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芸術疎外論【その1】

疎外されたクリエイター

ケース①
出番を待つ間、お笑い芸人のMはまた学生時代を思い出していた。
サークルの合宿で先輩から「何か面白いことをやれ!」と急に声をかけられて、とっさに思いついたギャグをした時のことだ。
彼自身は自分が何をやっているのかもよくわからなかったが、
その場にいる人々の笑い声が、空間を震わせるうねりとなり、
正面に立つ彼の全身に次から次へと降り注ぐのを感じていた。
ウケるということは幸福な空間づくりなのだと知った。
快進撃はお笑いの世界に足を踏み入れても続いた。
Mのギャグはお茶の間にも知られるようになった。
そうしてMは、そのギャグをしている瞬間のために生まれてきたかのように感じるようになった。
彼のギャグは彼の魂だった。
しかし、そこまでだった。


何年かすると、Mは新しいギャグも求められなくなっていた。
多くの人が見飽きているはずのギャグをテレビ局から要求された。
そのうちMは散発の笑いの間にあるソーシャルディスタンスが計測できるようになった。
もうやめたい、と思った。
もうやめたい、と事務所にも相談した。
まだ喜ぶお客がいる、と言われた。
そして今日もステージに立っている。
「あれ、お願いします」と言われるたびに、彼のギャグは彼のものでなくなる気がする。
Mはもう自分のギャグの奴隷だった。
いっそ現実の自分は死んでしまって、インターネット上にいる映像の自分が、勝手にギャグを繰り返していればいいのだ、と思った。


ケース②
Kは最近自分の描く線に失望していた。
あとになって、これは2度とは描けないぞ、と振り返りたくなるような線がなくなっていることにも気づいていた。
気持ちが高まるのを待つことなく、手が勝手に仕事を済ませることも多くなった。
思えば絵のうまさは編集者にすぐ認められたものだ。
ただ、絵はうまいが、描きたいものがわからない、と何度も言われた。
Kは好きな絵が描ければ楽しかったので、自分に求められているものがよくわからなかった。
それで編集者の要求をよく聞くようになった。
描いていて、これは違う、と思うこともあったが、
自分には描きたいものがないのだから従うしかない、と思った。
編集者が満足することは増えたが、Kはいつの間にか本当に描きたいものが自分でもわからなくなっていった。
有名漫画家の模倣をしていた頃が一番楽しかったような気もする。


そのうち漫画連載の仕事が舞い込んだ。
超人気探偵ロボアニメ作品のオリジナルエピソードの漫画化だった。
Kの仕事は編集者の要求する水準の作品を実現することだった。
Kは器用に仕事をこなした。
編集者も満足し、作品の評判も上々のまま連載を終えた。
次の作品は15匹の幼なじみと恋愛する人気ライトノベルの漫画化だった。
次の作品も異世界で缶コーヒーに転生したアニメのオリジナルエピソードだった。
Kは疲れていた。
体力的に疲れる仕事なのは知っていたが、精神的にここまで参るというのは知らなかった。
自分の作品をゼロから描いてみたかった。
同業者からは、力があるのにもったいない、と言われた。
その話を何度か編集者に持ちかけてみたが、返事はいつも「いいっすね。編集長に話しておきます」だった。
だんだん相手の困った顔が透けて見えるようになって、この何年かは言わなくなった。
近いうちにKは自分が仕上げた原稿に憎悪を抱く予感がしていた。
出版社からの帰り道、やけに車道が喧しい鉄橋の上で、なんで漫画家になったのかと答を探すでもなく考えた。
考えてはいけない、と思いながら、黒ずんで流れようとしない川をぼんやり眺めていた。




クリエイターという響きは魅力的です。
自分がいなければ生まれなかったものが立派な「作品」となり、外部の世界に物体として位置を得ることで、
自分が世界と関係を結んでいることを直接的に実感することができます。
精神的で形のないものを作品として「外化」する創作行為は、自分の内面性を社会へと問いかける行為でもあります。
そうなると、自分の「作品」が多くの人に受け容れられることは、自分の内面性が社会から承認を得たこととなんら変わりがない、
というナイーブな発想が生まれてきます。
こう短絡することが、社会的承認を得るために作品を発表し、「作者」として有名になりたいという欲望を掻き立てるのです。
もし成功して有名になれば、会ったこともない人から称賛を受けることだって不可能ではありません。
みんなが憧れる存在になれた自分は、特別ですぐれた存在だと感じることになるでしょう。


このように創作行為は、交換可能な賃金労働に比べて、自己承認の獲得と密接に結びついています。
そうなると、自分が何かを生み出したくて創作をしているのか、
自分が特別な存在であることを証明したくて創作をしているのか、
明確に線引きをすることが難しくなります。
すると、線引きを無用にする倒錯的な発想が信じられるようになっていきます。
つまり、良いものを生み出したから特別な存在なのではなく、特別な存在が生み出したから良いものだという倒錯です。
人気お笑い芸人や演劇人や大学のセンセイが書いた小説だからスバラシイという価値判断はその代表と言えるでしょう。
そんな価値判断が信じられるようになると、原初的で純粋な欲求で創作活動を始めたはずの人も、
いつしか社会的評価を得るために身を粉にすることになっていきます。
その努力は、たいてい注目を集めて客を増やしたり、売上を伸ばして業界に貢献することになるはずです。
こうなると自己承認というものは、自己の創作物の流通を増やすためのエサでしかなくなります。
要するに、クリエイターの自己承認の欲望こそが、資本主義というイデオロギーにいいように利用されてしまう原因なのです。


