです。
芸術というと、経済から自立した領域であるかのように思われがちですが、「現代」と冠するもので資本主義イデオロギーに反しているものを見つけるのは難しいのではないかと疑います。


その意味で、資本主義が煮詰まってしまった現在、「現代〇〇」が例外なく危機に陥っているのは当然に思えます。
〈フランス現代思想〉に代表される現代思想が、口では資本主義批判を語りながら、
結局は消費資本主義を推し進めることに利用されたことは、もうすでに僕が何度も書いていることです。
現代アートなど他の「現代〇〇」にも同じような矛盾があると思います。
難しいままに言ってしまうと、資本主義とは矛盾を逆説として成立させてしまうシステムだからなのです。
私たちは矛盾を矛盾と感じないシステムに慣らされてしまっているのです。



「権威」という病

ネット民に支持を受けた人がネット批判をはじめた

最近インターネットで支持されてきた人がインターネットを批判する(もしくは悲観する)ことを目にするようになってきました。
わかりやすい例が「ゲンロン」を運営していた東浩紀です。
僕は同世代だったので初期のころから彼の活躍を知っているのですが、
1998年に『存在論的、郵便的』で注目を集めたあと、
網状言論などと言って出版よりネットでの言論活動を重視して、インターネット世代の代表としてオタクの肯定に勤しんでいました。
インターネット嫌いの僕は彼が世代の代表と思われることが本当に嫌でしたし、
そういう世の中から距離をとりたくて作品発表も断念していました。
しかし、最近の東はどうやらインターネットの未来を悲観するようになっているようです。
BLOGOSに掲載されている東のインタビューでは、ネットの古き良き時代を振り返る哀愁のオジさんという雰囲気で、このように述べています。


ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている。フェイクニュースとかポストトゥルースといわれていた現象で、これもいまはみなわかっていることだと思います。

このインタビューで東が「問題は「リアルタイム」が重視されすぎていることです」とか言うようになっているのが面白かったです。
(2003年に僕は、webを礼賛する東がデリダのリアルタイム批判を理解していないと批判していたのですけどね)
東はネットに夢を見たあとに「転向」して雑誌の形態へと戻り、「ゲンロン」を出版するようになりました。
ネットでしか見れないコンテンツで活動していた人が、あとになって出版に戻るのも考えが浅かったことの証明でしかありませんし、
「誤配」とか「切断の自由」とか言ってた人が、フェイクニュースの批判をするのも、
自分にその資格があるのか、しっかりとした反省をしてからにしてもらいたいものです。


彼の周辺人物も似たようなジレンマを抱えています。
初期インターネットにドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」を感じたと語っていた千葉雅也も、
最近ではインターネットを「民主主義幻想」として否定的に扱い、社会的地位を尊重しない人に対する苛立ちを隠しません。


率直に言うけど、若い人にとって僕は「目上の人間」なのであり、目上の人間が言うことに対する基本的尊重というものがなければ文化の歴史は崩壊する。そういうことがインターネットの民主主義幻想によってめちゃくちゃになってしまった。
午前0:55 · 2019年5月20日 · Twitter for iPhone

「目上の人間」の「基本的尊重」(まるで儒教道徳!)が「めちゃくちゃになってしまった」のは、インターネットのせいだと千葉が考えていることがわかります。
このように、インターネット肯定派であったはずの人々がインターネットに否定的な見解を示すように変わったのは興味深いことです。
僕自身はもともとインターネットには否定的ですし、SNSもAmazonレビューという手段を奪われたために仕方なく始めました。
その意味で彼らの方が僕の見解に近づいているのですが、ネット利用者を責めるだけの彼らの口ぶりからすると、
彼ら自身はどうして自分が「転向」するハメになったのか、あまり理解できていないように思います。
自分自身のやっていることを理解できていないから、のちに宗旨変えすることになるのです。


東や千葉という現代思想の人を取り上げたのは、それが現代思想の敗北を示していることを明らかにしたかったからです。
今回は彼らの「転向」もしくは「自己矛盾」から、インターネットをめぐる権威の問題を考えてみたいと思っています。



