南井三鷹の文藝✖︎上等

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芸術で現代に挑むために

ポストモダンという「近代=世界大戦」批判の恣意性

1990年の冷戦構造崩壊以後、資本主義一強体制となってから、文学は世界的に衰退しています。
それは2016年のノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞したことでも明らかです。
日本ではいまだ「純文学」を扱う文芸誌が存在し続けてはいますが、吉本興業のお笑い芸人が芥川賞を受賞したことで、
出版社にとっては、文学そのものより文芸誌や芥川賞の生き残りの方が重要であることがハッキリしました。
社会性に欠けた研究者をスター扱いする思想界を含めて、出版業界を中心とした文学や思想の形骸化は決定的な局面にあると思います。



『大江健三郎 柄谷行人 全対話』 (講談社) 大江健三郎・柄谷行人 著

20年という歴史なき時間

ノーベル賞作家の大江健三郎と批評家の柄谷行人の対談本です。
本書には3回分の対話が収められていますが、実際にこれらの対話が行われたのは、
大江がノーベル文学賞を受賞した1994年前後に集中しています。
優に20年以上が経っているので、いまさら本にするのかという感じはありますが、
内容の古さを懸念した柄谷が「読み返してみると、別に古びた感じはしなかった」と書いているように、
あまり20年の時間を意識せずに読むことができました。


ただ、二人の対話を古く感じないことがいいことなのかは疑問が残るところです。
端的に文学が20年以上も停滞しているだけだとも言えるからです。
文学だけではありません。
政治にしても思想にしても、この20年の間に停滞を続けているというのが現状です。



「現在」に依存する「甘え」を許すな

無知な「若手」俳人のワガママはもうたくさんだ

50歳以下の人を「若手」と呼ぶのもどうかと思うのですが、
『新撰21』(邑書林)以後に頭角を現した若手俳人たちの多くには共通する「病理」が感じられます。
簡単に言えば、自分の作品を「俳句」であると言いたがるくせに、
俳句の歴史や詩型の制約からは自由にさせてくれ、というものです。
彼らは俳句の因習から自由な新しい俳人を気取っていますが、その実ただ俳句の資産にぶらさがってアンモラルなことを貪っているだけに終わっています。
大きなものには守られたいが、その中では好きにやりたい、という発想は、ガキっぽい「病理」とも言えるものなのですが、
商業主義に走る俳句出版界では彼らが新しいことをやっている若手であるかのように捉えています。
冷静に見れば堕落しただけの作品を、新しい潮流であるかのように扱い、
それを大御所たちが見て見ぬ振りをしているというのが現状です。
日本の内輪組織のアンモラルさについては、最近のスポーツ界ではかなり表面化しているのですが、
同じく因習を維持している伝統文学の世界では、一般人の注目が低いのをいいことに、同様の問題に対して批判精神が薄いように思います。



『相互批評の試み』 (ふらんす堂) 岸本 尚毅・宇井 十間 著

相互性に欠けた「相互批評」

本書は岸本尚毅と宇井十間という二人の俳人が、往復書簡の形式で俳句について語り合ったものです。
「相互批評」という言葉が意味するものがよくわからないので評価が難しいのですが、
そもそも「相互」というならば、その両者の実力にはある程度拮抗したものが必要となるのは言うまでもありません。
しかし、僕が読んだ印象では、宇井の持論というか個人的見解を岸本が深い洞察においてたしなめつつ受け止めるという展開で、
知性と俳句に対する深い理解に関して両者の実力の差がはっきり現れていたように感じます。



『古代インド哲学史概説』 (佼成出版社) 金岡 秀友 著 【その3】

六師外道と仏教の登場

紀元前6世紀になると、アーリヤ人が東へと移住するようになり、混血化が進んでアーリヤという実態は薄まっていきました。
それとともに、ブラフーマナ中心の貴族政治からクシャトリヤによる国王統治へと政治体制も変化しました。
小工業も発達し、のちにこれらの層が仏教を支持するようになるわけですが、
仏教に先行してまずは「六師外道」と呼ばれる多様な思想家が活躍をしました。