- 2018/11/22
- Category : 南井三鷹の言ってみた
平気でデタラメを書く仲正昌樹というアカデミズムの恥部
論理を操れず罵倒するだけなのに「学者」を名乗る売文屋
先頃、金沢大学教授の仲正昌樹が講談社現代新書から『ヘーゲルを越えるヘーゲル』を出しました。
仲正は〈フランス現代思想〉を専門にしているとも思えない(彼の留学先はドイツです)のに、フランスのポストモダン思想関連の本をたくさん出しています。
まともなアカデミシャンなら到底ありえないことですので、現代の売れ筋の思想に媚びて本を売っている売文屋であると僕は思っています。
(この人の専門的な思想書を本屋で見かけたことがあるでしょうか。それよりも参考書的な講義録みたいな本ばかり出している印象です)
「越える」と書いたところでヘーゲルを基軸にした本ではあるわけですから、やはり節操がないと感じるのは当然ではないでしょうか。
マルクス・ガブリエルの著書のセールスが好調だったことで〈フランス現代思想〉の旗色が悪くなってきたために、ドイツ思想を看板にしてアピールするという売文屋らしい変わり身への意志を感じました。
そこで僕は仲正の軽薄さを批判するツイートをしたのですが、それに対して仲正が明月堂書店とかいうよく知らない出版社のブログで僕への文句を書いていたのを発見しました。
それがきちんと反論をするでもなく、単に僕に対して「バカ」とか「おバカ」とかを連発するだけの罵倒で構成された上に、ネット経由で得たであろう誤った情報を垂れ流した内容だったのです。
「月刊極北59回」の仲正の文章の中から僕について書かれた部分を以下に引用します。
最近出した拙著『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)に対して、「南井三鷹」というバカが、読みもしないで、タイトルと、著者である私についての雑な印象だけで、失礼な決め付けツイートをしていた。この男は以前「佐野波布一」を名乗り、千葉雅也氏を主要ターゲットにして言いがかりをつけていた。例えば、千葉氏を中心に編集された雑誌の現在思想系の特集を読みもしないで、駒場人脈の書き手ばかり採用している、千葉一派による思想論壇の支配に反対する、というようなことをamazonレビューなどに書いて、悦に入っていた。かなり狂っているが、自分だけは論壇・文壇のために戦う闘士のつもりのようである。そのおバカの三鷹曰く、
反ヘーゲルのフランスポストモダンにすり寄って商売していた仲正昌樹が新たにヘーゲルの新書を出したようだ。こういう信念のない商売人の本を支持する人に思想の素養はない。
↓
そして出版社はいつまでもこういう寄生虫が大好きだ。なぜずっとヘーゲルを研究してきた人に本を書かせないのか。内実のない本を出版して人々を愚民化している出版社よ、罪を数えろ。
↓
こういう低レベルの人を起用するならネットでいいじゃないか。出版社はもっと高付加価値なものを高値で売る西欧のブランドのような商売をしないとネットに飲み込まれるだけだ。
この三つのツイートだけで、この男が逆恨みの権化であること、出版業界に関して非論理的な妄想を抱いていること、および、「思想史の基本が全く分かっていないこと」を、自ら暴露してしまっている。バカの三鷹は、佐野波布一時代に、吉本隆明の専門家を装っていたが、この調子だと、吉本の主要テクストのどれ一つとして理解していないだろう。「方法論」を学ぶ意義が分からないまま、学者の世界のことについてああだ、こうだと言っていると、こういうどうしようもない廃棄物になってしまう。
とまあ、こんな具合なのですが、この文章を読んでみて、どうして僕が「バカ」と言われなければいけないのか、誰か理解できる方はおられるのでしょうか?
