南井三鷹の文藝✖︎上等

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『操られる民主主義』(草思社)ジェイミー・バートレット 著/秋山 勝 訳

デジタル・テクノロジーが社会を破壊する?

本書の著者のバートレットはイギリスのソーシャルメディア分析センターのディレクターなので、インターネットの専門家と言えると思います。
原題の直訳が『「国民」対「テクノロジー」:インターネットはどうやって民主主義の息の根をとめるのか(そして、いかにして民主主義を救い出すのか)』となるので、
デジタル・テクノロジーによる社会変化の負の側面を主に取り上げた本と言って良いでしょう。


本書はインターネットやAI、ハイテク企業の問題点を的確に指摘しているのですが、僕自身は驚くような恐怖が描かれているという印象は持ちませんでした。
日本の民主主義がイギリスより未熟なせいなのかもしれませんが、インターネットの存在とは関わりなく、大衆などそんなものだと思っているのかもしれません。
しかし、このような本を読むときに、人間がそうなるのはテクノロジーのせいなのか、そもそも人間とはそういうものなのではないのか、と疑っておくことは重要だと思います。
穏当な結論は、人間はもともとそういうものだが、インターネットはそれを増幅している、というものでしょう。
この発想は多くの人が受け入れやすいものでしょう。


テクノロジーは人間を安楽へと誘導します。
もう我慢しなくていいんだよ、と甘言を弄して、僕たちの行為への敷居をどんどんと低くしていきます。
こうして書いたものが人の手に渡るとき、大昔はすべてを書き写す労苦がありましたが、印刷術の発達によって大幅に作業が短縮されるようになり、インターネットによってとうとう即時的に世界中に発信することができるようになりました。
考えてみればおそろしい進歩ですが、僕たちはすぐにテクノロジーを自らの能力の拡張として把握してしまう、つまりは慣れてしまうのです。



『個人空間の誕生』 (ちくま学芸文庫) イーフー・トゥアン 著

実際の原題は「分節化世界と自己」

邦題は『個人空間の誕生』となっていますが、本書に「個人空間」の考察を期待して読んでみると、物足りなさが残りました。
そこで原題を見てみると、「Segmented Worlds and Self」とありますので、「分節化された世界と自己」の方が正確かもしれません。


著者のイーフー・トゥアン(段義孚)は天津生まれですが、アメリカの大学で学位を取得し、
人間主義的地理学の創建者とされているそうです。
西洋の異邦人であるトゥアンは、西洋を相対化する視点を持たざるを得なかったため、
本書の分析もどこか外から西洋を眺めているような冷静さ(というか冷淡さ)が感じられ、
考察が終始理知的で非常に明晰な論考になっています。


ところどころに中国人の空間意識についての考察があるのですが、実は僕はこちらの方が冴えたことを言っていると感じました。
考えてみれば、トゥアンは中国にとっても内なる異邦人として、広い視野から考察できる立場にあったのです。