以前にこのブログで紹介したことがありますが、
大江健三郎は「自分の書いたものを検討する」かたちで小説を書いていくと、読者がいなくなる、と述べていました。
この発言の意図を整理すれば、不健全な時代においては、読者がいなくなる文学が健全だということです。
たとえば村上春樹は『騎士団長殺し』(2017年)が自己模倣だと多くの人に評されたものですが、
前作の評判が悪いと、ファンの求めるものを作って失地回復を図るのは、さすがは永遠のノーベル賞候補の発想です。
ただの「作家」はそのようなサービス業であっても構わないと思いますが、文学はそれを敢然と拒否すべきでしょう。
ひとつ言えることは、出版社はこういうサービス業的な堕落を歓迎します。
すぐれた作品が欲しいわけではなく、売上を稼ぐ作品が欲しいからです。
つまり作品を市場流通させることは作品の質の証明にはなりません。
売れるものだから売れているだけなのです。
資本主義は資本の自己増殖がすべてなので、最終的にトートロジーに突入するのが宿命です。


このような流通至上社会では、冒頭に示した2つのケースのように、自分の作品から「疎外」されてしまうクリエイターが数多く存在することになります。
自分の生み出すもので社会的承認を得ているうちは、幸福を感受できるでしょうが、
新たに創作した作品が社会の求めとズレていく場合は、自分自身の作品、いや自分自身を疎ましく感じざるをえなくなることもありえます。


実は社会的承認というものは、別の社会的承認に依存しています。
たとえば優秀な作品がある賞に選ばれて社会的承認を得る一方で、その賞も優秀な作品を選べるしっかりした評価機関だという社会的承認を得るのです。
日本の書籍には頻繁に誰かの推薦文がついたり、誰かの解説がついたりするので、
出版業界主導の相互承認メカニズムが形成されやすいという問題もあります。
このような相互承認の権威メカニズムが、消費者に過剰に信頼されるようになると、実力不在の人脈主義、縁故主義を蔓延させます。
(このような社会的承認が他の社会的承認に依存して成立するメカニズムが、
他の記号との差異にのみ依存したソシュール的な記号のあり方と相同的なのはもちろん偶然ではありません)
そうなると社会的承認を得た人がますます承認を獲得しやすくなり、社会的承認を得られない人はいつまでも承認を得るために酷使されていくのです。
このような事態が引き起こされる原因が、貨幣経済のメカニズムにあることは明白です。
価値判断のシステムが貨幣経済に依存しすぎると、作品というものが大衆の消費喚起とそれによる自己承認のためだけにあるようになります。
そんな資本主義社会が必然的に「疎外」という問題を引き起こすことを指摘したのがマルクスです。
今回の記事ではマルクスの疎外論を下敷きにして、創作に関する作品疎外の問題を考えていきたいと思っています。


商業クリエイターはすでに天才の仕事ではない

疎外の問題を考える前に、クリエイターに対するありがちな誤った認識を正しておきたいと思います。
成熟した大衆消費社会においては、芸術や文学などのジャンルで賞を受けたり、世間の話題になったりしても、その評価はあてにならない、ということです。
最新テクノロジーに根差した商品に関しては、機能的な優劣が明確化できますし、人間の共感から独立した評価がある程度確立していますが、
ポストモダン時代の創作表現は、現代芸術の場合に明らかなように、技術的な優劣が作品評価の基準にならないことが普通です。
文学賞に関しても、ハッキリ下手と言えるレベルの文章を、社会に知られた人気者が書いたということで選んでしまうまでになっています。
これはポストモダンという新たな価値観による評価なのではなく、経済的事情によるマーケティング操作でしかありません。
つまりは消費者が求めるであろうと想像できるものを評価し、売上につなげたいという目論見があるのです。


売れる商品は、それだけ他人に求められたものです。
最近ではYou Tube動画の再生回数が何万回とか、どれだけクリック数を集めたかが評価の文句になることも普通になりました。
メディアでどれだけ世間の注目を集めたか、ということに関しては、数値として即時的に計測が可能になっています。
そうなると、売る側からすれば作品そのものの評価はどうしても二次的になります。
作品の評価というのは、一定数に受容された後に判明するものなので、どうしても発表から評価までのタイムラグが生まれてしまい、
すぐに売上に反映されないからです。
それより話題の人物や著名人が作品を発表した方が、即時的に売上が期待できます。
こうして、即時的な利益回収をめざす業界は、話題性や著名性のある人の作品を次々に出していくことになります。
簡単に言えば、はじめから一定以上の消費者に支持されるとわかっているものを優先して売ることになるのです。


