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『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎) 野口 悠紀雄 著

バブル崩壊の後遺症

野口は頻繁に著書を出す売れっ子経済学者です。
僕も過去に野口の本を何冊か読んでいるのですが、それでも新刊が出ると内容を確認してしまいます。
経済という現在進行形の状況を分析する視点は数多くあり、どの見解が正しいのかは判断が難しいのですが、
野口の視点は確かなものがあるため、つい参考にしてしまうからだと思います。


本書は題名で一見してわかる通り、平成の30年間を「失われた30年」という「失敗」の時代として捉えて、その原因に迫ろうというものです。
その作業はとても重要なのですが、僕は「失われた30年」という表現にまず躓いてしまいます。
「失われた○○年」という言い方にはバブル経済崩壊の後遺症が続いているという前提が感じられるからです。
そこには本当なら得るはずだった経済的利益があった、というニュアンスが読みとれてしまうわけですが、
その「得るはずだった」という感覚が問題であるように感じます。
野口も気づかずに使っているのですが、この表現はバブル期を健全状態として想定しているため、
解決策として金融政策による株価バブル(通称アベノミクス)を呼び寄せる心理的効果があります。
そういう誤った前提を破棄して、経済停滞の30年とか、経済失速の30年とか、衰退の30年とか言い換えた方が適切に思えます。


野口は「はじめに」で自分たちの世代が責任を果たせたかと自問したあと、
それに失敗したとして理由をこう語ります。


この30年間を一言で言えば、世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代であったからです。平成時代を通じて、日本経済の国際的な地位は継続的に低下しました。
ここで重要なのは、「努力したけれども取り残された」のではなく、「大きな変化が生じていることに気がつかなかったために取り残された」ということです。改革が必要だということが意識されず、条件の変化に対応しなかったのです。

いきなりまとめが来てしまうのですが、野口は平成の30年がこのような「失敗の時代」であったと言います。
帯の文章にも「失敗の検証なしに、日本は前進できない!」とあるように、失敗したことはとっくに明らかであり、問題はその原因の認識にあるというのが野口の立場です。
彼の認識に異論はありませんが、僕の関心はさらに深いところにあります。
世界経済の構造変化に日本人が「気づかなかった」としたら、それはなぜかというさらなる原因の分析です。
本書の読解から僕が掘り下げていきたいのは、この深層レベルの原因分析であることを先に言っておきます。


戦後経済は戦前の遺産

野口は1995年に『1940年体制』という本を出しています。
戦後の日本経済を支えたシステムが、戦時中の1940年代に作られた「総力戦体制」を基盤としているものであることを示した本です。
つまり、戦後の経済繁栄は戦時体制の遺産によるものだということです。


この説に対する効果的な批判を見たことがないので、ある程度認知された説だと僕は思っているのですが、
この説を参考にしないと、バブル経済へのノスタルジーで成立している自称「保守」の方々が、どうして戦時体制を肯定したがるのかがわからなくなります。
親米である「保守」の人たちが、どうしてアメリカと戦った戦時体制へのノスタルジーを隠さないのか、不思議に思う人も少なくないと思います。
しかし、「1940年体制」というものが戦後経済を支えたのだと考えると、このあたりの矛盾が矛盾ではなくなります。


戦後経済成長の頂点は80年代のバブル期なので、野口の説に従えば戦時総動員体制である「1940年体制」のピークだと考えることができます。
日本は第二次世界大戦で敗れたのですが、その時の体制で経済大国になったということは、ある意味では戦時体制の勝利だと考えることができるわけです。
だとすれば、日本の戦時体制の真の敗北は、バブル崩壊による経済敗戦だったとも言えるのです。
日本の「保守」勢力がアメリカ体制下の戦後経済と鬼畜米英の戦時体制を共に肯定するという矛盾を矛盾と感じないのには、
戦後経済の成功のルーツに戦時期の「総動員体制」があるからなのです。
(そして日本人が経済における真の敗北を認めないかぎり、戦時ファシズムへの憧れというものは消えないでしょう)