僕には全くわかりません。
仲正がヘーゲル以降の思想家を扱っていようが、僕がツイートで文句を言ったのは「ヘーゲル本」の体裁で著書を出版した態度についてです。
僕はタイトルを中心として批判しているのですから、「タイトルだけで」と文句を言うのは的外れもいいところで全く反論になりません。
題名に「ヘーゲル」とつけたくせに、内容はヘーゲルと関係がないとでも言うのでしょうか。
(というか、ヘーゲルの現代思想への影響という本でしたけどね)
これはヘーゲルの本ではない、とか、フランスポストモダンにすり寄っていない、と反論するでもなく、はたまた、自分はずっとヘーゲルを研究してきた、と強弁するでもないのに、どこについて僕をバカ扱いしているのか意味がわかりません。
「思想史の基本が全くわかっていない」とか書いてますが、これについても僕の発言のどこがそう言えるのか、説明はありません。
仲正は相手を故意にバカにしたいのでしょうが、仲正の著書の内容はだいたい僕がすでに知っている内容でしかありませんでした。
〈フランス現代思想〉がコジェーヴのヘーゲル講義をベースにしていることは常識ですし、ラカンへのヘーゲルの影響についてはすでに僕はどこかで書いているはずですし、アメリカのヘーゲル・ルネッサンスについても触れたことがあったはずですし、ブランダムの本も一応は読んでいます。
(佐野波布一時代の『ヘーゲルと現代社会』のレビューなどを読めばわかることです)
創造性のない当たり前の概説本で売文をする脳しかない人の本など「読んでない」からといって文句を言われる筋合いはありません。
むしろ、概説書ではなく「読みたくなる」内容の本を書いてみろ、と言いたいところです。
要するに、仲正は権威を頼りに「上から」のポジションを維持しているだけで、反論の材料も僕をバカ扱いする材料も皆無なのです。
これだけ見ても、僕がツイートした「内実のない」という彼に対する評価がいかに妥当であるか理解できるというものです。
だいたい仲正が商売にしている概説書の主たるターゲットは、彼がバカ扱いする「思想史の基本が全くわかっていない」素人です。
もし仲正が教育者なら、そういう人間を「バカ」と罵るのではなく、そんな「バカ」にも理解できるように説明をするのが仕事なのではないでしょうか。
しかし彼は説明すらすることなく、自分勝手な解釈に基づいて偉そうに相手に悪口雑言を浴びせるわけです。
こんな態度をとられたら、彼が教育者でないことはもちろん、自分の客をバカだと思いながら金をむしり取るために書いている売文屋だと理解するほかありません。
僕の考えが間違っているでしょうか?
教育者としての姿勢も持たないこのような人が「学者の世界」とか言うのも笑うしかないのですが、
それ以上に問題なのは、仲正に「学者」を名乗るだけの資格など全く存在しないということです。
なぜなら、学者というものは丹念な研究によって「事実」を探求するべき存在だからです。
それなのに仲正が僕について書いていることは大嘘だらけで、「事実」をこれっぽっちも重視しようとしていないのです。
これでは彼が自分が反論できないことをごまかすために、自らのチンケなプライドを守るために嘘を書いてでも批判者を貶めようと必死になっている、と受け止められても無理はありません。
その前に、仲正昌樹と僕とでは発信力には大きな差があります。
彼には発信力があるので(力に物を言わせて)デタラメなことを軽率に書いてもいいと思っているようですが、こういう「事実」よりも著名人という権力(発信力)による嘘を手段としてやすやすと用いる人間に、学問などできると僕は思いません。
もし仮に僕が彼の本を「読んでいない」ことで失礼なことを言った「バカ」であるとしても、それなら「2ちゃんねる」の匿名の書き込みを信じてそのまま書くような仲正のような人間は「大バカ」と言われても仕方ないと言えるでしょう。
ネットの書き込みに文句を言いながら、当の自分は間違ったネットの書き込みを無条件に信用して文句に使っている、 それが「学者の世界」にふさわしい態度であるとするなら、どれだけ学者というのはクズなのでしょうか。
ネットの誤った書き込みを信じるリテラシー無き「大バカ」
一応、仲正の間違いについて説明をしておきましょう。
僕が佐野波布一時代に雑誌「現代思想」のレビューで千葉一派の内輪企画を批判したのはその通りですが、「読んでいない」と書いただけで実際は読んでます。
これについてはAmazonレビューのコメント欄でイチャモンをつけてきた人物とのやりとりで書いたのですが、僕のAmazonレビューが全削除されたためにコメント欄も消えてしまったのです。