このような発想は当然ながら新人発掘にも影響します。
いったん身についた発想は、このやり方が正しいのだと思い込みたい自己弁護の心理も影響して、なかなか変わることはありません。
受け手が作品内容を評価する前に、わかりやすいネタで即時的な売上の上昇を図るのです。
たとえば作者のアイデンティティにまつわる話題性を宣伝文句として、見慣れない新人に興味を持ってもらおう、と考えます。
そうなると「誰が書いたか」ばかりが問題になり、作品はどこか遠くへと忘れられてしまいます。
また、新人という枠ですでによく知られている人を売り込むという手もしばしば見られます。
芥川賞など年に2回もあるので、何度か候補に上がったりすると、
過去最高の作品だったわけでもないのに、相手関係によって前回惜しかったから今回受賞させようとか、そういう運びになったりします。
つまり、その時に候補になった作品以外の作品評価で、賞が決まってしまうことになります。
一見作品を評価しているように見えて、実際は作品の評価は作者に従属しています。
なぜなら、出版社がお金を払う相手は、作品ではなくあくまで作者だからです。
わかりやすく言えば、彼ら出版人はすぐれた作品が欲しいわけではありません。
ファンが多い有名な人の原稿が欲しいだけなのです。


作品の力で評価されるわけではないという内情がハッキリしていくと、創作する側が作品を軽視するようになるのは当然です。
出版社と懇意になった書き手が、自分の書きたいことを追求するでもなく、
その依頼を果たすことに一生懸命になってしまうケースも目立ちます。
作品鑑賞をする力に乏しい大衆からの評価など儚いもので、
作品に力がないとわかると、知性的な読者から順番に離れていきます。
そうなると、全力の作品を世に出すのが怖くなるはずです。
処女作は華々しく世に出したものの、その後はどれだけ全力の著作を出さずに逃げ切るかに腐心する惨めな存在になってしまうのです。


この国で「テクスト」とか「作者の死」とかいうポストモダン的なあり方が実質的に機能したことがあったでしょうか。
僕には有効性を失った近代文学的な亡霊が、いまだに跋扈しているように見えています。
「芸術家は何よりも作品の完成を期さねばならぬ」と書いたのは芥川龍之介ですが、
その研究者である石割透が、『芥川龍之介随筆集』(2014年:岩波文庫)の解説で大正時代の随筆の役割についてこう書いています。


雑誌における随筆の位置は、主に小説家の場合、アンケート類、時には家族までも伴った顔写真、書簡、公表される日記と同様に、虚構という装置に隠れず、作者自身の生の姿をそこに直接に浮かび上がらせることにある。そのような随筆の性格ゆえに読者はそれを喜び、迎えた。それは小説は作者という個人の人生の様相の反映であるとする、〈個人としての作者〉という認識が強化され、読者の作品を読む行為にも、作品を通して作者の生きる風貌に接することができるという読者の認識が固定化した、自然主義以後の文学動向が齎した所産でもあった。(『芥川龍之介随筆集』岩波文庫:解説 石割透)

日常生活を題材にする随筆は、芸術を志す作家には余技ですが、
直接に「作者の生の姿」を受け止められる読者にとっては、作者「個人の人生」に近づくための手段でした。
石割はこれを自然主義と結びつけていますが、日本の自然主義(要するに私小説)が作者の身辺的スキャンダルを描いて人気を博したのは事実です。
近代文学が作者個人への興味で成立していた面があったことは否定できないと僕も思います。
随筆が気楽な読み物ということで読者に歓迎されたことにも、注意しておく必要があります。


さらに石割は、「女性読者層の急激な増加」を背景に随筆のニーズが増し、
そのことが「私小説・心境小説こそが純粋な芸術的小説とする見方」を生み出したと見ています。
教養を感じさせる軽い読み物が、明治大正の文学的教養の「解体」時期に好まれたという指摘も興味深く感じます。
石割は出版サイドが、「日常の自分たちと同じ地平を生きる作者」を求める読者の期待に応えて執筆依頼をしたのだろう、とも書いています。
つまり、ポストモダンと呼ばれた時代を待つことなく、書き手は読者の求めに応じて、
出版社に依頼された読み物を書くという「労働」を要求されていたわけです。
こうして作者は読者を満足させることで「人気作家」として世間的な承認を受けることとなり、
読者は「等身大」の作者を身近に感じることで、立派な人物と交わりを持った気分になり、
自分が社会的な承認を得たような感覚を抱きます。
そこに作者と読者の「自己承認をめぐる共犯関係」が成立するのです。
(このような現象は、握手会などに行く現代のアイドルオタクと似ている気がします)


立派な芸術的作品を書く人に、大衆が作品よりも随筆のような気楽な読み物を求めるのは、
彼らが作品を鑑賞することよりも、自己投影できる社会的に認められた人物を「趣味的」な世界において探していたからにほかなりません。
簡単に言えば、みんながチヤホヤする人物のマネをすれば、自分もこの社会(多分にムラ的な社会)に受容される、という幼児的な発想が背景にあるのです。
こうなると、作者は読者の手の届かない境地をめざすわけにはいかなくなります。
大衆消費社会が進めば進むほど、書き手は読者の要求に従属するようになり、
読者の要求を満たせることが、出版社から原稿を依頼される条件となっていきます。


