- 2019/04/02
- Category : 南井三鷹の俳句に言ってみた
「反伝統」という詐術
伝統をめぐる「対立」などあるのか
俳句界には「伝統」と「反伝統」という対立軸があるようです。
俳人の中には何かしらの了解があるのかもしれませんが、このような「対立図式」が外部の人間である僕には正しいとは思えません。
少し前のことになりますが、「俳句界」2019年1月号で「「ホトトギス」は永遠に不滅です」というタイトルの特集がありました。
この特集が本気なのか皮肉なのか、一見しただけではよくわかりませんが、「巻頭言」を寄せた筑紫磐井にとっては明らかに皮肉でした。
この筑紫の文章について少し語ってみたいと思います。
筑紫は「巻頭言」の最初で、鶴見大学の名誉教授だった山下一海の著作集の別巻にある文章を引用しています。
一人の研究者の見解だけを頼りに、俳諧の何たるかを「定義」しようとする筑紫の態度に違和感はあるのですが、
まずはその引用された山下の文章を見ていきます。
山下は「俳諧にとって伝統とは何か」という文章の中で、
俳諧にとって、伝統とは破壊するためのものであったのではなかろうか。しかし、大切なことは、伝統を破壊することによって新しい伝統を創開しているということである。
と述べているのですが、この文章を引用した筑紫は、
伝統墨守の俳人は驚愕するだろう。芭蕉・蕪村も現代俳句も通じて言えることは、「伝統ということを否定するところに俳諧の生命がある」「否定されるべきものと否定するものとの間の往復運動が、俳諧史を動かして行くエネルギーであった」ということになるのである。これは文学を越えた実証哲学的な視点であるように思う。
と書いています。
筑紫は山下の文章に伝統墨守の俳人が驚愕すると得意げですが
俳人でもない僕が驚愕したのは、筑紫当人が自分で引用した文章をちゃんと読んでいないということでした。
山下が「大切なことは」とご丁寧に強調までして、
「伝統を破壊する」ことの目的が「新しい伝統を創開」することにあるとしているにもかかわらず、
筑紫の文からは山下が強調した「新しい伝統」という視点が完全に欠落しているのです。
その結果、山下が単なる伝統破壊を推奨しているかのようにまとめられています。
「伝統ということを否定するところに俳諧の生命がある」という山下の文章を引用して、
筑紫は「現代俳句も通じて言える」と書いていますが、僕がこの山下の「俳諧にとって伝統とは何か」を読んだところ、
この箇所は「俳諧にとって」とあるように、完全に芭蕉について語る文の中に存在していたものです。
山下は現代俳句の話など全くしていないのですから、ここは筑紫が自分の見解を勝手に滑り込ませたものだと言えます。
山下は同じ文章で「芭蕉にとっての伝統は、「貞徳の涎」として、否定されるべきものとしてのみ存在した」と書いています。
つまり、山下が俳諧における伝統の破壊と言ったものは、「芭蕉が蕉風を創開した」ことについて述べたものなのです。
山下があくまで新たな伝統の「創開」を重視していることは、筑紫の引用文を見るだけでもわかることだと思います。
新たな伝統のために既存の伝統を破壊する行為は、単純に伝統に「対立」するものとして考えることはできません。
将来に伝統になりうるものでなくてはならないからです。
この筑紫の杜撰かつ意図的な「対立図式」が、彼自身の欲望を投影した結果であることは想像に難くありません。
要するに、アカデミックな世界ならば絶対に問題になるレベルの恣意的な読み換えだということです。
山下の「俳諧にとって伝統とは何か」をそのまま読めば、「伝統」がテーマであることは題名でも明らかです。