日本人はバブル崩壊に本当に気づかなかったのか

本書『平成はなぜ失敗したのか』の第1章は「日本人は、バブル崩壊に気づかなかった」、第2章は「世界経済に大変化が起きていた」という題になっています。
野口の論調はあくまで日本人が世界経済の変化に「気づかなかった」というものですが、実際のところはそうではないと思います。
日本の経済衰退が議論の余地もないほどハッキリした現在であっても、
中国の台頭や情報ビジネスモデルへの転換などの世界経済の構造変化に対応するどころか、栄光の過去に恋々としている人々が政権を握っているのは、
いまだに気づいていないということでは説明がつきません。
たとえ気づいていても「気づいていないフリをしたい」のは明らかです。
簡単に言えば「現実逃避」ということでしかないのですが、それこそ戦時中から日本人は現実逃避を優先的な価値としてきた人々です。


世界大戦で日本はなぜ破れたのか?
世界経済の構造変化の中で日本はなぜ失敗したのか?
最大の原因は「現実を見つめる勇気がなかった」というのが僕の答えです。
日本人はときに暴力的である「真実」より、心の慰安に考慮した「現実逃避」を重視する優しい人々なのです。


もちろん野口はそういう日本人に配慮してハッキリと語りはしないので、よく読まないとそこを認識せずに済むようになっています。
しかし、心の慰安を重視する日本人は、逃げ道を与えるともれなくそこを通っていくので、僕はハッキリ書かないと書いた意味がないと思っています。
(戦時中に軍が敗残兵に自決を強要したのは、逃げ道があれば必ず逃げる人々を無理に戦わせるために、逃げ道を塞ぐ必要があったからでしょう)


都合の悪いことは認識しない

実際にバブル崩壊がいつなのかというと、株価が下がっていったのが90年、地下が下がり始めたのが91年、
企業の売上高や利益も90年、91年あたりを境に上昇が明らかに鈍ったので、90年代始めということになります。
しかし、このような統計上の明らかな変化を、当時の日本人は真剣に受け取らなかったようです。
野口は百貨店の売上高が落ちたのが98年であることなどを例に挙げ、
5年以上も日本人が変化に「気づかなかった」として、これをバブルの「二日酔いから醒めず」と表現しています。


このとき中国では工業化が進んでいました。
日本の製造業を中心とするビジネスモデルがいずれ通用しなくなる危機的状況だったにもかかわらず、
日本人はそれに「気づかなかった」のですが、その理由を野口はこう書いています。


日本は企業のビジネスモデルを根本から変えることが急務だったのです。
しかし、会社を改革するのではなく、逆にしゃぶりつくそうという人々が残っていたのです。全員ではないにしても、そうした人たちが大勢いたことは間違いありません。
なぜこのようなことが生じたのでしょうか? 人々は、組織は永遠に続くと思っていたからです。そして、いくらでも依存できると考えていたからです。

会社を「しゃぶりつくそう」、「組織は永遠に続くと思っていた」という野口の表現はだいぶ曖昧ですが、
おそらく会社組織の中にいれば大丈夫だ、という「依存」的な発想が蔓延していたと言いたいのでしょう。
日本社会でビジネスをしていれば、誰でもこのような考えの人間に出会うので、今でも強く生き続けている考えであることがわかると思います。
そのため、安定した組織にいる人間が「図に乗った発言」をするのが日本的現象なのですが、
こういう人間が変革期のお荷物になることは、今も認識されるべきことだと思います。


野口は全く触れてはいませんが、日本人は仕事そのものよりも組織内のポジションに関心が強い人が少なくないように思います。
その結果、たいした仕事をしていないのにポシションだけは立派な人が出てきてしまうのです。
そういう人は現場の仕事がわからないため、むしろ仕事の邪魔になったりするのですが、
組織に対してはやたら忠誠心が高いために、上の人間にかわいがられたりするわけです。
こういう「組織−内−存在」が一定数以上いると、その組織は外の状況を冷静に見つめることを怠ってしまい、状況の変化に対応ができなくなるのです。
組織に骨の髄まで依存している人間にとっては、組織の危機などあってはならないことですので、危機的状況になるほど外的状況から目をそらすようになります。
要するに、都合の悪いことは目にしないようにするのです。
これが組織の閉鎖性を前提とした終身雇用制度の弊害であることは言うまでもありません。


製造業の構造変化

では、バブル崩壊期に日本の外で起こっていた世界経済の大変動とはどのようなものだったのでしょうか。
野口は社会主義の崩壊に続いて中国などの新興国の工業化が世界経済に与えたインパクトについて語ります。
新興国の工業化によって安価な工業製品が大量に生産される事態になったために、日本の製造業はこれまで通りにはいかない状況にありました。
野口はこのときにやるべきだったことを3つ挙げています。
① 国内工場で生産しない製造業に転身する
② 工場を海外移転する
③ 製造業から産業構造を転換し、金融業などの高度サービス産業の比重を高める