大衆消費社会で「売れる=承認される」作品を創作するということは、自分の欲望を大衆たる読者の好みに合わせることができるか否かにかかっています。
そうなると、努力しなくても嗜好が大衆と合ってしまう凡庸な人が「才能」と呼ばれるようになります。
文学などの賞を受ける場合は、その賞の審査員もしくは後ろ盾になっている企業や社会組織の求めに応じる作品であるかどうかも重要です。
大衆性と権威によって評価される現代では、クリエイティブな天才はむしろ認められません。
求められるのは、大衆が欲望を投影できる「日常の自分たちと同じ地平を生きる作者」つまり「等身大の存在」だからです。
当然ながら社会が堕落していけば、精神的に堕落した「等身大の存在」がチヤホヤされるようになります。
そんな社会で認められるのは、堕落した大衆の欲望と合致する堕落した人間だけなのです。
社会の堕落が一定の閾値を超えてしまった場合、もはや「売れる」ことは堕落の証明となります。
僕自身が文筆活動をしながら、これっぽっちも出版マスコミと仕事をしたいと思わないのは、
20年以上前からこのような真実がわかっていたからです。
大衆は自身を肯定する者を求めるのです。
とりわけ本質的に不安症である人々が、先行きが暗い局面に陥ると、あられもなく自己肯定を求めるようになります。
肯定こそが正義であり、批判はすべて悪となります。
こうして批判を何でも誹謗中傷扱いする社会ができあがるのです。


真にすぐれた作品を求める社会があるとすれば、それはその社会が発展の道筋にあるということです。
みんなが昇っていく中にあって、自分が取り残されないためには、自分がすぐれたものを吸収するしかありません。
当然、未来志向が生まれてきます。
ここでは現在的な「等身大」というのは否定的な価値にしかなりません。
しかし、ある程度発展を遂げた社会では、もう切実に上昇を求める必要はありません。
そのままで十分に満足なのです。
現在の「等身大の存在」としての自分を見つめて、肯定していればいいのです。
こうしてナルシシズムが社会に蔓延し、「おごり」が生まれるようになります。
では、衰退の坂を転げ落ちている社会ではどうでしょう?
みんなが自らの転落に不安になり、下ばかりを見るようになると、現状維持が至上命題になってしまいます。
そうなると、まだ自分が大丈夫なのかを確認せずにはいられなくなります。
自分が大丈夫かどうかは、自分より下にどれだけの人が存在しているかで確認するほかありません。
しかし実際は転落しているわけですから、ここには詐術が必要になります。
彼らは堕落した自己を肯定するために、堕落を拒否したマジメな人間をより下位の存在と認定しようと頑張るのです。
ここまで落ちぶれると、理性的で問題意識のある人は敬遠され、現実を無視できる強固なナルシシズムを持つ人が優秀であるかのような倒錯が生まれます。
さて、そんな社会で評価されるクリエイターに才能が必要でしょうか。


結局、大衆消費社会はその社会の価値観を超えるクリエイターを受容することはできない、と僕は思います。
たとえば最近の小説家で、川端康成や三島由紀夫、安部公房、大江健三郎のように「文学」として西洋で評価される人は日本にはいません。
天才というのは才能ですので、出現比率は社会形態とは直接関係しないはずです。
どんな時代にも一定の比率で天才(と言われるにふさわしい人)は存在すると僕は思います。
つまり、社会が堕落するとクリエイターの質が低下するのは、才能の問題ではないのです。
「等身大の存在」が強く求められるようになると、大衆に受容される「才能」は大衆にとっての「親しみやすさ」になっていきます。
この社会より上位にあるはずの芸術が、「等身大」の大衆消費社会で受容されるということには根本的な矛盾があります。
だとすると、芸術が大衆的に受容される決め手は、作品の芸術的内容ではなく、大衆の価値判断を代行する機関による格付けとなることでしょう。
こうして芸術がただの権威主義(=賞レース)の世界へと堕落するのです。
その意味では、現行社会を超える価値を持つ真の芸術を創作するには、
逆説的ですが、消費社会に簡単に受容されるものであってはいけないのです。

衰退局面にある大衆消費社会に評価されたものは芸術ではない、というのが真理です。
商売事情があるから、誰も言おうとしないだけです。


嫌われる疎外論

大衆消費社会では誰しも自己承認を求めるため、芸術を生み出す余地が乏しくなります。
とりわけ衰退社会では、芸術的な作品を試みたとしても、社会的な承認を受ける要素は非芸術的な部分ばかりになります。
すると、クリエイターは作品作りをすればするほど、自分の中にある芸術性を「疎外」していくことになるのです。


今回、僕はこの問題をマルクス思想の「疎外論」の文脈に置いて考えたいと思っています。
「疎外論」とは何だろうか、と思う人もいると思います。
疎外はもともとはヘーゲルの『精神現象学』で使われていた言葉ですが、マルクスが労働疎外の文脈でその言葉を使ったことで知られています。
一般に「疎外論」とだけ言ったときは、たいていマルクスの疎外論のことを表すのが普通です。
のちに経緯を詳しく説明しますが、マルクスの疎外論は未熟な初期マルクスの思想であり、のちに放棄されたという立場と、
マルクス思想の全体に関連するテーマであるという立場とがあります。
僕は後者の立場なのですが、前者の立場と〈フランス現代思想〉には密接な関係性があります。
マルクスの疎外論を考えるときに避けて通れない著作は、最初期の『経済学・哲学草稿』です。
『経済学・哲学草稿』の第一稿には「疎外された労働」という章があり、その部分が初期疎外論の中核部分だと言うことができます。
そんなマルクスの『経済学・哲学草稿』を、現代の創作と市場経済の関係を考える上で参考にしてみたいのです。


