南井三鷹の文藝✖︎上等

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平気でデタラメを書く仲正昌樹というアカデミズムの恥部

論理を操れず罵倒するだけなのに「学者」を名乗る売文屋

先頃、金沢大学教授の仲正昌樹が講談社現代新書から『ヘーゲルを越えるヘーゲル』を出しました。
仲正は〈フランス現代思想〉を専門にしているとも思えない(彼の留学先はドイツです)のに、フランスのポストモダン思想関連の本をたくさん出しています。
まともなアカデミシャンなら到底ありえないことですので、現代の売れ筋の思想に媚びて本を売っている売文屋であると僕は思っています。
(この人の専門的な思想書を本屋で見かけたことがあるでしょうか。それよりも参考書的な講義録みたいな本ばかり出している印象です)


最近、仲正は上述したヘーゲルと題した本を出したのですが、〈フランス現代思想〉は基本的に反ヘーゲルの立場だけに、これまで仲正が扱ってきた〈フランス現代思想〉とは立場がだいぶ違います。
「越える」と書いたところでヘーゲルを基軸にした本ではあるわけですから、やはり節操がないと感じるのは当然ではないでしょうか。
マルクス・ガブリエルの著書のセールスが好調だったことで〈フランス現代思想〉の旗色が悪くなってきたために、ドイツ思想を看板にしてアピールするという売文屋らしい変わり身への意志を感じました。
そこで僕は仲正の軽薄さを批判するツイートをしたのですが、それに対して仲正が明月堂書店とかいうよく知らない出版社のブログで僕への文句を書いていたのを発見しました。
それがきちんと反論をするでもなく、単に僕に対して「バカ」とか「おバカ」とかを連発するだけの罵倒で構成された上に、ネット経由で得たであろう誤った情報を垂れ流した内容だったのです。
「月刊極北59回」の仲正の文章の中から僕について書かれた部分を以下に引用します。


  最近出した拙著『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)に対して、「南井三鷹」というバカが、読みもしないで、タイトルと、著者である私についての雑な印象だけで、失礼な決め付けツイートをしていた。この男は以前「佐野波布一」を名乗り、千葉雅也氏を主要ターゲットにして言いがかりをつけていた。例えば、千葉氏を中心に編集された雑誌の現在思想系の特集を読みもしないで、駒場人脈の書き手ばかり採用している、千葉一派による思想論壇の支配に反対する、というようなことをamazonレビューなどに書いて、悦に入っていた。かなり狂っているが、自分だけは論壇・文壇のために戦う闘士のつもりのようである。そのおバカの三鷹曰く、

反ヘーゲルのフランスポストモダンにすり寄って商売していた仲正昌樹が新たにヘーゲルの新書を出したようだ。こういう信念のない商売人の本を支持する人に思想の素養はない。

そして出版社はいつまでもこういう寄生虫が大好きだ。なぜずっとヘーゲルを研究してきた人に本を書かせないのか。内実のない本を出版して人々を愚民化している出版社よ、罪を数えろ。

 こういう低レベルの人を起用するならネットでいいじゃないか。出版社はもっと高付加価値なものを高値で売る西欧のブランドのような商売をしないとネットに飲み込まれるだけだ。

  この三つのツイートだけで、この男が逆恨みの権化であること、出版業界に関して非論理的な妄想を抱いていること、および、「思想史の基本が全く分かっていないこと」を、自ら暴露してしまっている。バカの三鷹は、佐野波布一時代に、吉本隆明の専門家を装っていたが、この調子だと、吉本の主要テクストのどれ一つとして理解していないだろう。「方法論」を学ぶ意義が分からないまま、学者の世界のことについてああだ、こうだと言っていると、こういうどうしようもない廃棄物になってしまう。

とまあ、こんな具合なのですが、この文章を読んでみて、どうして僕が「バカ」と言われなければいけないのか、誰か理解できる方はおられるのでしょうか?
僕には全くわかりません。
仲正がヘーゲル以降の思想家を扱っていようが、僕がツイートで文句を言ったのは「ヘーゲル本」の体裁で著書を出版した態度についてです。
僕はタイトルを中心として批判しているのですから、「タイトルだけで」と文句を言うのは的外れもいいところで全く反論になりません。
題名に「ヘーゲル」とつけたくせに、内容はヘーゲルと関係がないとでも言うのでしょうか。
(というか、ヘーゲルの現代思想への影響という本でしたけどね)
これはヘーゲルの本ではない、とか、フランスポストモダンにすり寄っていない、と反論するでもなく、はたまた、自分はずっとヘーゲルを研究してきた、と強弁するでもないのに、どこについて僕をバカ扱いしているのか意味がわかりません。