ポストモダンとは何だったのか──浅田彰『構造と力』を読み直す

ポストモダンのはじまり──思想のファッション化

のちに「ニューアカ」という呼び名とともに記憶される浅田彰の『構造と力』が出版されたのは1983年でした。
僕がまだ小学生の頃です。
『構造と力』は1981年から83年にかけて主に「現代思想」に掲載された文章によって構成されています。
僕が本書を知った時には「ニューアカ」を代表する浅田彰や中沢新一の評価はすでに固まっていました。
浅田は日本の現代思想を語る上で欠かせない人になっていたのです。


今でも彼の評価はそこそこ高いように思えますし、東浩紀や千葉雅也は彼の後継者(要するにエピゴーネン)として位置づけられ、「現代思想の終身雇用構造」(フランス現代思想系の若手研究者を未熟なうちからスター扱いしてチヤホヤする構造のこと)を形成してきました。
「ニューアカ」時代の浅田と中沢はまだ「助手」であったので、マスコミに代表される大衆の支持において権威のツリー構造を擾乱するポストモダン的な現象と言えましたし、
東浩紀もアカデミズムに安住せずにマスコミの世界へと転身したために、ポストモダンを生きていたと言えなくもないのですが、
國分功一郎や千葉雅也にいたっては、アカデミズムでの出世路線を確保つつマスコミ露出に励むことで、先輩たちのように社会との葛藤をしないで済ませる「権威に甘えたおぼっちゃん」の道を選んでいます。
こうした変化からもわかるように、日本のポストモダンは思想どころか「現象」としても完全にアクチュアリティを失いました。
今や「ツリー」的な終身雇用構造に依存した学者が「リゾーム」とかほざいているだけの詐欺行為が、〈俗流フランス現代思想〉として流通するだけになってしまいました。


日本には、海外のものを自己流にアレンジして(つまりは去勢して)受け入れ、それを国内の利権者が外的な「権威」として自らのために利用する構造が脈々と受け継がれています。
〈内実〉が排除されるのは「世代を越えた利権構造の維持」が目的でしかないからです。
この構造は仏教伝来から続いているので、まさに日本的構造(もしくは天皇制)と呼ぶにふさわしいものです。
(仏教の「日本化」については中村元『日本人の思惟方法』を参照ください)
天皇が〈内実〉なき象徴(権威)であるのは、それが外的な「権威」を起源としていることの証明と言えるでしょう。
西洋現代思想の日本受容も同様の道を辿っているだけのことで、そこには思想的〈内実〉などはなく、ただ利権構造があるだけなのですが、
批判的視座のない現代思想オタクはそのことが理解できずに利権崇拝に加担しています。


クリスマスやハロウィンを見ればわかるように、日本化した〈内実〉なき海外文化は端的にファッションでしかありません。
海外の「事情通」がヨーロッパの最新ファッションを紹介し、日本人はそれをアレンジしてモノマネをする、
それを何かクリエイティブであるかのように喧伝したい、
そんな卑屈な欲望に常に多くの日本人が動かされています。


現代思想に関していえば、単なる海外思想の「紹介者」でしかない三流学者が、海外の権威によるものを自身の能力であるかのように錯覚して「哲学者」とか「思想家」とか名乗っています。
つまり哲学研究者と哲学者の間には明確な区別がないのですが、
文学研究者が「作家」などと名乗ることがないことを考えると、「思想家」というものは本来「肩書き」ではないのだとわかります。
もともと思想というのは商売から縁遠い、プロの存在しないジャンルなのではないでしょうか。
(だからこそ思想分野の無能な研究者ほど能力ある在野の知識人を貶めたがるのだと思います)
研究者が「肩書き」をお墨付きとして思想を牽引している顔をしていることじたい、反思想的な営みだと考えるべきです。



現実逃避に俳句を利用するペテンの危険性

岐路に立つ俳句商業誌

俳句人口のうちのどれほどがシニア層になるのかわかりませんが、
世代ごとに俳句人口比率をわざわざ出さなくても、40代が「若手」と呼ばれる世界が高齢層に支えられていることは明白です。
つまり俳句界で商売をするには高齢層への目配りが必要になるのは今さら言うまでもないことです。
もっとマクロ的な話をすれば、テレビ番組の構成を見るまでもなく、日本全体においてマーケティングの関心が主に購買力のある高齢層になっています。
加えて出版という旧メディアに親しんでいるのは高齢層です。
このような事実を考えれば、俳句で商売を考えた場合、どうしたって高齢者を相手にしなければならないことになります。
出版市場に存在する俳句商業誌のほとんどが高齢層の購買によって支えられているのは間違いのない事実でしょう。


