南井三鷹の文藝✖︎上等

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なぜ日本でポストモダンは「保守」になったのか【後編】

「去勢」された自慰的動物

これまで丁寧に見てきたように、「ポストモダン思想」は、消費行為に依存するオタクを、「思想色」で美化する役割を果たしました。
もはや現代思想は、実態を美しく加工するための「外見修正アプリ」の一種でしかなくなったのです。
そこには思想的な「意味」の正確さも内実も存在していません。
ただ後ろ暗いものを隠蔽するための「粉飾ファッション」があるだけです。



なぜ日本でポストモダンは「保守」になったのか【中篇】

『動物化するポストモダン』を読み直す

2000年を過ぎて、現代思想は「ポストモダン」となり、左翼的な批判思想から同質性に依拠する保守的なオタクの消費物へと変化しました。
支配的なシステムを擾乱する思想が、サブカル領域へと移行して、システムを保守する思想になってしまいました。
このような保守化の流れを確認するために、いま一度東浩紀の『動物化するポストモダン』を丁寧に読み直してみようと思います。



なぜ日本でポストモダンは「保守」になったのか【前編】

そもそもポストモダンは左翼思想

80年代以降のジャーナリズムで隆盛した「ポストモダン」という時代区分は、〈フランス現代思想〉の日本的受容と深い関わりを持っています。
日本で「ポストモダン思想」といえば〈フランス現代思想〉のことになりますが、
その受容のされ方は本場と異なった独特の意味合いを持っていました。
しかし、ジャーナリズム上の論考では、西洋の「ポストモダン思想」が日本にそのまま適用できる前提で語られています。
中身が本場と全然違っていることは、議論の対象になっていません。
その結果、日本的でしかない思想をいまだに西洋思想として扱っています。