南井三鷹の文藝✖︎上等

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「わかりやすさ」の落とし穴

同質性を基盤とする「疑似家族」

いわゆるポストモダン思想は、資本主義体制(西側)と社会主義体制(東側)という二項対立を乗り越えることを存在意義としていました。
しかし、ポストモダン思想が支持を集めた後でも、
イデオロギーの対立「図式」が、解体されることはありませんでした。
90年代の社会主義体制の崩壊によって、
東西のイデオロギー対立は、「現状肯定=保守的右派」と「現状批判=改革的左派」の対立に引き継がれました。
その内実は複雑化しているものの、わかりやすい二項対立図式はいつまでも維持されています。
その理由はシンプルです。
たいてい考えることが嫌いな人は、自分と異なる意見に真摯に応じるより、異なる主張をする人を「敵陣営」と見なして排除することを好むからです。
とりわけ日本では、肩書き主義によって、主張の内容を吟味するよりも、主張する人が「何者か」を判断基準にすることに、あまり疑問がありません。



『「社会正義」はいつも正しい』(早川書房)ヘレン・プラックローズ ジェームズ・リンゼイ 著/山形 浩生 森本 正史 訳

差別批判の裏側──〈社会正義〉の横暴

自由を信条とする「リベラリズム」が、近年になって危機に瀕しています。
リベラリズムの意味は多様でわかりにくいのですが、
異質な価値観の共存と個々人の自由を、理性的な議論によって認め合う態度、と理解しておけばいいでしょう。
liberalという語に「寛大な、度量が大きい」の意味があるように、
自由だけを尊重するのではなく、自由と平等の両立を模索していくのが、本来のリベラリズムです。
リベラリズムは左派的と見なされるので、右派の保守勢力がこの考え方を敵視するのはわかるのですが、
最近になって目立っているのは、リベラルに分類される〈社会正義〉(Social Justice)の活動が、人々の自由を害している状況です。
とりわけ、「表現の自由」が危機にさらされています。
左派の尊重する自由が、〈社会正義〉という左派勢力に脅かされる「ねじれ現象」は、どうして生まれてしまったのでしょうか。