あとで詳しく見ていくことになりますが、まずは大まかに「疎外」とは何かということについて書いておきます。
ヘーゲルにおける疎外とマルクスにおける疎外はまた別のものなのですが、
初期マルクスの考える疎外とは、労働者が作り出した生産物が、自分自身に所有されることなく他人に私的所有される商品となって、
労働者自身と対立する「よそよそしい」ものとなる現象のことです。
マルクスにとって生産活動とは収入を得るためだけではない社会性を帯びた全般的な活動です。
そこには社会的存在としての自己を形成する契機があるのですが、
生み出された生産物が営利を目的とするようになると、自分のものではなく他人のものになってしまいます。
他人のために労働をさせられている、という事態が搾取です。
他人のための労働ばかりさせられていると、自分自身が疎外されていくことになるのです。


前述したように、疎外論の評価には歴史的変遷があります。
疎外論が好んで語られる時代もあったようなのですが、
日本では廣松渉、フランスではアルチュセール以後、疎外論はあまり評判が良くありません。
僕がそれを知ったのは『マルクスの現在』(1999年)という本にある浅田彰と市田良彦との対談で、浅田が次のように言っていたからです。


『経済学・哲学草稿』というのは、文字通り草稿だから、未刊のままで、1932年にやっと刊行される。それについてマルクーゼが初期マルクス研究を書いたりする。だから、マルクスの疎外論は今世紀の西欧マルクス主義の中で復活するわけです。それに対して、1960年代に、ルイ・アルチュセールや廣松渉が、マルクスをそういう疎外論において読むことはマルクスをヘーゲル左派に引き戻してしまうことだ、むしろ、マルクスの固有の地平はそういう疎外論からの「切断」によって開かれたのだ、ということを強調するようになる。(柄谷行人、浅田彰、他『マルクスの現在』とっても便利出版部)

アルチュセールの「切断」とは、一般に「認識論的断絶」と呼ばれるものです。
浅田はその「切断」を「マルクスがマルクスになる瞬間」と表現して、アルチュセールの初期疎外論に対する否定的評価を「間違いではない」と支持します。
アルチュセールは、『ドイツ・イデオロギー』の書かれた1845〜46年を目安として、初期マルクスと後期マルクスを切断しました。
その分かれ目が根本的な違いであることを示すために、バシュラールの言葉を用いて「認識論的断絶」と言ったのです。
アルチュセールが初期マルクスと後期マルクスをハッキリ分けたのは、僕の乱暴な整理では、ヘーゲル的な弁証法に依存していた疎外論を排除し、
『資本論』をスピノザ的な視点から読み直すことを意図したからだと思います。
それが「科学的知」の試みであったことは、前回記事で取り上げた今村仁司が『アルチュセールの思想』(1975年)で指摘しています。


マルクスの科学的歴史概念は、先行するイデオロギー的歴史観のすべてと「認識論的断絶」をおこなうことによって成立した、とアルチュセールは考える。この科学的歴史の理論の成立とともに、マルクスの弁証法はヘーゲルの弁証法とは本質的に異なる独自の構成と原理をもつことになる。(今村仁司『アルチュセールの思想』講談社学術文庫)

今村は認識論的断絶以後のマルクスをスピノザというよりバシュラールの科学的認識と結びつけて語っていますが、
アルチュセールとスピノザの関係については、市田良彦『ルイ・アルチュセール』(2018年)などで確認できます。
ヘーゲルからスピノザへという転回は、大きく見ると〈フランス現代思想〉を貫く通奏低音と言ってもいいと思います。
簡単に図式化してしまいますが、ヘーゲル的弁証法とは内在する対立要素の克服によって発展を説明するやり方です。
ブルジョワとプロレタリアートの階級闘争という図式も、弁証法を前提としています。
しかし、スピノザ思想では変化の要因を常に外的な要素に求めます。
スピノザにおいては「外部」によってしか変化は引き起こされません。
そのため、内在する世界は一つのシステムとして、中にあるものは矛盾として捉えられず肯定されることになります。
ドゥルーズは哲学者の内的な領野をスピノザ的な発想でまとめ上げることを考えました。
(まあ、インターネット的に思えますけどね)
アルチュセールのマルクス読解が〈フランス現代思想〉に与えた影響は非常に大きく、
その近くにいた浅田彰や「外部」を強調した柄谷行人を通して、
僕は疎外論は現代思想的にはイケてない考えなのだと思いながら、自分としては疎外論に共感してきました。
疎外論自体を理解する前に、疎外論がなぜ重視されてこなかったのか、という歴史的経緯の話をするのは不適切かもしれないのですが、
マルクスの疎外論と〈フランス現代思想〉にはこのような深い関係があるので、先に書いておきたいと思います。


まず基本的な事実について確認しておきます。
マルクスの疎外論は『経済学・哲学草稿』という初期マルクスの原稿で目立って語られています。
浅田も言っているように、「草稿」と言われるだけあって、完成した書物とは言えない単なる構想ノートです。
読んでみるとわかるのですが、その原稿の大部分はアダム・スミスやジャン=バティスト・セイやデヴィッド・リカードなどの国民経済学者の著作からの引用がただ並んでいます。
マルクスのオリジナルテキストと呼べそうな部分は、第一草稿の四「疎外された労働」と第三草稿くらいです。
そのため、疎外論は初期マルクスがヘーゲル左派の影響を受けて書いた「過渡的な思想」でしかなく、のちの『資本論』へと至る過程で破棄されたという解釈に説得力が生まれたのです。