また、それ以上に仲正がわかっていないのは、その時の僕のレビューには圧倒的に「参考になった」票が集まり、共感コメントが多く寄せられ、結局それ以後1年近く千葉雅也が「現代思想」に登場しなくなったという「事実」です。
つまり仲正は「千葉一派による思想論壇の支配に反対する、というようなことをamazonレビューなどに書いて、悦に入っていた」とリアルタイムで見てきたように書いていますが、明らかに同時的な現象としては知りもしないか、もしくは事実の捏造をして書いているのです。
いくらネットに掲載した文章だからって、真面目な学者であればこんな嘘だらけのことを書いて良心が咎めないはずがありません。
仲正はこれからも信用ある学者でいたいなら、早々に間違いを認め、僕に謝罪してください。
(もちろん、僕が書いた通りのチンケなプライドの持ち主であればそんなことは絶対にできはしないでしょうけどね)
僕の引用されたツイートから「逆恨みの権化」であることがわかるらしいのですが、僕が誰をどうして逆恨みしないといけないのか、またも中身がないために理解できないんですよね。
こういう裏付けのない空疎な言葉を平気で書いてしまうこと自体、仲正に学者としての「信念がない」ことの現れに僕には思えるのですが、どうして仲正当人は自分の文章を読んで疑問を感じないのでしょう。
また、明月堂書店というところも自社がアップしたブログがこんなデタラメを記載したものであることに疑問はないのでしょうか。
僕は仲正が金沢大学という地方にいることから、中央へのコンプレックスがあると感じています。
少し考えればわかることですが、だいたい売文屋になる研究者は学界での評価が高くはないものです。
(売文をしている間には研究活動なんてできるはずもないのですから)
実力が学界で認められていないからこそ、たかがネットの素人の批判でしかないのに、事実を言われると不安になってしまうのです。
本当に実力があるなら、ツイッターのフォロワーが40人くらいの素人の批判なんか意にも介さないはずなのです。
仲正が素人の批判にやたらと感情的になるのは、彼が単なる売文屋でしかなく、アカデミックな世界で認められるほどの実力がないからではないでしょうか。
(こんな人が認められていたら、それはそれでアカデミズムそのものがもっとヤバいとも言えるわけです)
仲正の大嘘はこれだけではありません。
その先に書かれている吉本隆明のくだりなどは決定的なデタラメだと言えます。
「バカの三鷹は、佐野波布一時代に、吉本隆明の専門家を装っていたが、この調子だと、吉本の主要テクストのどれ一つとして理解していないだろう」と仲正は知っているかのように書いているのですが、
僕の読者の方ならすぐに違和感を抱く記述といえるでしょう。
僕がいつどこで「吉本隆明の専門家」という顔をしたというのでしょうか?
実は佐野波布一の250を越えるレビューの中で、吉本隆明について触れた部分は、僕の記憶では何かのレビューの中で『転向論』について語った2、3行しかないのです。
これだけの記述をもって「吉本隆明の専門家を装っていた」というのは、あまりにお笑い種というものではないでしょうか。
「専門家」どころか吉本隆明に触れた部分すらほとんどないのですから、仲正の記述のデタラメさはもはや言い逃れが不可能なレベルであることは言うまでもありません。
よくもまあ「装っていたが」なんて見てきたかのようなデタラメが書けるものです。
なぜ仲正はこのようなデタラメを書いてしまったのでしょうか。
その理由に僕は思い当たることがあります。
実は「2ちゃんねる」の千葉雅也スレッドに、僕の『転向論』の記述を受けて勘違いした人が、僕のことを「吉本じいさん」と呼んだ書き込みを見たことがあるのです。
(正直、あんなスレッドは見たくないので確認はしませんが、探せばまだ出てくるはずです)
そこを読んだ以外にこのような間違いをしでかす原因は考えられないので、仲正の参照した情報まで丸裸になってしまいました。
いやあ、本当にお粗末なネットリテラシーですよね。
一次情報にしっかり当たることもせずに、「2ちゃんねる」の書き込みを真に受けてそのまま自分が見てきたように書いてしまうのですから。
ネット情報を扱う「方法論」もわからないまま、デタラメを真に受けて書いてしまったりする人の方が、「どうしようもない廃棄物になって」いるのではないでしょうか。
「学者」を隠れ蓑にしてヘイトを垂れ流す売文屋
仲正が本当に「学者の世界」にいるのであれば、一次情報も確認せずにこんなデタラメを書いてはいけないと指導を受けたはずなので、僕は彼を学者だとは思いません。
だから売文屋で出版寄生虫だと書いたのですが、どこか間違ったところがあるでしょうか?