実際に日本が行ったのは②だけでした。
①について野口はアップル社を例にとって説明しています。
アップルは自社で工場を持たない体制へと移行したのです。
具体的には「垂直統合型」から「水平分業型」へと移行したのがアップルだったのです。
しかし、日本の製造業にはそのようなシフトが起こらなかったのです。
野口の説明を引用します。


それまでの製造業の生産方式の主流は、「垂直統合型」と呼ばれるものでした。これは、一企業が、工程の最初から最後までを行なうものです。
それに対して、「水平分業型」と呼ばれる生産方式があります。これは、すべての工程を一つの企業の内部で行なうのではなく、複数の企業がさまざまな工程を分担して受け持ち、あたかも一つの企業のように生産活動を行なう方式です。

アップルは2004年に垂直統合型から水平分業型へと移行しました。
新興国の工業化が進むと、部品の製造を新興国に任せる水平分業型が価格競争で優位に立てるのです。
「コンパックショック」と言われる格安パソコンの登場には、このような背景がありました。
僕はこういう話には全くの門外漢なので、強引に現代思想に置き換えてしまいたいのですが、
垂直統合型から水平分業型への変化は、閉鎖的なツリー構造からネットワーク型のリゾーム構造への変化と考えることができるように思います。


さらに別の構造変化もありました。
製造業より情報や知識などによる高度サービス産業が利益を生むような産業構造に変わったのです。
それによってイギリスやアメリカの企業が大きく成長するようになりました。
アングロ・サクソン系が情報技術の進歩を利用して、自分たちの得意分野へと経済のフィールドを移していったのだ、と主張する本を読んだことがあるのですが、
そのような意図があったかどうかはともかく、金融業の大変革によってイギリスやアメリカが投資分野で成功したのに対し、
日本が遅れを取ってしまったのは間違いのない事実です。


金融大崩壊

90年代には金融機関や大企業の不祥事が多発しました。
「住友銀行・イトマン事件」や大蔵官僚の過剰接待スキャンダルなどの呆れた実態が表面化しました。
山一證券に加えて日本長期信用銀行や日本債権信用銀行の破綻などもあり、
破綻金融機関の処理には国民一人当たり約8万円(4人世帯なら約32万円)の公的資金が投入されました。
金融機関が保有する不動産などが急激な価格暴落によって不良債権化したことが原因でした。


野口は日本の不良債権処理に長い時間がかかったことを問題視しています。
アメリカがリーマン・ショック後の処理を短期間でやりとげたことと比較すると、かなり違っていると言うのです。
(そのくせリーマン・ショックの時、アメリカに日本の不良債権処理の経験を伝えようとか言っていたそうなのですが)
その原因を野口は、危機は一時的でしかないから隠しおおせればよい、と考えたからだと述べています。
これも日本人の現実逃避の精神から導かれた甘い認識と言えるでしょう。


破綻金融機関の処理に公的資金が10兆円以上も投入されたにもかかわらず、
その責任に関しては、誰かをスケープゴートにして、責任を押しつけることで処理がはかられました。
「破綻の真の原因を作った人が断罪されていません」と野口は言うのですが、
その真に罪を償うべき人が誰なのかには全く触れていません。


内向き志向による留学生の減少

こうして落ち込んだ日本経済を建て直すために、2003年に大規模な為替介入が行われました。
為替を円安に誘導することで、輸出企業の利益を増やす対策をとったのです。
その後、日米の金利差によって「円キャリートレード」が行われると、さらに為替は円安へと向かいました。
これで日本経済はいったん息を吹き返したのですが、
この時期に日本のメーカーは海外移転した工場を国内に戻すなど、水平分業型へ移行するどころか、世界経済の潮流と逆行する経営判断を行っています。
野口は円安が「その場しのぎの考え方」を後押しする「麻薬」だったと述べています。
野口の「その場しのぎ」と僕の言う「現実逃避」は、内容はそう変わらないように思います。


野口は2004年からカリフォルニアにあるスタンフォード大学で客員教授として教鞭を執っています。
そこは「シリコンバレー」と言われるIT技術の中心地ですが、このときアメリカはすでにインターネット社会となっていたのです。
世界規模の情報技術の発展はこの場所を抜きにしては語れません。