芭蕉の蕉風俳句がその後の伝統となったように、俳諧では伝統への反発が新たな伝統を生み出してきたという内容です。
冒頭にはこのような記述があります。
伝統への反発の強さが、新しい生命を生み出す活力となるのなら、伝統の存在もまた、歴史の革新に一つの寄与をなしているといえる。
つまり、伝統への反発もまた革新を生むエネルギーとして「歴史」に寄与する、ということです。
伝統への反発がその後の「歴史」へと寄与することが前提になっている話であることを見逃してしまうと、山下の意図がわからなくなります。
引用文にうまく身を隠したつもりなのかもしれませんが、俳諧とは伝統の破壊だ、などと一方向へと偏った意見を述べているのは筑紫であって、山下ではないのです。
伝統への反発が新たな伝統となるのですから、伝統と本質的に「対立」するものなど、山下はこれっぽっちも提示していないのです。
「俳諧にとって伝統とは何か」の最後の段落で、実は山下はこのように書いています。
俳諧の伝統否定・伝統反逆を説きながら、結局、私は俳諧の伝統を説いているわけである。
筑紫の引用に対する不誠実な姿勢
山下の著作集を読むと、筑紫の引用の仕方や情報の杜撰さがよくわかるので、細かいことを承知で少し書いておきます。
まず、筑紫は自分が引用した山下の文章について「最晩年にどのような意見を持っていたかがよく分かり」と書いているのですが、
僕が著作集で見たかぎりでは、筑紫が引用した文章のうち「俳諧にとって伝統とは何か」は1971年発表のものですし、
「季題の歴史」の方は1978年の文章で、山下の没年が2010年であることから、「最晩年」の意見だとするのは事実に反するように思います。
まだ言い足りないので書かせてもらいますが、
筑紫の引用文で出典が「季題観種々」となっているのは、著作集を見ると章についた見出しで、実際の文章名は「季題の歴史」でした。
著作集でその部分はこうなっています。
無季論
俳句に季題が必要であるという絶対的な理由は何もない。歴史的に必要とされてきたもので、それなりの理由はあるが、それは絶対的なものでも何でもない。あった方がよいという相対的な効用性が認められてきたにすぎない。
この記述を受けて筑紫は「伝統墨守の俳人は驚愕するだろう」と書いたわけですが、
こうしてみるとわかる通り、引用された文の前には「無季論」という小見出しがあるのです。
「無季論」と断っている文章で、山下は季題の相対性を語っているわけですから、これも伝統の否定とはだいぶ離れた文脈の文章だと感じました。
最後に「季題の意味の大きさを考えるべきだろう」とあるように、山下は季題の価値を否定しているわけではありません。
(季題と季語を一緒にしていいのかという問題はとりあえず置いておきます)
引用とは、自分の言いたいことを誰かに代わりに言わせるために、切り貼りして利用するものではありません。
コラージュで俳句を作るのとはわけが違うのです。
自分の意見を言う前に引用文の意図をきちんと説明した上で、それと異なる部分については自分の意見として書くのが作法というものです。
最近は役所の人間でも公文書を自己都合で書き換えるようなので、ファクトの尊重が疎かになりがちですが、
僕には筑紫の引用文の使い方が、筆者である山下の意図を軽視した非常に不誠実なものに思えました。
このような引用の使い方をする人の原稿は、俳句総合誌の編集者も特別入念にチェックするようにした方がいいと思います。
反伝統と言いたがる筑紫の「中二病」
筑紫は山下の論を足がかりに、芭蕉の「不易」と「流行」を「伝統」と「伝統を破壊すること」へと移しかえます。