僕のツイートが真実であることについては、もはや強弁する必要もなく明白だと思いますが、仲正がこういう偉そうなだけの態度をさも「戦う闘士」(表現がかぶってますね)であるかのように誤解し、ネットの批判に論理不在の悪口雑言で「悦に入って」応じればいいと思っていることを看過することはできません。
そもそも、いくら相手が批判者だからといって「バカ」はともかく、Amazonで批判レビューを書いたことを「かなり狂っている」とか、僕を「廃棄物」とか言うのはどうなのでしょう。
(千葉雅也だって「基本アホ」くらいしか書いていませんよ。こう見ると千葉はまだ理性を持っていたかのように思えるから堕落学者の世界は闇が深いですね)
千葉雅也は僕のレビューを「ヘイト」扱いしていましたが、僕はほとんど本人の書いた文章という一次情報を根拠にして批判を書いています。
むしろ、仲正のように無根拠に人を罵倒したり、完全な事実捏造に基づいて人をゴミ扱いしたものこそが「人格否定」とか「ヘイト」とか言われるのにふさわしいと感じます。
こんな文章をアップしている明月堂書店と仲正を雇っている金沢大学にもこの文章についてどう考えるかを問いただした上、
仲正本人に対してはおそらく正論をぶつけても、こんな人生を長らく送ってしまったために、とっくに自分の汚点と向き合えるだけの理性を捨て去っていると思われるので、効果があるなら法的な対応も含めて対処を考えています。
(こんな論理性ゼロの人間を教授にしている金沢大学には、ちゃんと勉強をしたい学生は行くべきではありませんね。 学問ではなく悪口雑言を学ぶだけに終わるのが関の山です)
こうみると、〈フランス現代思想〉が理性批判をしているのをいいことに、日本ではいかに非理性的な人間が幅をきかせるようになったかがよくわかります。
特に出版社とつるんで利権を貪る出版寄生虫がこのように大学にまで跋扈して、アカデミズムを内側から腐食させていることが大いに問題です。
僕が〈フランス現代思想〉を単なる好き嫌いの問題を越えて、有害なものとみなしているのは、このような人間が偉そうにしているからなのです。
〈フランス現代思想〉関連の本を出して出版利権を貪っている学者のこのような失態によってもその有害さは証明されていると思います。
この事件について書いたことが僕の独りよがりの意見だとは思いませんが、念のため読者の方々がどう思われるか、コメント欄にでもご意見を寄せていただければ幸いです。
(明らかにバランスを欠いた非理性的なコメントは、どちらを擁護するにしても当然ですが削除します)
僕が知る限り、仲正がネットの批判者に罵詈雑言を浴びせたことは過去に何度もあった(自分の著書の中でも書いたりしている)ことなので、その被害者の方などにも話を聞いてみたいところです。
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19 Comment
俳愚人さんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/10/08 23:15)
- [コメントを編集する]
俳愚人さんのコメントに感謝します。
的確、妥当との評価ありがとうございます。
俳愚人さんは仲正昌樹の放言ブログの被害に遭われた方なのですね。
仲正が平気で嘘を発信する人物だとわかってからは、自然と彼の存在など目に入らなくなりました。
彼が無名の素人を必死にこき下ろすのは、業界でバカにされている鬱憤を晴らしたいからではないかと感じています。
考えてみれば明月堂書店なんて大した出版社じゃないですしね。
いちいちごもっとも
- 俳愚人さん
- (2019/10/08 10:40)
- [コメントを編集する]
なんでも仲正
- 洛書さん
- (2019/01/17 09:51)
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これでは、どれについても、たぶん奥深い仕事はできないと思います。
彼は、ジャーナリスト出身のようですね。これは、納得です。
別の著作で
- 洛書さん
- (2019/01/15 06:11)
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「永久平和のために」みたいな一応の政治学論文もあります。
なぜ、美学論文の「判断力批判」を無理に政治に結びつけようとするのか、アレントの意図がよくわかりません。ついでに、問題のアレントの講義録には、権力論も統治論もありません。彼女は、政治学というのがよくわかっていないのではないかと思いいます。
洛書さんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/01/14 20:25)
- [コメントを編集する]
僕が『判断力批判』を読むときの楽しみができました。
カントはフランス革命に影響を受けたことが知られていますが、
その思想には倫理や社会という視野が欠かせません。
