南井三鷹の文藝✖︎上等

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丸山眞男に学ぶ日本の精神病理

忘れられた戦後思想のツケが大学改革に影響している?

今回は丸山眞男の「軍国支配者の精神形態」(1949年)と「超国家主義の論理と心理」(1946年)について書こうと思っているのですが、
キッカケは思想とは直接関係のない本を読んだことでした。
(どちらの論考も『丸山眞男セレクション』(平凡社ライブラリー)に所収)
丸山などの戦後思想は僕が物心ついたときにはほとんど読まれていなかったと思います。
プルデューに言及したりして左翼を自認する大学教授が、ろくに丸山を読んでいなかったことに驚いたこともあります。
ポストモダニズムは欧米では自己批判の思想ですが、日本では自己批判的な意味を持つ戦後思想を過去へと追いやり、
バブル景気を背景に日本を肯定する役割を果たしました。
しかし、戦後思想は役割を終えたわけではなく、現在も解決されない問題として残り続けています。


それが最近出版されたある本に示されていました。
大学受験制度が来年から共通テストという新方式に変更されるにあたり、
英語の民間試験導入や国語の記述式回答などで文部科学省への批判が相次いだのは、記憶に新しいところです。
そんなこともあって、佐藤郁哉の『大学改革の迷走』(ちくま新書:2019年)を読んでみたのですが、
意外にもその中で丸山眞男の「無責任の体系」が出てきたのです。


せっかくなので少々回り道をして、佐藤の本についても少々触れておきます。
佐藤は文科省などが主導する大学改革が、なぜ迷走しているのかを考察しています。
最初に、大学の履修登録の資料となる「シラバス」が、手本であったはずのアメリカのsyllabusと全然違うということを取り上げます。
電話帳のようなシラバスや、桐の箱に入れられたシラバスなど、アメリカ人が見たら目を見張ることでしょう。
そのような事態になってしまったのは、文科相やその諮問機関である中央教育審議会からの「御意向」を、
大学側が「忖度」した結果だと、佐藤は指摘します。


こうしてみると、日本の大学は、文科省が改革度を測るモノサシとして設定してきた各種の基準などを元にしてシラバスの理想形について「忖度」しながら、教員たちのシラバス作成やその監視・修正の作業を進めてきた、ということが言えそうです。(佐藤郁哉『大学改革の迷走』)

次に佐藤は、もともと工場の品質管理に用いられていたPDCAサイクルという言葉が、
大学改革関連の文章の中で使われるようになったことについて検証します。
工場で作られる製品に適用される方法が、どうして教育機関に持ち込まれたのか不思議になりますが、
どうやら文科省がビジネスの世界を参考にして大学改革を進めようとしたことに原因があったようなのです。
ここで佐藤は、早稲田大学ビジネススクール教授の山田英夫の「フレームワーク病」という言葉を紹介しています。


山田氏は、日本というのは、新奇なビジネス用語やフレームワークが次から次へと海外(主に米国)から輸入されて流行してきた「不思議な国」であるとします。また、日本のビジネスパーソン(特に若い人々)には、その流行に乗らないと取り残された気分になってしまったり、単に用語を使うことで分かったような気になってしまったりする傾向があるとし、それを「フレームワーク病」と呼んでいます。(『大学改革の迷走』)

この「フレームワーク病」に思い当たらない日本人は少ないと思います。
海外から形式だけを輸入してその内実に関心を払わないために、実質的な効果がなくなってしまうのが「フレームワーク病」です。
こうして内実のない形式だけが大流行します。
海外の影響を形式上にとどめて、自己都合の「翻案」をするのが日本人の特徴でもあります。


日本における大学改革の不幸は、政府あるいは内閣府や文科省などの府省が、外来のモデル(と一見そのように見えるもの)を付け焼き刃的に借用した上で大学現場に対して押しつけてきた、というところにあります。(『大学改革の迷走』)