日本では廣松渉が1970年代に「物象化論」を掲げて、疎外論的な解釈を批判しました。
廣松の著書『マルクス主義の地平』(1969年)の第8章は、「「疎外論」から「物象化論」へ」と題されています。
廣松は『経済学・哲学草稿』で展開された疎外論が、フォイエルバッハの影響下にあった青年マルクスの若書きであり、
『ドイツ・イデオロギー』の時に自己批判をして、物象化の論理へと展開していると主張しています。
ここではさらに「物象化」とは何かという話が必要になるのですが、
物象化という言葉も使う人によって内実が違っていたりします。
なにしろマルクスは物象化という言葉を『資本論』で4回くらい使っているのですが、
その意味について説明した部分はないのです。
「物象(Sache)」という語はヘーゲルを参考にすると「物件」という意味になるので、物件化と訳した方がいい、という研究者もいます。
とりあえず、一般的な捉え方としては、人と人との社会的関係が、市場取引を前提にしたことで、物と物との関係として現れてしまう、
人格が物の属性としてしか扱われない状態のことを言う、と僕は理解しています。


廣松もアルチュセールと同じように、疎外論をヘーゲルに影響された初期マルクス思想として切り捨てようとしました。


『ドイツ・イデオロギー』では、自己疎外の論理そのものが批判(自己批判)されており、かつて『経哲手稿』でマルクスが自から主張していた命題、例えば「貨幣や賃労働、等々は人間の本質の外化である」といった命題が今や厳しく卻(しりぞ)けられ、疎外の論理に代って物象化の論理が登場する。(廣松渉『マルクス主義の地平』講談社学術文庫)

こうしてアルチュセールや廣松によって、マルクスの疎外論はヘーゲルやフォイエルバッハの影響を色濃く残した、思想家として独り立ちしていない時期の思想であり、
『資本論』のマルクスこそが真のマルクスである、ということになったのです。


疎外論批判に対する批判

その廣松渉と1973年から75年にかけて論争を繰り広げた岩淵慶一という学者がいます。
この論争に関しては長島功の『マルクス「資本論」の哲学』でまとめられていて、僕はそれを参考にしたのですが、
岩淵の批判はまさに廣松の言う『ドイツ・イデオロギー』においてマルクスが疎外論を自己批判した、というところにあります。
長島のジャッジは個人的にはかなりフェアなものだと感じたのですが、
廣松の主張をハッキリ「誤り」だと指摘しています。
「マルクスがかつての自らの疎外論を自己批判したということも事実に反する」とバッサリです。
たしかに廣松は初期マルクスの疎外論を強引にヘーゲルの文脈に押し込んで、ヘーゲル的だからダメだと言っているところがあります。
(長島は岩淵の主張も批判しているのですが、そこは割愛します)
しかし、僕が不思議なのは、疎外論がなぜこれほど悪者扱いされなければならなかったのか、ということです。


廣松に反論した岩淵慶一は『増補 マルクスの疎外論』(2007年)で、労働疎外の問題がいかに軽視されてきたかを語っています。
岩淵はそもそもマルクス主義が、ソ連のイデオロギーすなわちスターリン主義の圧倒的な影響下にあり、
それが疎外論を軽視してきたことを問題視します。
そうしたソビエトの反疎外論が西側陣営に波及した現象として、アルチュセールや廣松、それから今村仁司を挙げています。
どうやら共産主義を実現したはずのソビエトに労働疎外の問題があるはずはない、ということから、
疎外論が論点から外されたということがあったようなのですが、
岩淵の恨み節では廣松や今村がスターリン主義に影響されているかのように書かれています。
しかし、フランス構造主義的な反疎外論が「スターリン主義的パラダイムの支配」に影響されたものだ、とする岩淵の主張には、あまり説得力を感じませんでした。


アルチュセールの反疎外論に関しては、前述したように、ヘーゲルからスピノザへという思想の転回が背景にあったと思います。
これは大きく見るとドイツ思想からユダヤ思想への転換と考えることができます。
(その背後にはアメリカというヨーロッパの「外部」があるわけです)
廣松に関しては、僕の勉強が浅いこともあって、彼の物象化論重視がどこからきているのか確信が持てませんでした。
『マルクス主義の地平』や『青年マルクス論』(1971年)を読んだ印象では、廣松が初期疎外論を批判しているのは、私的所有を批判しているからではないか、と想像します。
『経済学・哲学草稿』における疎外論は、私的所有制度の批判と強く結びついています。
疎外とは、労働者の生産物が他人に所有されることから起こるものです。
マルクスはその原因を私的所有制度に結びつけました。
廣松はその論理展開を批判しています。


当時のマルクスとしては、私有財産を解明しようとしたのであるから、論理を逆転して、私有財産の方を原因とすることはできない。換言すれば、 “労働の疎外” ということを私有財産制の結果として説明するわけにはいかない。(廣松渉『マルクス主義の地平』)

私的所有の批判は必然的に共産主義社会という解決法を想起させます。
廣松はスターリン主義以降のマルクス主義として、私的所有に反対する共産主義国家の樹立という発想を解体したかったのではないでしょうか。
僕はむしろアルチュセールも廣松も、スターリン主義の克服という課題を背負っていたように思うのです。
ただ、彼らはスターリン主義の克服に、疎外論の再評価が必要だとは思わなかっただけなのです。


