南井三鷹の文藝✖︎上等

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「現在」に依存する「甘え」を許すな

無知な「若手」俳人のワガママはもうたくさんだ

50歳以下の人を「若手」と呼ぶのもどうかと思うのですが、
『新撰21』(邑書林)以後に頭角を現した若手俳人たちの多くには共通する「病理」が感じられます。
簡単に言えば、自分の作品を「俳句」であると言いたがるくせに、
俳句の歴史や詩型の制約からは自由にさせてくれ、というものです。
彼らは俳句の因習から自由な新しい俳人を気取っていますが、その実ただ俳句の資産にぶらさがってアンモラルなことを貪っているだけに終わっています。
大きなものには守られたいが、その中では好きにやりたい、という発想は、ガキっぽい「病理」とも言えるものなのですが、
商業主義に走る俳句出版界では彼らが新しいことをやっている若手であるかのように捉えています。
冷静に見れば堕落しただけの作品を、新しい潮流であるかのように扱い、
それを大御所たちが見て見ぬ振りをしているというのが現状です。
日本の内輪組織のアンモラルさについては、最近のスポーツ界ではかなり表面化しているのですが、
同じく因習を維持している伝統文学の世界では、一般人の注目が低いのをいいことに、同様の問題に対して批判精神が薄いように思います。