しかし、高齢の人は若い人より安定的な顧客とは言えません。
生物としての必然からより逃れ難いところにいるからです。
30年もすれば僕自身が立派な後期高齢者なのですから、僕より上の世代の方がどれだけ「現役」でいられるかは怪しいと言わざるをえません。
そうなると商売の安定化のためには若い顧客がある程度必要になるのですが、そこに一つ大きな問題が存在するのです。
高齢層と若い層とでは俳句に求めているものがかけ離れているということです。


ものすごく簡単に二分化してしまうと、
形式を固定化して日常実感や目に映った風景を俳句にすることが俳句だと考える高齢層(プレバト含む)と、
実感より詩的表現をめざすその裏で自己承認を求めて「作家」であろうとする若い層という感じでしょうか。
実感共有派と詩的ファッション派というふうにとりあえずはくくってみますが、
念のため僕はどっちも文学とは言いにくいと思っていることを表明しておきます。
ただ、どちらかというと詩的ファッション派には自らが高尚であると錯覚して偉そうにしている不愉快な俳人が多いとは思っています。


商業俳句誌の立場に立てば、現状のメイン購買層である高齢層を無視する紙面づくりはできません。
かといって、未来の読者にそっぽを向かれるのも困るので、詩的ファッション派の若い層にも目配りする必要があります。
その結果、「注目の若手」特集のようなものを企画して、ウケがいい人を適当に起用するということに落ち着きます。
「ウケがいい人」が誰に対してウケがいいのか、という問題もあるのですが、とりあえずそういうことをやっておけば、編集者としてはやることをやっている気分になれるわけです。
僕がここ数年の俳句商業誌を見たかぎりでは、このような発想を越えた内容があったようには思いません。



柄谷行人のポストモダン批判【その2】

ポストモダンという保守思想

前回に引き続き、柄谷行人のポストモダン批判について書いていきます。
柄谷は日本のポストモダンが、実は江戸時代の文化文政期や戦中の「近代の超克」の焼き直しであると述べています。
それについて見ていく前に、僕の〈フランス現代思想〉批判と柄谷の見解の共通点について再度確認しておきたいと思います。


僕は〈フランス現代思想〉の日本での受容が消費資本主義と歩調を合わせたものでしかなく、ポピュリズム的な「サブカル的転回」を果たしたのち、ナショナリズムに奉仕する結果になったと思っています。
このことについて柄谷がどう考えているかを探ってみると、1984年発表の「批評とポスト・モダン」という論考で、
ポストモダニズムが消費社会の論理を再生産するというフレドリック・ジェイムソンの主張を引用してはいるのですが、柄谷自身は「両者は基本的にちがっている」とあまりその考えに乗り気ではありませんでした。
しかし、2001年の『トランスクリティーク』の序文では、それが資本主義的な運動の代弁でしかなくなったことを認めています。
以下に引用してみましょう。


私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考──私自身それに加わっていたといってよい──が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。九〇年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコンストラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。

ディコンストラクション(脱構築)は〈フランス現代思想〉のポスト構造主義の代名詞のようなものです。
柄谷はそれがソビエトなど社会主義陣営が健在なときにだけ意味を持ったと言っています。
僕も消去されたAmazonレビューのコメント欄で、〈フランス現代思想〉はスターリン批判を背景にしたものでしかなく、今は北朝鮮にでも行って主張する以外に価値はないと書いたことがあります。
本当に似たようなことを言っていたんだな、と思います。
(そして、そう主張する僕が今でもマイノリティである以上、柄谷のポストモダン批判はどこかで誰かに握りつぶされたということになるわけです)


このあと、柄谷の文章は次のように続きます。


懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義・サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。

僕の言うことなど聞かなくても良いですから、未だに〈フランス現代思想〉などのポストモダン思想に価値があると勘違いしている人たちは、柄谷のこの文章をよく読んでから発言してほしいものです。
現代のポストモダン思想は全くもって保守的なものでしかないのです。
そのため、ポストモダンに乗っかった人間は案外簡単に保守へと鞍替えすることができるのです。
加えて言っておくべきことは、柄谷の言うポストモダン思想が「当初もっていた破壊性」というものは、日本において発揮されたことは一度だってありません。
本家の西洋に対して破壊性を持つ思想というだけのことで、日本においては歴史上に何度も登場した「よくある発想」でしかないのです。