印象的なのは、当時スタンフォード大学に中国人留学生が400人以上、韓国人留学生でも300人を越していたのに、
日本人は100人にも満たなかったという話です。
野口が数年後に同じ統計を調べたところ、中国人と韓国人の留学生はさらに増加しましたが、
日本人は「その他」に分類されて正確な数字もわからなかったとのことです。
「日本を置いてきぼりにした世界の大発展が、すでに始まってしまっていた」と野口は書いていますが、
日本の若者が留学に行こうとしなかったわけですから、日本が置いてきぼりにされたというより、日本人が世界の発展に背を向けたと言うのが本当ではないでしょうか。
過去の栄光に自足して、眼差しが過去と内側にしか向かわなくなった日本の姿が、ここで確認できるのです。


構造変革を避け続ける

2001年に小泉内閣が誕生しました。
「聖域なき構造改革」という印象的なスローガンを掲げた小泉純一郎は、「劇場型」の政治で国民の高い支持を受けました。
しかし、そのような変革者のパフォーマンスを好んでいたわりに、経済的には構造に踏み込むほどの改革を実践することはなく、
実際には低金利と円安政策で昔ながらの産業構造を温存しました。
郵政民営化も実質的な内容に乏しかったと野口は書いています。


このあとリーマン・ショックによる不況と民主党政権の時代を経て、
アベノミクスによる戦後最長の景気拡大がやってきます。
ゆるやかな成長が続いたため期間だけは「最長」なのですが、
成長率は低く、実質賃金が下がっているために国民の実感はほとんど伴っていません。


2008年にアメリカの住宅バブルの崩壊(リーマン・ショック)が起こり、世界的な景気後退が起こりました。
しかし危機の本拠地であるアメリカは、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)などの新しい企業が次のステージを切り開きつつありました。
中国でもBAT(Baidu〈百度〉、Alibaba〈阿里巴巴〉、Tencent〈騰訊〉)という情報技術系の企業が台頭してきます。
しかし、日本には新時代をリードする企業は登場しませんでした。


リーマン・ショック後の不況から日本の製造業はなんとか立ち直ります。
その要因を、野口は2点に整理しています。
中国の景気拡大の恩恵と政府による支援です。
この要因がいわゆるネトウヨ的な「保守」の精神構造に影響していることは考えておくべきことでしょう。
中国の恩恵を否認したいことが反中感情へと結びつき、政府に依存する産業構造が権威主義へと結びついたと言えるからです。
僕は経済状況と大衆の心情は強く結びつくものだと思っているので、こういう考え方をします。
政府の製造業に対する支援について、野口はこのように述べています。


支援策を通じて、政府は、従来型企業の生き残りを助けました。これらは、日本経済の構造を改革するようなものではありませんでした。むしろ、新しい産業や企業が生まれてくるのを阻害したのです。

政府の支援策が、産業構造の改革を阻む結果になったというのが野口の考えです。
日本人は所属組織の保存を最優先させるところがあります。
日本における「保守」の多くは、守るべきドメスティックな文化や伝統を価値とするのではなく、
所属組織ひいては国家体制の保持こそを価値と考える人々のことだということを、ハッキリさせる必要があると僕は思っています。
(それは組織が自己保存のために文化や伝統を破壊していくことを確認すれば理解できることです)
日本では「伝統の破壊」など組織の自己保存という大義名分があれば、いくらでも実行可能な安っぽいものなのです。
その意味では真に革命的な価値があるのは、組織やそれが依拠する構造の破壊であることは言うまでもありません。


将来に直面する課題

本書の中で野口は産業構造の変革をサボったことが失敗の本質であることを、何度も繰り返し述べています。
古いビジネスモデルに執着して変革を先送りし続けたことが「平成の失敗」だったという結論です。


結局のところ、日本の製造業は、古いタイプの製造業の復活にこだわり続け、世界経済の構造変化に対応できなかったのです。

アベノミクスのような金融緩和と円安政策では「その場しのぎ」を続けるだけに終わります。
野口は異次元金融緩和がマネタリーベースを増やすだけでマネーストックを増やさなかったため、効果がなかったと断言しています。
円安もアベノミクス以前からの傾向であって、特に政策のおかげであると言えるものでもないとします。
企業利益や株価は上がったのですが、これは価格上昇に伴う帳簿上の変化にすぎず、
賃金は低下し消費も増えることはありませんでした。
「アベノミクスは、日本経済を持続的な成長経路に乗せることに失敗したのです」と野口は述べています。


