- 2024/11/09
- Category : 【評論】アドルノの文化産業批判
アドルノの文化産業批判【後編②】
現実を「救済の地」へと改変する〈メディア的存在者〉
少しアドルノの文脈から離れてしまいますが、ここで僕はメディア端末や出版物の中で「司牧」の役割を演じる〈メディア的存在者〉について少し説明しておきたいと思います。
前出の引用文では、映画を観る女性観客はスクリーン上の女優に自分もなれるかもしれないと感じるとともに、
スクリーン上の存在(メディア的存在者)と現実の自分との距離を意識しないわけにはいかない、と語られていました。
ここでアドルノたちの言う「現実との距離」が、〈メディア的存在者〉である女優と現実の自分との差異であり、「商業的メディア空間と現実との距離」を示していることは、強調しておきたいところです。
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