直接に政治分野への言及はなくても、政治的視野において思想を展開しているように(『判断力批判』であっても)アーレントは読んでいるのかもしれません。
ただ、それ以上のことを言えるほど僕がカントやアーレントに詳しくないのですよ。
仲正は概説書で商売しているので、その対象となる大家の思想を批判することはないでしょうね。
政治学
- 洛書さん
- (2019/01/14 17:02)
- [コメントを編集する]
私は、経済学は商品を研究する学問で、政治学は、権力や統治を研究する学問だと思っています。
しかし、カントの「判断力批判」には、権力にも統治にも議会運営にも立法にも行政にも税制にも軍事にも何も言及がありません。宗教団体運営や宗教儀式にさえ言及がありません。それゆえ、アレントの議論には非常に無理があると思います。おそらく「判断力批判」は、政治にも、政治学にも、政治哲学にも、ほとんど関係がないと思います。
偉大な社会学者のマックス・ウェーバーは、新カント派の巨匠のリッケルトの弟子で、カント哲学を社会学に応用した人なのでしょうが、そういう前例があるからといって、カントの批判哲学には、政治哲学の射程も存在するというアレントの議論は、物事は何でも言ったもの勝ちというごり押しの感じがします。アレントは、政治学というものを正しく理解していないと思います。
政治学者でもあるピーター・ドラッカーの概説もしている仲正先生が、アレントの不誠実なカントについての議論を重要な指摘であるかのように紹介していることを、私は正直、不思議に思います。
お騒がせしました
- 洛書さん
- (2019/01/14 14:15)
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案の定、アレントは、無内容なこじつけの、政治学の議論とはとても思えないような、現実離れした、きわめて抽象的な議論をしていました。仲正先生の解説も、平仄を合わせるように、いたって無内容で、表面的なものでした。こういう書物を出版するのは、明月堂書店です。
私の先ほどのコメントに気を悪くされたら、どうかお許しください。お騒がせしました。知見をお持ちかと思ったので、問い合わせてみたまでのことでございます。
洛書さんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/01/14 11:43)
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洛書さんのコメントに感謝します。
カントの『判断力批判』は2か月前くらいに購入して本棚の肥やしになっています。
洛書さんのご質問にちゃんと答えられるまでにはだいぶお待たせする気がしています。
概説書から窺えるところでは『判断力批判』は趣味判断に関係する美学的・自然生命的な内容だと思えるのですが、
広く言えば政治的な内容を含まない思想も文学もないと僕は思っているので、そういう読解があっても驚きません。
でも、この話題は僕の文章とどう関係してるのかよくわからないんですよね。
仲正については前述したように、読む気もないので彼の話題に応じる気が起きません。
洛書さんには申し訳ないのですが、僕の個人的感情から続くコメントの掲載は見送らせていただきました。
ハンナ・アレント
- 洛書さん
- (2019/01/14 09:52)
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私が「判断力批判」を読んだ限りでは、これは、カントの芸術論、美学論文、生命論、神学論としか読めませんでした。政治思想家のバークやハッチソンの言及がすこしあれば、これを政治哲学とするのは、無理があると思います。
仲正先生は、アレントのこの本を(、おおまじめに?)解説されています。しかし、わたしもばかばかしさを感じるので、アレントの本(「カントの政治哲学」)も、仲正先生の本も読む気になれません。
アレントは、社会学者のダニエル・ベルからも、経営学者のピーター・ドラッカーからも、別の件(全体主義発生論)で強く批判されています。
ご存知でしたら、ご教示いただければ幸いです。
洛書さんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/01/01 12:13)
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洛書さん、コメントありがとうございます、改めて南井三鷹です。
「洛書通信」の僕に触れた文を読ませていただきました。
存じあげなくて本当に申し訳ありません。
僕はエゴサーチをしないので、あのような形でラブコールをいただいても気がつかないのです。
あなたが無名とかそういうのではなく、仲正が僕に文句を書いた時も他の方に教えてもらって気づいただけなのです。
でも、僕は仲正昌樹に対して「戦果」を得たようなことや、彼が「動揺した」なんてことを書きましたっけ?