最後の方で野口は日本銀行が行っている異次元の金融緩和の出口の話を始めます。
この恐ろしい議論は経済の現状を語る本でも避けられやすい話題です。
野口は金融緩和を停止できない理由について、「金利が暴騰してしまう危険」を挙げています。
最後にこの話を書いて終わりましょう。


アメリカの長期金利は2017年に2%で、現在は3%となっています。
しかし日本では0.05%あたりで推移しています。
2017年の12月29日の日本経済新聞電子版の記事を抜粋します。


2017年の長期金利の変動幅が異例の狭さとなっている。日銀が2016年9月から実施した長期金利を「ゼロ%程度」に誘導することを柱とした長短金利操作が通年で実施されたためだ。日銀の操作で投資家が金利の上下限を強く意識するようになった。加えて、大規模な国債買い入れの積み重ねで債券市場における日銀の存在感が強まり、金利の上昇圧力を抑えている。

この記事で書かれているように、日本銀行が長期金利の上昇を抑えているのです。
金融緩和を終了すると、抑えられていた低金利が高騰します。
そうなると非常に不都合なことが起きてしまうのです。
日銀は現在、400兆円を超える国債を保有しています。
長期金利が上昇した場合、これを売却すると損害が出るので保有し続けるとして、それでも含み損が出ます。
さらに償還までの残存期間や金利上昇幅によって金額が変わってくるのですが、金利上昇が2%であっても償還されるまでに数十兆円に及ぶ損害の可能性があると野口は述べます。
さらに金利上昇にともなって国債の利払い費が増加してしまうため、大変な損害額に達してしまうのです。


日本の財政は、これまでデフレと低金利によって利払い費を圧縮できたために、かろうじて存続しえました。金利が正常な値に戻れば、利払いだけで到底持たなくなるのです。

野口はこれを「悪夢のシナリオ」と言っています。
どうにも説明がわかりにくいと思いますが、このあたりの話は経済学者もあまり明確にしたくないのだと思います。
とりあえず長期金利の上昇は、ヘタをすると日本の財政が破綻する可能性すらある大ピンチなのだと思っていればいいと思います。


最後に野口が挙げている、高齢化によって問題となる日本の課題を3点書いておきます。
① 労働力不足
② 中国の成長への対処
③ ビジネスモデルを転換し新しい産業を生み出す
とりわけ日本の情報技術の弱さを野口は問題にしています。


個人的な見解になりますが、日本はもう経済的に衰退していくことが避けられないように思います。
労働力不足という状況にあって移民を受け入れることで対応するかどうかは、きちんとした議論もされていません。
ここでもまた日本人得意の「現実逃避」によって、問題の先送りを導くことになると思います。
中国に対しては感情的な態度が目につくので、これも冷静な判断ができるとは思えません。
ビジネスモデルの転換は今や時すでに遅しの感がある上に、今からでも転換が起こりそうな気配はほとんどありません。


今はまだ大衆感情に配慮して主語が「平成は」となっているのですが、
いずれは「日本はなぜ失敗したのか」という議論が必要になるでしょう。
それは「現実逃避」が不可能になった時にようやく訪れるので、その時にはもはや議論する意味も薄れてしまっているに違いありません。


2 Comment

SLファンさんへの返答

どうも、南井三鷹です。
SLファンさん、コメントをありがとうございます。

ドイツ経済は製造業でも好調なのはその通りで、鋭いご意見ですね。
経済の現状分析にはいろいろな見方があるわけですが、
野口にも偏りがあると僕も思います。
ドイツ経済はユーロ安の恩恵と、賃金水準が低いことにあるという説があるのですが、
野口は本書で日本の賃金上昇を訴えていたので、参考にできないのかもしれませんね。

日本は安定を好む国民性からして金融も難しいでしょうし、
内向き志向だけに情報技術も向いてないと思うんですよね。

野口氏

アベノミクスの失敗についてはその通りですが、産業構造についてはちょっと微妙ですね。
たとえばドイツは今でも製造業中心で好景気ですし、そもそも金融業は多くの雇用を生まないので、人口の少ない国向きです。

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