南井三鷹の文藝✖︎上等

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たかが俳人されど俳人

コンプレックスを埋めるためのドーピング

この文章は本当はTwitterでつぶやきたかったのですが、
あまりに長くなりすぎるので、不本意ながらブログを使うことにしました。
俳句に興味のない読者は読み飛ばすことをお勧めしますが、
文学や詩の現状を知る手がかりにはなるかもしれません。


最近、安里琉太という1994年生まれの若い俳人が、処女句集『式日』を出しました。
帯文には「到来し、触発する言葉」とか「書くことは、書けなさから始まっていると、今、強く思う。」とか、
安里当人の言葉かわからないのですが、フランス現代思想にでも憧れてしまったかのような浮ついた言葉が踊っています。
(これを見て福田若之『自生地』のデリダってる自意識を思い出してしまいました)
私が書くのではなく、言葉の方から到来したのだ、ということなのでしょうか。
こういう宣伝文句から「自称詩人」感があふれているのですが、いやいや、これは若い人の句集でしかありません。