(そんな感じの他人のリツイートはした気がしますが)
あまり正確でない記述でしたけど、わざわざ仲正が小さなことにコメントしてくるあたりが笑いました。
やっぱり大学に注意されるとあの程度のことしかできなくなるのだとわかりました。
その点で洛書さんには感謝します。
洛書さんは僕以前にヤマダヒフミさん本人から反論を引き出さないといけないでしょうね。
ドストエフスキーを読むのにロシア語ができないといけないとは僕は思いませんよ。
僕自身が原書で文学を読んだ経験では、結局大事なところは自分の頭で翻訳して考えたりするので、自分以上の翻訳能力がある人のものを読んだ方が理解が深くなることはよくありました。
ただ、洛書さんがヒフミさんの「取り組み方」の問題として批判するのは理があると思います。
立川談志は寄席で落語を聞いたこともありますが、なかなかにすごかったです。
最初はわざと聞こえるか聞こえないかという声量で客の聞く気持ちを引き出し、だんだんと興に乗せて引き込んでいく力量など、他にもいろいろな落語家を見ている僕にも彼は特別だと感じました。
失礼をしておいてこんなことを言うのもどうかと思いますが、僕も占いに興味がありますし、洛書さんもよろしければ時々このブログに遊びに来てください。
このように自らアプローチしていただいた方が僕は助かります。
誤解です
- 洛書さん
- (2019/01/01 11:29)
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洛書さんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/01/01 11:01)
- [コメントを編集する]
「私のブログ」ってことは明月堂書店の末井幸作さんですかね。
(僕の方から確認はしませんので違っていたらそちらから訂正をお願いします)
断っておきますが、僕は仲正昌樹の書いたものを金輪際読みません。
仲正の犬でしかない明月堂も絶対に信用しません。
あんな嘘を書くクズに反論するのは時間のムダですし、身体にも良くありません。
お付き合いするのは司法を通してだけにしましょう。
なぜヤマダヒフミさん(盟友?)が関係するのかわからないのですが、
仲正の奴はヤマダヒフミさんにまで何か言っているんでしょうか。
彼には気の毒で申し訳ないと思いますが、それでも僕は仲正昌樹の書いたものは読みません。
読む必要などないのです。
僕がここで書いたように仲正は自分の非を認められる人間ではありません。
どうせ自分が一次情報を読まないで嘘を書いたことをごまかすために、今度は僕の文章からアラを探し出して偉そうに文句を書いているのでしょう。
仲正程度のチンケな自意識が思いつくことなんて読むまでもないですよ。
それに付き合うとヤツの非が相対化される寸法です。
ポストモダンのクソ手法などに僕は付き合う気はないので、仲正にそうお伝えください。
仲正は学者としてのリテラシーもないのに学者を名乗るインチキ野郎です。
大嘘を書いたことを、まずは僕に向けて直接に謝罪してから、ブログで訂正するべきです。
それが社会常識というものです。
僕を貶めたところで仲正が「大嘘を平気で書く学者」であるという事実が浄化されるわけではありません。
僕は問題点をそらすことは許しません。
よろしければぜひ
また、ヤマダヒフミさんの盟友として、彼の擁護をして、私の態度の非難もしていただければたいへん幸いでございます。あなたさまも、私のかたくなな方針に対して、ご意見があろうかと拝察いたします。
以上
クロさんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2018/12/09 21:37)
- [コメントを編集する]
クロさん、熱いコメントありがとうございます。
山川賢一さんの仲正への反論を僕も読んだことがあります。
山川さんは終始冷静に書かれていて、一読すれば論理的なのはどちらかすぐにわかる内容でした。
その点、僕は仲正と論理バトルをする必要はないので気が楽です。
