南井三鷹の文藝✖︎上等

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『くたばれインターネット』(ele-king books)ジャレット・コベック 著/浅倉 卓弥 訳

私はインターネットが嫌い

書店で手にとって中をパラパラしてみると、最初のページに「役に立つ小説」というコベック本人の署名入りの一文が目に入りました。
ついで真偽の定かではない本書についての書評が載せられています。
混乱したままページをめくると、「閲覧注意」の囲い文があり、
「本書は以下の内容を含みます。購読の際はご注意下さい」と書かれたその下には、
「資本主義、男どものすげえ臭い体臭、歴史上登場した懐古主義、殺すぞとの脅し、暴力、人々の絆、流行り廃り、絶望、際限ない金持ちへの嘲笑(以下略)」と続きます。
まるで一昔前の怪しげなサイトに接続するような注意書きですが、筆者のコベックはそういう文化に親しんでいたのでしょう。
実際に読み終えると、たしかに挙げられているような内容が書かれていたのですが、
閲覧注意というほどの刺激があるわけではないのでご安心を。


本書の原題は『I hate the internet』です。
原題を見て気になるのは、「私はインターネットが嫌いだ」の「私」とは誰なのか、ということです。
この小説は主にアデレーンというサブカル女子のネット炎上事件を中心に展開するのですが、
実はアデレーン当人はそれほどインターネット嫌悪を露わにしているようには見えないのです。
むしろ息子や友人が彼女にツイッター上での反論をやめてくれと頼んでいるにもかかわらず、彼女はネット活動を続行し続けます。
物語の主人公がインターネット嫌いでないのならば、誰がインターネットを嫌っている「私」なのでしょうか。
おそらく、それは作者であるジャレット・コベックだということになるでしょう。
つまり、本書の題名は作者自身の宣言のようなものになっているのです。


翻訳者の浅倉卓弥によると、作者のコベックはトルコ系の在米移民の子孫であり、
作品に登場するジェイ・カレセヘネムという作家が彼のモデルだということです。
(カレセヘネムはトルコ語で「黒い地獄」という意味だと作中で強調されています)
作品の舞台はサンフランシスコなのですが、コベックも実際にサンフランシスコに住んでいたようです。
ラスト近くでジェイ・カレセヘネムはサンフランシスコに嫌気がさして、ロサンゼルスへと引っ越すのですが、
そのときに絶景で有名なツインピークスに立ったジェイ・カレセヘネムが演説を始める場面があります。
「サンフランシスコよ」と呼びかけたジェイ・カレセヘネムは次のようなことを届かない相手に向けて語ります。


そなたが守ろうとしている相手は考えられ得る限り最悪の者どもだ。うざったくてたまらない種類のオタクどもを、数に限りのある、選ばれたセレブの席へと押し上げてしまったのだ。あのマーク・ザッカーバーグのすさまじき猛攻の前に我々はもはや息絶え絶えだ。

こうして彼は「異形の者」にとって生きづらい「金持ちたちのためのディズニーランドと化した」サンフランシスコを糾弾します。
そしてサンフランシスコ批判は、インターネット批判へと重ねられていきます。


しかも最後に残っていた善き物事さえそなたは捨て去った。それはインターネットが垣間見せていたユートピアの幻だ。全世界が繋がるという夢はねじ曲げられ、最早それはただ、広告機会を提供する以外の目的を持たないような領国同士が複雑に絡み合った魔窟さながらの様相ともなった。よく聞くのだ、サンフランシスコよ。私もかつてはそなたの住人だったのだ。だから私は、連中が金儲けに使い始める前のインターネットというものがどういうものだったかもよく知っている。

この演説ではサンフランシスコとインターネットが奇妙に同一のもののように語られているのですが、
おそらく、これはインターネットを牽引するシリコンバレーがサンフランシスコにあることを念頭に置いているのだと思います。
コベック自身を投影したジェイ・カレセヘネムが、草創期のインターネットにノスタルジーを抱いていることは、
このあたりを読むとよくわかると思います。
オタクが金儲けに利用し、商品広告に奉仕するだけの世界となったインターネットへの嘆き節とでも言うべきでしょうか。


コベックは本書を自分で立ち上げた出版社から出しています。
というより、この小説を売るために出版社を自前で作ったみたいなのです。
それが英米でベストセラーになったため、こうして邦訳もめでたく出版されることになったのですから、
諧謔味だけでなく、非常に信念のある人だと感じさせられました。
「インターネットが嫌い」というのは僕もくりかえし書いてきたことなので、自分も最後は出版社を興すしかないのか、と考えるようになりました。
しかし、そういう弱小出版社の本が売れるというのは、日本に住んでいると実感としてよく理解できないところはあります。
根本的な文化環境が違うのではないかと思わないこともありません。