こうした不易と流行への展開は、山下の文章をなぞったものなのですが、筑紫はそれについて一言も書かず、自分の説であるかのように書いています。
その理由はおそらく、書いた山下自身が「「不易」を伝統、「流行」を伝統否定と、簡単に移しかえてしまっていいわけではないが」という留保をつけているからだと思います。
筑紫はこの留保の文を読んでいるにもかかわらず、この「移しかえ」を平気で書いてしまうのです、
山下が留保をつけたように、俳句史に対する常識があれば、不易と流行を伝統と伝統破壊に移しかえるのは、あまりに無理があると思います。
芭蕉にとって不易と流行が調和されるべきものであるのは筑紫も書いている通りなのですが、
「伝統」と「伝統を破壊すること」という「対立図式」に調和などあろうはずがありません。
その意味で伝統と伝統破壊は不易と流行とは全く別のものです。
そもそも芭蕉の言う「流行」は、僕が『三冊子』や『去来抄』を読んだかぎりでは、
文学的な「誠」のために作風の変化を厭わないことを言ったものだと思います。
文学的必然が重要であることを述べた文脈であって、単に過去の伝統を破壊するという意味ではないと思います。
筑紫は俳句史などの本を書いているわりに、ずいぶんと基礎的なことを知らないのだと驚きました。
このあと、筑紫は「伝統と反伝統」という「対立図式」に則って文章を続けていくのですが、
明らかに自らの興味の対象である「反伝統」の定義に筆が費やされています。
筑紫の言う「反伝統」の定義で興味深いところは、「反伝統」がこれまでの前衛的な俳句をも乗り越えるものだとされていることです。
まず、「反伝統」に伝統があってはならない。「反伝統」は常に、「伝統」だけでなく、前の時代の「反伝統」も乗り越えなければならない。(中略)「反伝統」にあっては、中村草田男も金子兜太も永遠の価値であってはならない、乗り越えられるべき存在なのである。
ここで問題なのは、「乗り越える」という言葉が意味するものです。
山下にとって伝統の破壊は新たな伝統を「創開」するものでした。
しかし、筑紫はあくまで伝統を破壊することだけに「反伝統」の意義を見出しています。
当然筑紫の「乗り越える」という言葉の意味もこの文脈上で理解するほかありません。
つまり、「乗り越える」というのは「伝統の破壊」のこととなります。
筑紫は文の上では「伝統と反伝統の相克」と書いてはいますが、彼の「反伝統」の定義ではそのような「相克」などは起こりえません。
「反伝統」は「伝統」の自己保存の力に依存して、それをただ破壊することに勤しむだけで良いことになってしまうのです。
筑紫は「少し脱線してみる」と断りつつ、
「「伝統」と「反伝統」の対立は、俳人協会と現代俳句協会の対立と多くの人は見ている」として、
伝統と反伝統の「対立図式」を協会の対立という党派性の話にもっていきます。
そして、「脱線」とか言っていたはずなのに、そのまま結論を語るのです。
筑紫は「現代俳句の未来」を3点にしぼって書いているのですが、問題は最後にある③です。
③もうひとつ、「反伝統」が存在するためには「伝統」がはっきりと存在しなければならない。伝統は反伝統の永遠の敵である、しかし伝統なくして反伝統は存在し得ない。従って「ホトトギス」(汀子氏のいう伝統俳句)は永遠に不滅でなければならないのである。
この結論が筑紫が最初に言っていたことと全く違っていることが問題です。
伝統を乗り越えるのが「反伝統」のはずだったのに、乗り越えられたはずの伝統の存在が確固として続くのですから。
通常は乗り越えられたものならば、歴史的な存在として表舞台から退場するはずではないでしょうか。
蕉風俳句が存在するために貞門派や談林派との「共存」が必須だったでしょうか?