なにしろ、仲正が大嘘をブログに書いてしまったことは絶対的な彼の汚点であるからです。
(もう仲正は学生がネットをソースにした虚偽論文を提出しても落第させる資格がないのですからね)
明月堂書店が僕の抗議メールに何の返答もよこさないのは、応答すれば必ず負けるからだと思いますが、僕も甘く見られたものだと思います。
こういう不都合な事態になったら無視するという甘い考えを許さないためにも、法的手段に訴えて仲正と明月堂書店に打撃を与えることを考えるべきかもしれませんね。
クロさんのように励ましてくれる方がいて僕は幸せ者です。
毎度のトラブルメーカーで申し訳ありませんが、引き続き温かく見守ってください。
無題
- クロさん
- (2018/12/09 13:06)
- [コメントを編集する]
そして、仲正とバトルしており、なおかつ被害者の立場の人を知っています。
山川賢一さんです。彼は、仲正氏と長く議論しており、極北のその連載が書籍になっています。仲正氏は極北をブログないしsns代わりに利用しているようです。
山川さんはすぐれた批評家で、同時に千葉雅也らの文章に対しても批判的な眼差しを持っています。
リアルとネットの境がなくなってきて、こういったケースが増えています。
その中で印象に残った事件があります。
菅原晃さんという、僕が尊敬している経済系ブロガーの先生も罵詈雑言を、学者を名乗るデマゴーグから浴びせられたことをきっかけに裁判を起こして勝利しています。
ホリエモンがこういうケースで裁判にしてもコスパ悪いとげんなりしていましたが、鼻を明かすには十分だと思います。
批評自体は至極真っ当なものであり、悪辣に侮辱したものこそが負けだと僕は思います。
理性的に書けたかわかりませんが、僕は仲正氏は正しくないと思います。
h.nさんへの返答2
- 南井三鷹さん
- (2018/11/23 11:45)
- [コメントを編集する]
もちろんh.nさんの誤読ではないのでお気になさらずに。
また何かお気づきのことがあれば、ぜひご教示ください。
無題
- h.nさん
- (2018/11/23 10:22)
- [コメントを編集する]
こちらの誤読による非礼をおわびいたします。
ツイッターのツイートも興味深く見させてもらっています。さらなる健筆をお祈りいたします。
h.nさんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2018/11/23 08:29)
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h.nさん、リアクションしにくい文にコメントをしていただき感謝しています。
僕の書いたことに違和感を表明していただいても、もちろん構わないのですが、できれば「他の部分はその通りだと感じました」と一言書いていただけると助かります。
僕は仲正に対して立場も発信力も弱いので、一部とはいえダメな点だけを書かれると全体の印象が悪いものに見えてしまいます。
手の内を明かすのは時期尚早なのでもう少ししたら書きますが、この部分は目的があってわざとやっています。
h.nさんがここに違和感を抱かれたことで、僕の文章をしっかり読んでいただいたことがよくわかりました。
僕の個人的な闘争につきあってコメントまでしてくださって、本当にありがとうございます。
無題
- h.nさん
- (2018/11/23 07:44)
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学問ではなく悪口雑言を学ぶだけに終わるのが関の山です。
文中にある、この箇所については違和感を感じました。この箇所は誇張や皮肉なのでしょうか。
誇張もしくは皮肉なのだとしたら無粋なことをしてしまって申しわけありません。
もし誇張や皮肉ではないのだとすると、仲正氏のことをもってして、金沢大学のことを性急に一般化するのはどうかなという気がします。ただ、大学には税金が投入されているでしょうから、文中で言われていることが的はずれ(まちがい)だというのではないかもしれません。