南井三鷹の文藝✖︎上等

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『資本主義リアリズム』(堀之内出版) +『わが人生の幽霊たち』(ele-king books)マーク・フィッシャー 著/セバスチャン・ブロイ 河南 瑠莉 訳/五井 健太郎 訳

ニック・ランドと近い存在?

2018年2月に出版された本書『資本主義リアリズム』(原書は2009年刊)が、フィッシャーの著作を初めて日本語に翻訳した本だと思います。
僕が彼のことを知ったのも、書店でこの本を見つけたときになるわけですが、
驚いたことに、それより前の2017年1月にフィッシャーはすでに自殺していたのです。
2019年に『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』(原書は2014年刊)が続いて出版され、
彼の音楽ブログ「k–punk」を中心とした内容に触れることができるようになったのですが、
すでに著者が死んでしまっていることで、皮肉にも日本の読者にとってフィッシャーはまさに「憑在論」的な現れ方をしているように思います。
(憑在論についてはあとで触れます)


では、フィッシャーとはどんな人だったのでしょう。
フィッシャーはイングランドにあるウォーリック大学の哲学博士過程に在籍していました。
当時、ウォーリック大学には加速主義という言葉とともに最近日本でも紹介されているニック・ランドが講師をしていて、
ランドはセイディ・プラントや学生たちとサイバネティック・カルチャー・リサーチ・ユニット(CCRU)を形成していました。
CCRUにはいろいろな面々が参加していたようなのですが、
フランス現代思想系のポスト・ヒューマニティーズに共感するレイ・ブラシエやイアン・ハミルトン・グラントなどの名前もあります。
フィッシャーもこのCCRUに参加していたため、ランドの影響を受けた人物として取り上げられているのですが、
資本主義に対する態度としてはフィッシャーとランドの方向性は少し違うような印象です。


加速主義については「現代思想」2019年1月号に水嶋一憲による説明があるので引用しておきます。


加速主義を駆動している動機は、資本主義の過程を加速すること、いいかえれば、資本主義の潜勢力を十二分に引き出しながらそれを疲弊・消尽させることを通じて、資本主義を超える何かにアクセスするための道筋を開くことである。

要するに資本主義の駆動力を利用して資本主義を超える、もしくは人間を超えることを妄想する思想なのですが、
僕はこういうものを一笑に付すこともできなくなったところに、
現代思想というものが水面下で維持してきた資本主義との共犯関係を、とうとう表面化させて開き直ったように受け止めています。
〈フランス現代思想〉とりわけドゥルーズ=ガタリの思想が、日本では消費資本主義のイデオロギーとなって出版利権化したことは、僕がさんざん書いてきたことです。
そのドゥルーズ=ガタリの「脱コード化」の一面だけを強調した加速主義が、資本主義を原動力にして旧体制を解体するという思想であるのは当然だと思います。
ちなみに日本でも千葉雅也がドゥルーズ=ガタリの「脱コード化」(=切断)ばかりを強調したという点で、
ニック・ランドと近い立場にあったことを記しておく必要があります。


ランドは旧体制を破壊する力として資本主義を肯定しているため、市場原理を信奉するリバタリアンと結びついたりしているのですが、
フィッシャーの著書を読むと、彼はランドとはだいぶ異なった思想の持ち主で、ドゥルーズよりデリダやマルクスに共感する反資本主義の立場にいるように思えます。
フレドリック・ジェイムソンとスラヴォイ・ジジェクの言葉「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」を、
フィッシャーが共感をもって『資本主義リアリズム』で引用していることにも、彼の左派的傾向がよく現れています。
『資本主義リアリズム』の中でフィッシャー は、ランドの言説を「楽天的なもの」と評しています。
語り口に共感は見られますが、その考えには明確に反対しています。



『ポイント・オメガ』(水声社) ドン・デリーロ 著/都甲 幸治 訳

映像時代の作家

僕は文学より思想や社会関係の本を読むことを優先しています。
そのため、新作が出ると必ずチェックしたいと思う現代作家は、もうミシェル・ウエルベックとドン・デリーロとエリザベス・ストラウトと生来有一の4人だけになりました。
あまり共通する傾向がないように思えるのですが、僕の興味がスキゾかつパラノであるのはいつものことなので、あまり気にしていません。
そういえば、他の3人は佐野波布一時代のレビューで取り上げたことがあるのですが、デリーロには初めて触れるような気がします。


ドン・デリーロはイタリア系の移民を父に持つニューヨーク生まれの作家です。
ノーベル賞候補という声もある作家ですが、作品の難解さのためか過去の代表作はほとんど絶版になっています。
出世作の『ホワイト・ノイズ』の新訳が刊行予定らしいので、再評価されることを望んでいます。
ポール・オースターが『リヴァイアサン』を出版したときにデリーロへの献辞を書き、
デリーロが『コズモポリス』でオースターへの献辞を書いたため、二人の親交もよく知られています。
オースターはユダヤ系移民の子孫ですが、二人には移民という出自と映像時代の作家という共通点があるように思います。


『ポイント・オメガ』は150ページとそう長くない小説なのですが、筋を説明して小説の魅力が伝わるとは思えない困った作品です。
とにかく無駄な部分があるように思えないのです。
その作品構成を説明すると、
冒頭に「匿名の人物 Ⅰ」という短いパートが置かれています。
続いてメインストーリーが4章に分かれていて、これがメインパートになっています。
最後に「匿名の人物 Ⅱ」という冒頭と呼応する短いパートで締められます。
要するに、2つのバンズでメインディッシュを挟み込むハンバーガーのような構造になっているのです。

細部までデリーロの思索の跡を宿したこの小品は、すべての場面を説明したくなる小説であり、何一つ説明できない気にさせられる小説です。
今回、意を決してこの作品について数行書き始めたあとにも、苦戦が続いて、すでに2回読み直しました。
何度読んでも解決できない部分が大きく残される作品で、下手にまとめると陳腐なことを言いそうなのですが、挑んでいこうと思います。