そんなはずはありません。
僕が指摘した通り、筑紫の「反伝統」はこの先の伝統になっていくことを意図しているわけではなく、
ホトトギス的な「伝統」を保存しつつ共存することを前提としています。
これでは伝統は他の人に任せて、自分たちは好き勝手なことをやりたいというだけのことではないでしょうか。
そんな「反伝統」とはアンチ巨人のような存在でしかありません。
大前提として伝統の存在に依存していながら、どうして伝統の本質的な破壊などが可能なのでしょうか。
率直な感想を述べれば、こんなものはアメリカの力に依存した生活を捨てる気もないのに、反米反米と騒ぐような「腰抜けの左翼ごっこ」みたいなものでしかありません。
(この「腰抜け左翼」がのちに依存性に居直って、ネトウヨ的「保守」へと転向するのです)
要するに筑紫の発想は、自民党と社会党の相互補完的な対立という、古めかしい55年体制の流用でしかないのです。
ご自分のお役人キャリアへのノスタルジーを俳句に持ち込んでいるのではないかと僕は疑います。
依存的「反伝統」の貧しさ
「豈」周辺にいる俳人には自己都合で手前勝手な論を平気で書く人が目立つというのが僕の印象ですが、
筑紫の論も引用の仕方は問題外として、内容も自己都合が優先されているために支離滅裂で、論理が一貫していません。
俳句総合誌では論理の妥当性よりも、党派性でモノを言う俳人の「声の大きさ」が重要になることが原因であるように思います。
そもそも筑紫は「反伝統」には伝統があってはいけない、と言い、金子兜太も乗り越えの対象としていました。
そうであるならば、「伝統」の定義は必然的に草田男から金子兜太、極端に言えば過去の俳人すべてに妥当しなければなりません。
それなのに、筑紫は途中から「伝統」を俳人協会へとすり替え、「ホトトギス」へと矮小化しています。
言っていることが違ってませんか、と聞いてみたいところです。
結局筑紫の頭の中では「伝統」とはホトトギスであり、俳人協会であり、最後には「有季定型」へと収斂されるのです。
有季定型が「伝統」であれば、無季俳句を作れば「反伝統」ということになってしまいます。
しかし、無季俳句を作った俳人など、それこそ過去にも現代にもいくらでもいるのではないでしょうか。
数多くの人がすでにやっていることで、何を破壊するというのでしょう。
このように仮想敵に徹底的に依存した批判の仕方がポストモダンの典型的なやり口であることを、僕はすでに何度も書いてきました。
近代批判が主な内容だったポストモダンは、批判からほとんど生産的な思想を生み出しませんでした。
もともとは左翼的な思想のはずが、日本ではオタク礼賛を経て保守化へと貢献するものになりました。
(この転換が政治的には「腰抜け左翼」が「保守」へと転向したことに対応します)
日本では批判としても機能せず、戦後的な「自虐」勢力を仮想敵として「真の歴史」を語るイケてる自賛勢力(歴史修正主義者)へと転換しました。
ネトウヨに代表される日本の保守勢力は政治的な体制派でありながら、朝日新聞や日教組などの左派勢力を巨大な敵として描くことで、
「権力に挑むマイノリティ」という「中二病」的な物語を生きている存在です。
筑紫の語る「反伝統」が勢力の衰えた「ホトトギス」を仮想敵としたものであるのはすでに確認した通りですが、
有季定型への反発や口語を用いる程度の形式的な差異だけで、俳句の「新しさ」を語ろうとする若手俳人も、
「伝統」を仮想敵としたネトウヨ的な「依存的アンチ」でしかないと言えます。
つまり、筑紫だけでなく、若手俳人を含めた伝統を批判する議論のあり方は、保守勢力の「中二病」的やり口を俳句でやっているだけのものでしかないのです。
ネトウヨの主勢力は30代から50代の年齢層で、これが若手俳人の年齢層と一致することも偶然ではないと思います。
(ネトウヨ的メンタリティのくせに反体制ぶった態度をしている俳人の表層的な人間性といったら、下手な化粧を見るようで気恥ずかしくなります)
要するに、筑紫の語る「伝統」も「反伝統」も伝統に依存している点では全く同じであり、「対立図式」になどなっていないのです。
