- 2019/03/11
- Category : 南井三鷹の言ってみた
私生活主義イデオロギー
私生活主義という新たなイデオロギー
80年代のバブル景気以降に広まったポストモダン思想は、イデオロギーなどの近代的体系性を批判する思想として登場しました。
近代の結末にあった第二次世界大戦と、世界の破滅を視野に収めた冷戦時代を乗り越えるためには、
資本主義と社会主義の対立を生み出す国家的イデオロギーに対する批判が有効でした。
しかし、90年代に入ると社会主義陣営が崩壊し、世界には資本主義しか選択肢がなくなりました。
日本で「ポストモダン」という言葉が本格化するのはこの時期で、もうイデオロギーの時代ではないということが、
「大きな物語」の崩壊などという言葉で語られました。
今読むほどの価値があるとは思えない東浩紀の『動物化するポストモダン』が2001年出版当時に大きな話題を呼んだのは、
イデオロギーという「大きな物語」が終焉し、消費資本主義的な私生活重視の価値観が一般化したという背景があったからです。
しかし、日本の「ポストモダン」という言葉が脱イデオロギー(もしくは脱社会主義)を表すものであるとハッキリさせてしまえば、
日本のポストモダンが70年代後半に始まっていたことが理解しやすくなります。
なぜなら、日本の脱社会主義つまりは脱左翼運動が鮮明になったのは、72年のあさま山荘での連合赤軍事件だからです。
連合赤軍事件によって、学生などの左翼運動が凄惨な内ゲバを繰り返すだけで、社会的な広がりを持ちえないことがわかり、
左翼的な政治姿勢への支持が失速していったのです。
1972年は若者にとって政治の季節の終わりを刻み込まれた歴史的な年でありました。
それが僕の生まれた年です。
政治の季節の終わりは、陰に陽に政治と関係を持ち続けた近代文学の終わりを導きました。
70年にすでに三島由紀夫が自決し、72年にはノーベル文学賞作家の川端康成が自殺しています。
その後は左翼的学生運動の傍観者だった村上春樹が文壇の中心的存在となり、日本の若者の政治からの逃避が決定的になりました。
政治運動に関係しないのはもちろん、政治的関心も弱くなり、ついには社会への関心を失っていくことになりました。
社会への関心が失われると、反比例するように自分自身とその周囲への関心が高まるようになっていきます。
自分への関心に集中する私生活主義の登場です。
ポストモダン思想は趣味的関心に特化した私生活主義の付属物として登場しました。
要するに、ポストモダン思想とは私生活主義という新たなイデオロギーを後押しする理論として登場したのです。
その意味でポストモダン思想の実態はイデオロギー批判ではありません。
社会への関心よりも個人的な趣味的関心を重視して、消費にはげむべきだという消費社会のイデオロギーだと考えるべきなのです。
ポストモダン思想は私生活主義というイデオロギーの一部を構成するものでしかありません。
社会的関心がある程度死滅した世界においては、もはや私生活主義を裏付ける理論など必要はなくなります。
現在、ポストモダン思想が下火になっているのは、このような私生活主義が完全に社会的関心の排除に成功したからに見えます。
その意味で、より進んだ私生活主義の立場からポストモダン思想を批判する人に対しては、立場が違うので距離を取りたいと思っています。
自分だけに関心を向ける人々
では、少し私生活主義の発展段階についてまとめてみたいと思います。
私生活主義の第1段階は政治から恋愛(性愛)への移行として現れました。
村上春樹の『ノルウェイの森』がその典型例でしょう。
ここには政治の季節が望んだような新たな社会などもう必要ない、現状の世界で十分だという満たされた感覚の中で、
変化のない毎日に対する多幸感とあきらめが表裏一体となり、「満たされすぎた虚無感」として「より都合のいい幻想」を求める気分へと接続します。
私生活主義の第2段階は「サブカル的転回」として現れました。
「満たされすぎた虚無感」にある人々が、気分は満たされるけど実は虚無でしかないサブカル世界の中で、自身の幻想を埋め合わせようとしたのです。
