南井三鷹の文藝✖︎上等

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『相互批評の試み』 (ふらんす堂) 岸本 尚毅・宇井 十間 著

相互性に欠けた「相互批評」

本書は岸本尚毅と宇井十間という二人の俳人が、往復書簡の形式で俳句について語り合ったものです。
「相互批評」という言葉が意味するものがよくわからないので評価が難しいのですが、
そもそも「相互」というならば、その両者の実力にはある程度拮抗したものが必要となるのは言うまでもありません。
しかし、僕が読んだ印象では、宇井の持論というか個人的見解を岸本が深い洞察においてたしなめつつ受け止めるという展開で、
知性と俳句に対する深い理解に関して両者の実力の差がはっきり現れていたように感じます。


最初のテーマは「俳句の即物性について」というものでしたが、
宇井はその主題を語り出すときに佐藤鬼房の次の句をあげています。

 みちのくは底知れぬ国大熊生く

この句の「大熊」は「みちのく」の「底知れぬ」未知を表す象徴なので、観念的な存在として現れています。

その意味で岸本が「〈大熊生く〉の〈生く〉は即物的でないと思います」と返信したのは当然に思えます。
つまり、岸本はこの句を俳句の「即物性」の例として受け止めて、その不適切さを指摘しているわけですが、
注意して宇井の文章を読んでみると、この鬼房の句について「「物」に対するある種の懐疑の精神」があると述べているので、
彼はこの句を即物的でないものとして持ち出したようにも見えるのです。
実は僕も最初に読んだ時に岸本と同じ勘違いをしたので、このような両者の行き違いの原因は宇井の文章のわかりにくさにあると考えていますが、
このように即物性についての了解もないままに、それを否定する句を先に持ち出してしまうあたり、
宇井がいかに俳句における「通念」を否定することばかりに前のめりであるかが現れています。