これは日本の右派と左派が実は相互補完でしかないことと同じことです。
この図式を破棄しないかぎり、反伝統でも前衛でもないと僕は思います。
真に過去を乗り越える反伝統に身を投じる気のある人は、この両者をともに破壊して、新たな伝統の礎となるものを目指さなければならないのです。
結局は俳壇内の党派性しか中身がない
筑紫の論理が支離滅裂になるのは、俳句がどうあるべきかという話よりも、伝統と反伝統という党派性もしくは協会の対立という政治的な話を優先しているからだと思います。
もう俳句そのものは置き去りです。
どうにも役人は政治の話が好きなようですが、俳句を忘れて俳壇政治の話をする年寄りなど、それこそ有害でしかないと感じます。
筑紫のように党派性ばかりを語る人が出てきてしまうのは、
「俳句界」という雑誌が、ホトトギスは永遠に不滅、などという党派的な特集をしてしまうからです。
俳句総合誌の程度の低さは毎度指摘していることですが、特集を企画した編集の責任もあるように思います。
しかし、ホトトギスを持ち上げるようなタイトルでありながら、「巻頭言」にアンチのような人を起用するというセンスはよくわかりませんでした。
このような違和感については、「俳壇」2019年3月号に「俳壇時評」で中村雅樹も書いています。
中村は「俳句界」のこの特集を取り上げて、最後をこのように結んでいます。
繰り返し読むうちに、「『ホトトギス』は永遠に不滅です」は「ホトトギス」に対する皮肉のようにも響いてくるし、また誉め殺しのようにも聞こえてくるのである。
僕も同様の印象でした。
結局はホトトギスを貶したい特集であったのなら、筑紫の起用というのも納得できるところではあるわけです。
僕自身は俳句をやらないので、伝統にもホトトギスにも特別な関心はなく、単に不毛な日本的ポストモダンを援用する非論理的な人を批判したいだけなのですが、
ホトトギスを批判するのにこのような迂遠なやり方をして、筑紫の言う伝統と反伝統の相克が起こるわけがありません。
むしろ相克を避けて、相互補完的にうまく共存することを目的としていることが読み取れるのではないでしょうか。
余談ではあるのですが、『去来抄』に筑紫のいう「反伝統」的な態度を戒める文章を見つけることができます。
俳諧を以て文を書くは俳諧文なり。歌を詠むは俳諧歌なり。身に行はば俳諧の人なり。ただ、徒に見を高うし、古を破り、人に違ふを手柄顔に仇言いひちらしたる、いと見苦し。かくばかり器量自慢あらば、俳諧連歌の名目をからず、俳諧鉄砲となりとも、乱声となりとも、一家の風を立てらるべき事なり。
だいたいのところを訳します。
俳諧の心で文を書けば俳諧文、歌を詠めば俳諧歌、実践すれば俳諧の人となる。
ただ、いたずらに見識のある顔をして古来の伝統を破壊し、人と違うことを手柄として言いたがるのは、とても見苦しい。
そんなに才能を自慢するなら、俳諧連歌を名乗らず、俳諧鉄砲や乱声と名付けて自分の流派で立てばいい。
こういう内容です。
むやみに伝統を破壊することは「見苦し」とされていることに注意が必要です。
筑紫の定義した「反伝統」はただ伝統を破壊することしか語られていないので、このような見苦しい事態になりかねないのです。
芭蕉(去来)に戒められていることを安直に語っても、「反伝統」であれば許されるということなのでしょうか。
また、若手俳人がアンソロジーで好評を博したくらいで、個性的で「多様」だとか自慢気に言うのも、
ここで批判されていることと重なります。
自分一人で立つこともできずに、俳句の名を借りてしか活動できない人が、詩人ぶったり才人ぶったりするのがいかに滑稽であるか、芭蕉に立ち返って考えたら良いと思います。
これだけを取り上げても、「現代俳句」という言葉で語られる現状が、伝統とか反伝統とか言う以前に、総体としていかに堕落したものであるかがよくわかるのではないでしょうか。
ポストモダンという伝統
ここから僕自身の関心について書きます。
「反伝統」の定義がただ伝統を破壊することであるならば、
「反伝統」と伝統の喪失との区別がつかなくなるのではないでしょうか。
