南井三鷹の文藝✖︎上等

Home > ブログ > 2021年03月の記事

〈ネットワーク型権力〉と消費社会【後編】

還流する視線の非対称性

ヴェーバーが明るみに出した禁欲的プロテスタントの精神では、神の恩恵の確証を自らの倫理的行動の客観化(=可視化)によって示す必要がありました。
ここでの可視化は救済を受ける者であることを証明する動機で行われています。
しかし、パノプティコンで可視化されるのは、監視される囚人です。
可視化ということで、救済される者と囚人を重ね合わせてしまうと、
幸福なはずの救済者がまるで神の囚人みたいではないか、と思う方もいるかもしれません。
ぶっちゃけて言えばそういう解釈でもいいのですが、実際はもう少し複雑なメカニズムがあるので、それを説明します。



〈ネットワーク型権力〉と消費社会【前編】

文化という「兵器」

当たり前のことですが、ある作品が多くの人からの支持を受けるためには、それを多くの人に広める力が必要です。
とりわけ短期間で一気に広める場合、その時代の政治権力や大衆権力(=マスメディア)を利用しないわけにはいきません。
同時代的に評価を受けた作品には、その時代の権力との蜜月が色濃く刻印されているものです。
作品は時代の代弁者として評価され、時代に後押しされると同時に時代に強く拘束されます。
芸術や文学にそのような同時代性を超えることが求められるのは、
その時代の権力のパワーに頼ることなく、その作品そのものにパワーがあることが成立の条件になっているからです。
権力との関係が作品評価にとって本質的でないと考えるならば、
時代的刻印をきれいに取り去った後に残ったものだけを、作品評価の基準にするべきだということになります。