斎藤幸平の疎外論評価

話を現代に移しますが、以前にマイケル・ハートやマルクス・ガブリエルとの対談相手として紹介した斎藤幸平が、
疎外論をどう評価しているかをここで紹介しておきたいと思います。
斎藤幸平は若きマルクス研究者です。
『大洪水の前に』(2019年)は斎藤が最年少でドイッチャー記念賞を受けた論考ですが、ここで斎藤は疎外論について少し触れています。


『大洪水の前に』はどんな書物なのでしょうか。
マルクスが環境問題を考慮していないという従来の批判に対して、
新しく刊行された『マルクス・エンゲルス全集(MEGA)』による新資料に基づき、
マルクスの環境思想を「物質代謝(Stoffwechsel)」という概念を中心に説き明かしたものです。
斎藤はマルクスのエコロジー的側面に注目したわけですが、
従来の解釈に対する反論になるので、これまでの解釈を体系的な視点から読み直していきます。
そこから斎藤は、マルクス思想はエコロジーの視点がなくては成り立たない、というエコロジーを中心に置いた解釈を打ち出すのです。


しかし、斎藤の主張するマルクスのエコロジー的視点には、とりわけインパクトはありません。
多くの人がすでに知っていることに思えるからです。
自然の素材を利用して物を生産し、それを消費して自然へと返していくのが自然代謝の活動です。
その幸福なサイクルでは、人間は自然とともに持続的な社会を築いていけます。
しかし、資本主義はもっぱら資本の価値増殖をめざします。
市場での商品価値を高めて資本を蓄積するために、価値の抽象的次元が自然の素材的次元を無視することとなり、素材的世界を破壊する結果を導きます。
素材として利用された自然が素材的世界に戻ることがないため、正常な代謝は乱される一方です。
こうして環境に取り返しのつかないダメージが蓄積されていくのですが、
それでも資本家は、「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という未来に目を塞ぐ精神で逃げ切ろうとするのです。


このように資本主義が自然素材を身勝手に利用し、環境を破壊している、という認識は誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
もっと身近な問題にすれば、企業が自分たちの貯金(内部留保)を蓄積するために、安価に労働者=消費者を利用しつくし、
商品購入の基盤である労働者=消費者を破壊してデフレスパイラルから抜け出せない経済状況と重ねてもいいと思います。
このような資本のあり方を反映するように、最近では自然詩としての面が強かった俳句でも、言語の抽象性を価値として素材的対象を見失った作品が増えています。
そんなありふれた現在の状況を、実は19世紀のマルクスがすでに強い問題意識を持って予見していた、というのが斎藤の論考の眼目です。
「マルクスが」というところがミソなのです。
冷たい言い方をすれば、マルクス学者以外にとっては、それほど関心を集めるような内容ではないのです。


では、なぜ僕がここで斎藤の著書を取り上げたかと言うと、
マルクスをエコロジーのテーマで読み直すときに、斎藤が最初に取り上げているのが疎外論の再検討だったからです。
1843年にマルクスはパリに移住するのですが、そこで『経済学・哲学草稿』を含む『パリ・ノート』が書かれました。
斎藤はこのマルクスのエコロジーへの関心が、『経済学・哲学草稿』の第一草稿に見られる、人間と自然との本源的統一から始まっていると考えています。


封建制社会の人格的支配は、土地の疎遠な対立にもかかわらず、耕作者は依然として「和気あいあいとした側面」を有していることをマルクスが指摘しているのが重要なのだ。この関係の具体的規定性は様々であるが、しかし、その根本的な一般的規定性は、土地と耕作者の統一性である。(中略)直接的な人格的支配が資本の非人格的力が生産過程に貫徹することを妨げていたのであり、それゆえ、疎外も大きく抑制されていたのだ。(斎藤幸平『大洪水の前に』堀之内出版)

封建制社会の農業では、耕作者は農奴であって法的自由のない主人の所有物だったのですが、
主人による「人格的支配」であったことが、土地と耕作者の関係を密にして、疎外を抑制していたのです。


しかし、近代社会になると、土地が完全に商品化されて私的所有の対象となっていきます。
その過程でかつて土地と強固な結びつきを持っていた耕作者が、土地から切り離されたことで、
他人に自分の労働力を売る賃金労働者とならざるをえなくなるのです。
斎藤はマルクスが疎外の原因を、「人間と大地との本源的統一の解体」として把握したと述べています。
そして、資本主義が解体した生産に伴う人間と自然との親しい関係をアソシエーションに見出すのです。


マルクスは私的所有システムのもとでの自己疎外と対象剥奪の克服に向けた歴史的運動を人間と自然の真の宥和にむけた過程として描いている。そのための条件は、生産様式のラディカルな変容と私的所有システムの止揚である。(斎藤幸平『大洪水の前に』)

このように、斎藤は『経済学・哲学草稿』に「マルクスのエコロジカルな資本主義批判の始まり」を見出しています。
当然ながら斎藤は、アルチュセールや廣松の疎外論切り捨てについては、疎外論の過小評価だとしています。
(同時にヒューマニズム的な疎外論重視は、疎外論の過大評価だとも述べているのですが)