俳人たちがこの問題について考察を避けていると僕は感じています。
これは伝統派が考えるべきことではないので、筑紫のように「反伝統」に肩入れしたい人が考えるべき問題です。
季語は基本的に旧暦と都周辺地域に準拠して生まれたものです。
その点で、我々の実感だけでは補いきれない虚構の世界であることは、伝統派であっても頭から否定はしないでしょう。
季語とは俳人社会の中で構成されたもの、つまりは社会的な構成物なのです。
季語が必須のものではない、というのはそういうことです。
ただし、俳句がそのような所与の社会構成物を必要としてきたことを無視することはできないと思います。
ところで、人間に生来的であるはずの性差などを、文化的に構成されたジェンダーとして理解するのがポストモダン的な考え方(社会構成主義)でした。
このことをふまえると、自然を社会的構成物として捉える有季定型というあり方は、すでにポストモダンだと言えるわけです。
僕は正岡子規は近代主義者だと考えますが、高濱虚子は反動主義者もしくは日本的ポストモダニストだと考えます。
その意味ではホトトギスをただ「伝統」としてすましてしまうのも、考えが浅いと思っています。
柄谷行人によればポストモダンの等価物はすでに江戸時代にあるわけですから、
ポストモダン思想で語れる要素など俳句においては何も新しくはないのです。
ありきたりなことを言うようですが、むしろ先程招介したように、日本では芭蕉の方が今でも新しいと言えるのではないでしょうか。
筑紫磐井は若手アンソロジー『新撰21』(邑書林)の編集に深く関わった人なので、
このアンソロジー出身の若手俳人が筑紫と同様の偏狭な俳句観しか持っていないことに驚きはありません。
俳句総合誌などの出版マスコミに露出したがるベテランや中堅が、
俳句を深く理解するよりも自らの党派的な宣伝に精を出していることが、俳人全体のレベルを下げているように思います。
反伝統と伝統喪失の差異
話を戻しますが、単なる伝統破壊を「反伝統」と見なす偏狭な俳句観では、反伝統と伝統喪失の区別ができなくなります。
以前「俳句四季」2018年2月号で筑紫が福田若之のサブカル俳句を、筑紫があえて俳句の枠を破壊する試みとして褒めてしまったのも、
反伝統と伝統喪失の差異に注意を払っていないことに原因があるように思います。
季語が社会的構成物であっても、それが特定の情趣を喚起したり、時代を越えて生き続けたりする点で、
俳句の文学性に貢献するものであることは言うまでもありません。
無季俳句を作る場合、季語と同等の威力を持つ語(たとえば「戦争」など)を拝借するか、自らの詩的感性で同等のリアリティを担保する必要があるわけです。
そう考えると、無季俳句の方が明らかに表現としてのハードルが高いのです。
ハードルが高いということは、その俳人の能力の高さの証明にも貢献することになります。
さて、ここからが重要です。
筑紫の「反伝統」の定義がホトトギスに依存したアンチにしかなっていないことには、大きな理由があります。
「反伝統」が伝統喪失と区別のないものであれば、ただ伝統に無関心であるというだけでも──もっと言えば、単に不勉強な俳人でも──自らを「反伝統」と自称して、
ハードルの高い句を作る、いかにも詩的能力のある人物のように見せかけることが可能になるのです。
それだけではありません。
「不易」であることを伝統派に任せて、「反伝統」がただ過去のものを乗り越えるだけで良いということになると、
単に「現代」という時間の優位性において過去の人を乗り越えてもいいことになってしまいます。
わかりやすい例は時事ネタやサブカル俳句です。
原発を詠んでみたり、サブカルネタを入れてみるだけで、過去の俳人を乗り越えた気分になれます。
しかし、そのような文学的内実のない「風俗的な新しさ」だけでは、俳句がただ資本主義的な精神へと接近してしまうことになります。
より新しいもの新しいものへと関心が移るだけで精神的には後退するばかりという、あの現代思想界隈に蔓延している病気です。
また、「乗り越え」をメディア的を利用した傍観主義によって行うようになると、