サブカル世界への耽溺は、初期の頃には「オタク」という存在として社会からの逃避がありありとした姿を持っていたのですが、
95年のオウム真理教事件や『新世紀エヴァンゲリオン』ブームなどを通過して、日陰の存在であったはずのオタクが一般化していくと、
先述した東浩紀などがオタクカルチャーの先進性を語るようになりました。
僕は東浩紀は浅田彰ではなく、村上春樹の後継者だと考えています。
東が強く推した舞城王太郎を文壇の重鎮である(というほどの中身のない)、高橋源一郎や加藤典洋などが絶賛したのは、
彼らが村上春樹と近いところにいた人たちであることに気づけば、何の不思議もないことだとわかるでしょう。
ちなみに最近の俳句界では、関悦史や佐藤文香、福田若之、北大路翼などに代表されるサブカル系俳人(ポストモダン的ズラし系俳人はとりあえず分けておきます)がメディアでチヤホヤされていますが、
これが私生活主義の第2段階を今さら再現した時代遅れの現象であることは、僕が過去に指摘している通りです。
村上からは30年、東からは20年は遅れています。
この「遅れ」こそが俳句の伝統的優位性であったはずなのですが、今さらそれを手放すという愚行をしでかそうとすることには、ある種の「嫌らしさ」しか感じません。
ぶっちゃけ30年遅れの現象などに才能など必要あるはずがありませんし、
他のジャンルで普通でしかないことを、そこではなくわざわざ遅れたジャンルを選んでやることには、
後進国に欧米の先進性を輸入する植民地主義を模倣した「嫌らしい」精神だと感じますし、
こういう輩がフランス現代思想を援用したがる動機もよくわかるというものです。
(本当に驚くほどにフランス現代思想もしくは千葉雅也と関係を持たない人がいない!)
私生活主義の第3段階は、スマホなどの携帯端末によるインターネット接続の常態化によってもたらされました。
ここにおいて、私生活世界が社会という公共的世界を凌駕してしまったのです。
メディアを媒介にして社会と接続している人間は、じかに社会や他者と触れ合うことがなくなるので、
見かけ上、「自己都合の世界」を生きることが可能になり、他者に対して「不寛容」になります。
都合の悪い歴史を自己都合に書き換えたり(歴史修正主義!)、
都合の悪いことを言う人を自己都合で抹消したり(批判の排除!)、
政治的発言を嫌悪したり(ポリティカル・コレクトネス嫌悪!)、
自己都合の不寛容性を正当化したり(リベラル批判!)、
不快のもとになりそうなものを一律排除する〈日本安楽主義〉の完成がそこにあります。
このような態度の根源にあるのが、社会よりも自分自身への関心を圧倒的に優先させる私生活主義であることはもっと語られるべきだと思います。
マイノリティの権利獲得という「小さな物語」にある欺瞞
最近個人的に問題だと感じているのが、マイノリティの権利獲得というムーブメントです。
これこそが私生活主義イデオロギーの自己拡大戦略なのです。
このムーブメントは、自らが社会の多数派に抑圧された少数派であると位置づけた人々が、被害者として権利獲得運動をするという「物語」に支えられています。
勇敢なマイノリティが架空のマジョリティに戦いを挑むという「物語」のことです。
ネトウヨ的な歴史修正主義者が生きている「物語」はだいたいこのようなものではないでしょうか。
公共性を投影できるサヨク(朝日新聞やNHKなど)を仮想敵にして、
公的に通用しない私的な歴史認識を正しいものとして流通させようとする運動は、
自らが公論に抑圧されたマイノリティつまりは「被害者」だという認識に支えられているように感じます。
異能の才能を持ったマイノリティが、多数派の抑圧に対して戦いを挑むという図式が、サブカルによくある「物語」であることは誰でも思い当たることです。
あまり詳しく説明するのは避けますが、この「物語」に古いイデオロギーの大きな「ねじれ」が見られるのに注意が必要です。
イデオロギーの「ねじれ」とは何でしょうか。
一つのアニメを例として取り上げて説明してみましょう。
『機動戦士ガンダム』(79年)で有名な富野由悠季が監督した子供向けアニメに『無敵超人ザンボット3』(77年)というものがあります。