ここで僕が斎藤の考えに触れたのは、ただ最近の若いマルクス研究者の疎外論解釈への興味だったのですが、
こうして書いていると、逆に疎外論批判をした人たちの気持ちが少し分かるような気がしてしまいました。
マルクスの共産主義思想には、どうにも原始共同体へのノスタルジーが感じられます。
ここで斎藤が取り上げているように、疎外論の視点では、封建時代の「人格的支配」が資本主義より良かったかのようにも読めてしまいます。
封建的な人格的支配を肯定してしまうと、スターリン独裁のような個人崇拝を肯定する回路にもなりえます。
ヒューマニズム的な疎外論解釈が、反動的な思想と結びつくことを恐れるならば、
それを切り離して「科学的」な方向に行こうと考えるのもわからなくはないのです。
(もちろんマルクスは農奴制を含めた私的所有を批判しているのですが)
僕も今回『経済学・哲学草稿』を芸術や文学の分野において読み直す予定ですが、
芸術や文学に限定するなら、貴族文化をルーツとする古典との連続性は否定できないので、
封建的反動とある程度重なって見えるのは避けられないと思っています。
しかし、安易な反動性に陥ることがないように目配りをしながら論を進めようと思います。


斎藤と同じく『経済学・哲学草稿』の疎外論を、「物質代謝」の視点で捉えていくことを主張していたのが内田義彦です。
内田は斎藤ほど明確にエコロジーと関連づけてはいませんが、
『資本論の世界』(1966年)で、マルクスの「物質代謝」が自然破壊の問題に関係していることに触れています。


人間が自然をヽヽヽつくりかえるということが、いま、どう変質しているかということも、大気や東京湾の汚染を含めて、日本の大地がどうなっているかという意味で、大きな問題でありますけれども、ここでは人間という面だけについて申し上げることにいたします。(内田義彦『資本論の世界』岩波新書)

内田義彦の『資本論の世界』は初版が1966年となっているので、廣松以前のだいぶ古い本ですが、
「さいきんは、疎外論のマルクスがよく取り上げられます」という記述があり、当時は疎外論がブームであったと書かれています。


マルクスの疎外論の精神と概念が忘れられて、思想論ブームの形で、『経哲草稿』のマルクスだけが抽出されてしかもその人間学丶丶丶的な丶ヽ部分だけが、もっぱら思想史丶丶丶的に丶丶研究されているということも大きな問題です。(内田義彦『資本論の世界』)

内田はマルクスの疎外論をヒューマニズムとして取り上げることばかりが横行して、
それを『資本論』へと接続していく視点が欠けていることを嘆いています。
おそらく廣松渉の疎外論批判には、このような疎外論ブームが背景にあったのだろうと推測します。
僕自身は長島功がやっているように、疎外論を物象化論とつなげてマルクス思想を体系的に理解する視点に共感します。
その意味で疎外論か物象化論かという二択は意味がなく、疎外論を発展させると物象化論となり、
『経済学・哲学草稿』に見えるマルクスの問題意識は、『資本論』を読むことによってより深まるはずなのです。
ただ、現在の国際的な金融資本主義とドメスティックな消費資本主義の経済的アマルガム体制に、『資本論』で挑むことができるか、という点には大いに疑問があります。
さらに今回の記事との関係について言えば、人間の社会的関係の物象化が、人々の自己承認にどう影響するのか、ということをマルクスが十分に考察しているとは思えません。


その意味で、僕はマクロ的な視点を捨てて、資本主義体制の中でのクリエイターの疎外について考えたいと思っています。
中心にあるのは、資本主義とはただ「金儲け」を推奨するだけのシステムではないということです。
貨幣が価値増殖を図る過程で、市場において「価値」が生み出されるわけですが、
この「価値」が人々の自己承認と強い関わりを持っています。
市場価値(とそれに準ずる社会流通)によって自己承認を得ている間は、自己疎外の現実とは無縁です。
疎外の現実は「売れなくなった」つまり「注目を集められなくなった」時にやってくるのです。
それを恐れるあまり、ひたすら資本が要求する消費的欲望の喚起に応じる存在となっていくのです。
現代とは、消費的欲望の奴隷となった主体性なきクリエイターが、芸術や文学や思想に携わっているかの顔をしている哀れな時代なのです。
彼らは資本の活動に逆らう行為ができないように去勢されているのですが、それ以外の価値観を持ったことがないのをいいことに、
自分が資本の奴隷でしかないという事実から逃げ切れると思っています。
終身雇用の幻想にすがりつつ、自分がいつまでもメディアの生み出したディズニーリゾート的な虚構楽園に居続けられる選民だと思っているのです。


しかし、どんな人がディズニーリゾートで暮らし続けられるのでしょうか。
フルダイブを目指してインターネットに過剰接続したとしても、現実生活を捨て去ることは不可能です。
疎外感のある現実生活に耐えるために、ますます虚構楽園を崇拝するようになり、そのために現実生活を資本への貢物として捧げることになります。
資本の支配領域を拡大することに貢献する労働者を、「クリエイター」と呼ぶのは虚しいことです。
僕は資本の支配から「独立」を果たしてこそ、真に芸術や文学を語ることができると思っています。
なぜなら、芸術や文学、思想は資本の運動より上位にあるべきものだからです。


次回に何を書くかは書いてみないとわからないところがありますが、
【その2】ではヘーゲルからマルクスに至る疎外論を、自己承認という視点から、もう少し詳しく見ていこうかと思っています。


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