南井三鷹の文藝✖︎上等

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現代アートへのレクイエム【その1】

「現代」ということの意味

「現代アート」や「現代思想」、「現代音楽」や「現代詩」など、「現代」を冠したものはいくつもあるのですが、
この「現代」というものはいったい何なのでしょうか。
「現代」という接頭辞は英語ではcontemporaryに当たると思いますが、contemporaryには「同時代の」という意味があります。
伝統的な古臭さにとらわれずに、同時代性に応える「新しさ」を備えたものこそが「現代〇〇」ということになるのでしょうが、
僕にはこれら「現代」を冠する文化が軒並み限界にぶつかっているように感じられて仕方がありません。
今回は現代アートを例にして考えてみたいと思っています。


何であれ、「ジャンル」というものは、伝統や歴史性を踏まえて発展していきます。
伝統や歴史性の理解を前提とした上での発展であるため、ある種の狭量さや排他性が存在するものです。
そこでは目的意識の集中によって強力な切磋琢磨がもたらされ、非常に高度なものが出現してくるメリットがある一方で、
伝統や歴史性に縛られると、狭い中でそのジャンルが煮詰まってしまうデメリットも目立つようになります。
また、伝統を前提としてしまうと、歴史性において利のある地域がどうしても優位に立ってしまいがちです。
さらに、その文化的な歴史性が国家権力に利用される結果になってしまうこともあったのです。
このような歴史や伝統、その上に成立した近代的な国家権力から自由であることを求めて「現代〇〇」というものが登場したように思います。


注意したいのは、歴史や伝統、近代的な国家権力からの自由を志向する場合、
たいていは資本主義と結託することになるということです。
「現代」という同時代的なものを重視する価値観において、資本主義経済の影響は無視できないものです。
芸術というと、経済から自立した領域であるかのように思われがちですが、「現代」と冠するもので資本主義イデオロギーに反しているものを見つけるのは難しいのではないかと疑います。


その意味で、資本主義が煮詰まってしまった現在、「現代〇〇」が例外なく危機に陥っているのは当然に思えます。
〈フランス現代思想〉に代表される現代思想が、口では資本主義批判を語りながら、
結局は消費資本主義を推し進めることに利用されたことは、もうすでに僕が何度も書いていることです。
現代アートなど他の「現代〇〇」にも同じような矛盾があると思います。
難しいままに言ってしまうと、資本主義とは矛盾を逆説として成立させてしまうシステムだからなのです。
私たちは矛盾を矛盾と感じないシステムに慣らされてしまっているのです。