高山れおなや関悦史のように低レベルのパロディやコラージュを用いて自身を隠そうとする「ANZEN俳句」が蔓延し、
社会から逃げた「メタ視点」というシェルターにいながら、自分をレベルの高い俳人に見せようとするペテンが肯定されてしまうのです。
この両名と筑紫は近い関係にあるだけに、彼らが「反伝統」という立場を自分たちの「シェルターの確保」に用いる動機が手に取るようにわかります。
しかし、本来は伝統にケンカを売るなら、安全な場所に隠れるのではなく、それなりのリスクや覚悟を持つ厳しさが必要です。
高山が朝日俳壇の選者になったことで浮かれている旧権威が大好きな「豈」の連中などに、本気の反伝統などあったものではありません。
所詮は伝統に依存したものを「反伝統」とする甘っちょろい人たちであることを、筑紫のこの文章が証明しています。
勘違いをしている若手俳人にも聞いていただきたいことがあります。
虚構的に成立している季語に実感が持てないことは、俳句をやらない僕でも想像に難くないのですが、
俳句が季語によって獲得した社会性や情趣を、単に消費文化や手前勝手な個人的イメージという「自分の実感」へと置き換えることは、
今は現代的でオッシャレに感じられても、文学的に後退しているために後で恥ずかしい作品となることを認識してほしいものです。
それは、俳句の主流といえる「個人の生活実感を俳句にする」を自意識レベルに下げただけのことです。
「個人の生活実感」ではなく「自分の」実感(自己投影)を求める動機から起こった現象なので、広く見れば「生活実感俳句」の下位ヴァージョンでしかありません。
僕は別に「生活実感俳句」が悪いとは思わないのですが、それ以下のものを作っている人が詩人顔をしたり、伝統派を批判したりするのは、
チャック全開で街を歩く人のように己のことがわかっていない人に見えてしまいます。
このようなことにならないためにも、芭蕉(去来)が言っているように、前提として「不易」があること、
文学的な「誠」が存在しているかどうかで、反伝統とただの伝統喪失とを区別していく必要があると思います。
もう一度言いますが、本来の反伝統はハードルの高いものです。
そのため、筑紫のようにただ伝統の破壊ばかりを重んじる態度は、反伝統そのものの堕落を招くことになります。
伝統を越える高い目標があるのならば、「詐術」を用いて自分の党派の勢力拡大のために反伝統のハードルを下げるのではなく、
次の伝統を築いていけるような理想を、誠実に語るべきではないでしょうか。
そうでないと、有季定型を勉強して俳句を作る胆力がない人が「反伝統」をやっている(要するに下部リーグ)というだけのことになるのがオチです。
まあ、ポストモダンは下部と上部の価値を転倒させるので、下部リーグでも上位のような顔ができるわけですけどね。
Tweet
8 Comment
ありがとうございました
- HOHさん
- (2019/04/21 09:56)
- [コメントを編集する]
南井さんが虚子が反動主義者あるいは日本的ポストモダニストだと仰る意味がとてもよく分かりました。
芭蕉を虚子を比べた場合じつは虚子の方がはるかに日本的なんですよね。
芭蕉の句は海外の詩人でも鑑賞可能ですが、虚子の句は「花鳥」という日本的なデータベースを参照にしている点で
そこまで普遍的な広がりを持ちえないと思います。
その意味では虚子句にまといつく「安心感」こそが俳句の普遍化を妨げている、という見方もできるのではないでしょうか。
次回の論考も楽しみにしています。これからも頑張って下さい。
HOHさんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/04/17 01:25)
- [コメントを編集する]
僕自身がまだ考えをまとめきれてないまま答えます。
ざっとした説明なので正確さに欠けることをご了承ください。
近代は「個人」を主体的に立ち上げた時代です。
個人の内面を探求することがロマン主義の課題でした。