ガイゾックという地球侵略の敵と戦う主人公たちは、地球に移民した宇宙人「神ファミリー」という設定です。
宇宙人という圧倒的マイノリティである彼らが、地球人のために合体ロボットで懸命に戦っているのに、多数派の地球人は彼らを応援するどころか迫害します。
結局「神ファミリー」は主人公を残して、多くが敵に特攻して死んでいきます。
主人公はコンピューターでしかなかったラスボスに、誰もお前達の命がけの戦いに感謝してはいない、と言われて絶望します。
ラストシーンは地球に戻った主人公を暖かく地球人が迎えるハッピーエンドの図になってはいるのですが、
とってつけたようなラストシーンでしかないことが、大人にはわかってしまうようにできています。
ここには戦後日本のナショナリズムの「ねじれ」が見られます。
『ザンボット3』は1977年に放映された作品ですので、まだ私生活主義の第1段階あたりに位置する作品です。
富野由悠季自身に安直なイデオロギーはないと僕は思っていますが、彼を敬愛する左翼知識人は数多くいます。
『ガンダム』や『ザンボット3』でキャラクターデザインをしている安彦良和がベトナム反戦運動など左翼運動に参加していたのは有名ですが、
70年代の左翼運動はアメリカの帝国主義を批判していることでもわかる通り、反米です。
戦時中の日本が戦った相手を知らない人は少ないと思います。
そう、戦時中の日本は反米なのです。
つまり、戦時日本の兵士たちはアメリカと戦ったわけですが、70年代の左翼運動に参加した若者もアメリカと戦っていたのです。
単純に考えれば、戦中の右翼は戦後の左翼に通じてしまう回路を持っているのです。
現在、戦時日本に対して肯定的なはずの「保守」という方々の多くは、明らかに反米ではありません。
反中においては戦時との矛盾はないので、彼らはそこばかりを強調したいのだと思いますが、アメリカとの関係を突かれると途端に困ることになるのは目に見えています。
右とか左とかいう古風なイデオロギーを持ち出すと、反米において右と左がくっついてしまうのですから。
『ザンボット3』において富野が最後に特攻シーンを描いたのは、おそらく意図的だったと思いますが、直近の左翼運動の敗北とアメリカとの戦争の敗北を重ね合わせる効果があったと思います。
さて、このような戦後日本の右と左の矛盾が生まれてしまうのは、いつまでたっても旧来のイデオロギーで何でも処理しようとしているからです。
僕が提案する「私生活主義」をイデオロギーとして考えれば、この点が矛盾なく解決できると思うのです。
私生活主義をもたらしてくれた母なる存在はアメリカです。
村上春樹からアメリカへの憧れが切り離せないように、戦後日本にとっては天皇ではなくアメリカこそが母なる存在でした。
私生活主義によってアメリカに飼いならされたオタクが育成された環境は、仕事に忙殺された父の不在によって母と過剰密着する「ドメスティックな場」を典型としています。
母との過剰密着という私的な感覚が日本という国家にまで拡大投影されると、日本とアメリカとの過剰密着を求めるようになるのは必然です。
村上春樹的世界の延長で、一時期「セカイ系」と言われたサブカル作品が注目されたことがありましたが、
このような「きみとぼくの世界」が、日本とアメリカとが密着して一体化し、他の野蛮な世界すべてと戦うスタンスを描いたものだとぼくは解釈します。
(もちろんここで2015年に成立した安全保障関連法を想起すべきことは言うまでもありません)
現在の「保守」勢力の描いている世界は、このような「セカイ系」の世界観を現実に投影したものになってはいないでしょうか。
アイデンティティ獲得運動を疑う
私生活主義イデオロギーにおいては、人々から社会への関心が薄らいでいくのですが、社会が存在しなくなることを望むことはありません。
人間は絶対的に他者からの眼差し、つまり社会との関係を必要とするからです。
社会との関係にはいい面も悪い面もあり、まさに政治というものはその両面を併せ持つものですので、そこでは「大人な態度」が必要になることも往々にしてあるわけです。