海外のモデルを一次的権威として、国内の政府や府省が二次的権威となって、より下方へと権力的な振る舞いをする、
これを僕は広い意味での天皇制メカニズムだと考えているのですが、この権威主義的メカニズムについてはあとで取り上げます。
佐藤は、文科省や中教審などが、PDCAをきちんと理解せずに大学に押しつけたことと、
大学側が民間経営手法の「劣化コピー」に従うか従うフリをしたことを批判します。
ここには僕が〈内実に対するニヒリズム〉と名付けた日本人の表層執着志向が見られます。



趣味空間の全般化という〈日本安楽主義〉【その2】

大学の官僚化に絶望した藤田

今回もひきつづき藤田省三の『全体主義の時代経験』を読むことで、80年代以降の日本社会の閉塞感について考察していきます。
すべてを貨幣という一元的価値へと還元していく資本主義を、藤田が現代の全体主義として捉えた「全体主義の時代経験」という文章に触れてから、「「安楽」への全体主義」の内容へと移ろうと思います。


前回の【その1】で、藤田が71年に法政大学教授を辞した理由がよくわからないと書きましたが、
最近になって青土社の「現代思想」2004年2月号の藤田省三特集を手に入れたところ、
同じ法政大学法学部教授だった飯田泰三の「藤田省三の時代と思想」という文章に当時の藤田の事情が書かれていたのを見つけました。
そこにはイギリス留学から帰国した藤田が、大学紛争に当事者として関わったことが書かれています。
飯田は藤田の辞任について、大学紛争に疲れたからではなく、高度成長の下で知識人の知的頽廃が進んだことが影響した、と考えています。
藤田は「「大学」という虚構の特権的制度の中で「教授」として生活していくことに、もはや精神的に耐えられなくなった」のです。
飯田の考察は僕の推測とそう変わらなかったので、少し安心しました。



趣味空間の全般化という〈日本安楽主義〉【その1】

ナルシシズムは批判の存在自体を抹消する

戦後思想家で僕が評価している人を挙げてくれと言われたら、迷いなく藤田省三と答えます。
丸山眞男の教え子に当たり、60年安保闘争にも関わった人なので、左翼思想家として片付けられてしまうのかもしれませんが、
僕のようにイデオロギー闘争から遠く離れた世代にとっては、そういうことは重要ではなく、単に知的に優れているかどうかが決め手になります。
僕が大学に入った時は構造主義、ポスト構造主義が「現代思想」でしたので、戦後思想が話題になることはあまりなかったと思います。
しかし、藤田が一般にどの程度知られているのかということについては心許ない気持ちにならざるをえません。
その上、晩年の藤田省三は高度経済成長以後の日本社会に肯定的でなかったこともあって言論界の表舞台から身を引いていたので、丸山と比べても日陰の存在になってしまった感があります。
しかし、藤田の書いていることは今読んでも全く古い感じがありません。


戦後思想には敗戦体験を通奏低音として、戦前までの日本に対する批判を行なったものが少なくありません。
日本病理の本質とも言えるナルシシズムの問題に迫りえた思想は、戦後思想をおいてほかにないと僕は思っています。
しかし、高度経済成長を経て敗戦の傷を忘れ始めると、封印されていた魔物がよみがえるように、抑え込まれていたナルシシズムが顕在化するようになりました。
その欲望を決定的にしたのがバブル経済であり、思想史的にはポストモダンというものです。
その意味でポストモダン思想とナルシシズムは密に結びついているのですが、戦後史を勉強していない千葉雅也というオタク学者は、僕がナルシシズムで何でも断罪しているなどと文句を言い、己の教養の程度をさらけ出していました。
戦後思想の理解がない人には、ポストモダン思想がナルシシズムとして断罪される必然性がわからないのです。
こういう無知蒙昧の輩がインテリ面をしていられるのは、ここに思想的「断絶」があるからです。
歴史性に欠けた知的「断絶」を平然と生きている人が、海外思想を教科書的に用いて「切断」などと騒いでいるところに、「現代思想」がいかに茶番であるかが窺えるわけです。