日本の近代文学はヨーロッパのロマン主義の終わり頃に始まったため、反ロマン主義的なところがあると柄谷行人も指摘しています。
虚子の提唱した俳句は、個人の内面を掘り下げるどころか、
自我を薄めて「自然」を立ち上げることに重点がありました。
その意味では反ロマン主義的であり、近代への「反動」か、近代批判的な「ポストモダン」と考えるべきだと思っています。
子規と虚子の間には断絶(破壊)があります。
狭い俳句史ではなく、もっと広い文学史として考えると、
虚子の流派を単に「伝統」と言うだけでは見方が浅いように感じます。
ありがとうございます
- HOHさん
- (2019/04/14 12:32)
- [コメントを編集する]
「不易」を表現する際の表現の柔軟さを「流行」というのでは、というご指摘はその通りだと思いました。
どんなに崇高な詩的精神も読み手に届かなければ意味がないわけで、
その意味では「流行」は対話的な詩である俳句になくてはならない概念なのかもしれませんね。
ひとつだけお聞きしたいのですが、
「高濱虚子は反動主義者もしくは日本的ポストモダニスト」
というのはどういう意味なのでしょうか。
私は個人的に虚子(ホトトギス)は俳句を易行化した一種の擬似伝統だと考えているのですが、
もしかして南井さんも同じように考えていらっしゃるのかなと
ちょっと気になってしまったので……。
HOHさんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/04/11 23:36)
- [コメントを編集する]
興味深いコメントに感謝します。
コメント投稿に気づくのが遅れて申し訳ありません。
HOHさんの「反伝統」が絶えず「不易」に立ち戻ろうとする運動だという意見には共感します。
大乗仏教の龍樹がアビダルマの学説を否定したのが、釈迦の教えへと立ち戻る目的であったことを思い出しました。
ただ、僕は「流行」を季語に限定するつもりはありません。
「不易」を表現する際の表現の柔軟さを「流行」と呼んだように思います。
そういえば筑紫は「豈」で攝津幸彦記念賞の選考をしていたはずですが、
「反伝統」は過去の前衛を乗り越えなくてはならない、とか偉そうに言うなら、
攝津幸彦を「記念」などせずに乗り越えの対象にしないと筋が通らないと思います。
はじめまして
- HOHさん
- (2019/04/07 14:14)
- [コメントを編集する]
南井さんのブログいつも楽しく拝見しているのですが、今回の論考は特に触発されるところが多かったのでコメントさせて頂きます。
南井さんの今回の論考を読んで私なりに色々と考えてみたのですが、結局真の「反伝統」とは絶えず「不易」に立ち戻ろうとする運動そのものをいうのかなと思いました。
この場合「不易」とは個人の生活実感や文学的なお約束を離れたより普遍的な詩精神、という意味です。
そうした普遍的詩精神をあくまで季語という約束事の中で開花させようというのが芭蕉の「不易流行」なのではないでしょうか。
芭蕉の句がわかりやすさと奥深さを兼ね備えているのは「不易=普遍的詩精神」と「流行=社会的構成物としての季語」という相反する要素を調和させることができたからなのかもしれません。
だとするならば筑紫氏ら「伝統破壊派」は芭蕉の芸術における奇跡的な詩的調和の何たるかを知らない文学的ならず者と言えるかもしれませんね。
長々と失礼しました。応援しています。
花田心作さんへの返答
- 南井三鷹さん
- (2019/04/04 23:36)
- [コメントを編集する]
心作さん、コメントと小論ありがとうございます。
俳人は伝統や権威に対して強いジレンマを感じるものみたいですね。
それにしても最近は俳句以外のレベルの低い散文で自己アピールしたがる俳人が多くないですか?
そういう輩が俳人であることを特別視するのは、筋が通らないと思うんですよね。
無題
- 名乗る程の者ではないさん
- (2019/04/03 22:10)
- [コメントを編集する]
無題
- 名乗る程の者ではないさん
- (2019/04/02 23:52)
- [コメントを編集する]