自分にとって望ましいものも望ましくないものも併せて社会的経験として構成されていくのですが、
大人になることに耐えられず、幼児的に「望ましいもの」だけを選好したいと考えるようになると、
望ましくない社会的関係からは逃走し、自分への「望ましい自己承認」だけを技術的に取り出すことを求めます。
私生活主義イデオロギーは、「望ましい自己承認」だけを手に入れて、嫌な面からは逃げ出すことを正当化してくれるものとして働きます。
私生活主義において幼児性は正義なのです。
自分にとって都合のいい社会的反応を抽出するためには絶対にメディアが必要です。
自己承認ですから自分で自分を承認するのですが、何もないところで自己を承認するのは社会的生物である人間には難しいことです。
そのため、自己承認の材料となるものを社会から与えてもらう必要があります。
適当な材料さえあれば、あとは自分の都合でうまく自己承認へと結びつければ良いだけです。
しかし、その材料自体は社会から与えてもらう必要があるのです。
こうして、人々は手元のメディア端末というフィルターによって、社会から都合のいい自己承認の材料を見つけようと考えるようになります。
そうなると、もはや社会とは自己都合の承認を探し求めるための場所でしかなくなります。
ちょうど、現実がポケモンを見つけるための場所になってしまうのと同じように。
私生活主義イデオロギーは社会をただの「自己承認システム」へと矮小化してしまうのです。
あくまで個人的な印象ではあることを断っておきますが、
最近のLGBTQなどの性的マイノリティの権利をめぐる問題に、私生活主義イデオロギーに根ざした「自己承認を求める物語」が見られるように僕は感じています。
僕個人にはGやBの友人もいますし、僕の妻は出会った時に「私はLなの」とか嘘を言ってきて、それでも僕は彼女を愛そうと真剣に悩んだこともありますので、
彼らに特別に悪い感情は持っていません。
LGBTQの人々が自らのセクシュアリティをアイデンティティに近接させるのは僕にも当然理解できるのですが、
当事者でない人々がアイデンティティ承認の「物語」に自己投影したり、その運動を新たなマーケットとして利用したりすることに、違和感がないわけではありません。
僕としては、誰しも人間なのだからいろいろな人がいたっていいじゃないか、という寛容さや普遍性をめぐる問題として考えたいのです。
つまりはLGBTQだって同じ人間だから問題ない、という平等の感覚です。
しかし、マイノリティの権利獲得もしくはアイデンティティ承認の運動としての側面ばかりが強調されすぎてしまうと、
自己承認を求める私生活主義イデオロギーに利用されているのではないかという気持ちが起こらずにいられません。
そのあたりに、LGBTQの権利獲得運動が単純にリベラルの立場へと回収できない理由があるように思います。
ある種の人にとっては、この運動は寛容さをめぐる普遍的問題ではなく、ただの自己承認を社会に要求する運動でしかないのだと思います。
このあたりの区別はしっかりやるべきだというのが僕の意見です。
僕がわざわざこのようなことを言おうと思ったのは、
現在、福島第一原発の燃料デブリの取り出しが難しい状況にもかかわらず、
原発廃炉の問題や日本のエネルギーをどのようにしていくのかについての社会的な議論がちっとも進まず、
LGBTQの問題の方がメディアに露出する機会が多く、関心を集めている現状に違和感があるからです。
何もLGBTQの問題を軽視しているわけではないのですが、
そこに個人のアイデンティティの問題を、社会問題や環境問題よりも優先する傾向が見られることは認識されるべきだと思っています。
そして、その傾向が70年代以降の私生活主義イデオロギーと無関係ではないことを、
3月11日を迎えるにあたって考えておくべきことだと考えます。
このような私生活主義イデオロギーが政治的立場をとる場合、リバタリアンというものになっていくのではないかと感じています。
リバタリアンについてはまた別の機会に書きたいと思います。
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