柄谷行人のポストモダン批判【その1】

利権を超えられなかった柄谷のポストモダン批判

僕はAmazonレビューで〈フランス現代思想〉を俗流化した日本のポストモダン受容を批判してきました。
それに対し、千葉雅也や石田英敬、清水高志などの〈フランス現代思想〉系の学者などからツイッターで悪口を言われたのですが、
最近柄谷行人の著書を読み直してみたところ、僕が批判したような内容はすでに90年代に柄谷行人がすでに指摘していたことと重なっていたことがわかりました。
千葉雅也は僕を「ポストモダン嫌い」として貶めることに必死でしたが、さて、彼は同じことを柄谷行人にも言えるのでしょうか。


僕が権威を後ろ盾にせずに自説を展開していたのをいいことに、自らの不勉強を棚に上げて悪口を言う人の頭の悪さには同情を禁じ得ませんが、
せっかくなので僕と柄谷の見解が近いことをここで示しておこうと思います。
(もちろん、僕と柄谷の見解には異なる部分もあります)
しかし、柄谷のポストモダン批判は驚くほどに現代思想界隈では共有されていないのですね。
これは柄谷自身がポストモダン思想の導入に関係したため、あとになってそれを批判する作業に勢いがなかったということもあるとは思いますが、
当の柄谷自身にポストモダン批判に対する熱意が足りなかったことが最大の要因だと思います。
その後に20年以上もポストモダン思想が隆盛をきわめたこと、そして現在に同様の批判をした僕がどのような立場にあるかを考えれば、当時の柄谷の批判に耳を傾ける人はそれほどいなかったことが想像できます。
実際、柄谷のポストモダン批判を受け継いだ人は皆無だと言って良いのではないでしょうか。


僕は〈フランス現代思想〉に代表されるポストモダン思想が日本のナショナリズムを強める結果になったと思っています。
ざっくり説明すれば、ポストモダン思想は西洋近代を批判するものです。
つまり、西洋にとってみれば「自己反省」を意味することになるはずなのですが、
そもそもの〈フランス現代思想〉にも「反省」の姿勢があったかどうかというと大いに疑問が残ります。
というのも、結局はただのパラダイムシフトでしかなかったと思えるからです。



作品所有の欲望について

「基本的歌権の尊重」という批評殺し

まずは、あきれた話。
短歌ムック「ねむらない樹」というのを適当に眺めていたら、批評を殺したがっている若手歌人がいることを知りました。
「ニューウェーブ30年」というシンポジウムで人気歌人の穂村弘が語った話なのですが、
穂村は「基本的に若い人の方の考え方が正しいという発想」だと宣言しつつ、自分の批評が若手の寺井龍哉から「そういう批評はいまは無しなんですよ」と言われて困惑したというものです。


穂村はこの若手の言い分を、書かれた歌にはそれだけの理由があるから、最大限リスペクトして批評する必要がある、という「基本的歌権」みたいなものと理解しています。
僕はこの「基本的歌権」という穂村の言葉には皮肉があるように感じましたが、寺井自身はまったくそうは感じなかったようで、同誌の短歌時評でこう書いています。


それぞれの作品の背後には固有の必然性があり、評者の後追いのさかしらでは推しはかりきれないのものなのではないか、というのは、穂村が前出のシンポジウムで私との対話をもとに提示した「基本的歌権の尊重」なる新語の指す事態である。(原文ママ)


この文章で寺井は、言葉を「個人個人の間で断絶的に所有されるものであるという発想があるのかもしれない」と述べたあとに、服部真理子の文章を例として挙げ、
「言葉は誰のものでもない」と否定的な見解を述べて、批評を「無し」にする態度は自分自身のものではないという書き方をしています。
寺井が(口では)言葉は誰のものでもないと言っていますが、では短歌作品はどうなのでしょうか。
作られた短歌は誰のものでもない、とは寺井は書きません。
穂村の語るエピソードからすると、「基本的歌権」を穂村の意見であるかのように書いている寺井の文章にはどこか欺瞞があるようにしか思えないのですが、
その意見が誰のものであれ、短詩系の作者の一部が批判的な批評をつぶしたがっていることは僕の実体験からもまちがいないと言い切れます。
そこには、作品を自分自身の代理物として、たとえヘタクソでも尊重してほしい、という「甘え」が見え隠れしています。