南井三鷹の文藝✖︎上等

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批評を殺す〈内実に対するニヒリズム〉

〈内実に対するニヒリズム〉という日本の病理

僕はこのブログのトップページに「批評がすべて誹謗中傷扱いされる時代」と書いています。
批評の衰退はだいぶ前から起こっていることですが、SNSが一般化した時代になって、
作り手たちの「批評殺し」(というか批判殺し)の欲望がいよいよ前景化してきたと感じているからです。
もちろん、前々から創作者は批評家による批判をおもしろくないと思っていたと思います。
しかし、ある種の「必要悪」としてその存在を認めてきた部分があったと思います。


僕がこの現象を意識しはじめたのは、純文学のジャンルにおけるある出来事でした。
2006年冬号の「文藝」という雑誌で、高橋源一郎と保坂和志が対談をしたのですが、
「小説は小説家にしかわからない」と批評を否定する趣旨のやりとりがあったのです。
評論家の田中和生が「文学界」同年6月号でその態度に疑問を呈したのですが、
この論争は文壇全体を巻き込むほどに盛り上がることもなく終わったような気がします。
他者を重視するはずのポストモダン思想に前のめりだった人たちが、同質性に居直っている姿に僕はあきれたのですが、
このような同質集団に信を置く「日本人の本音」が露出したのが、日本型ポストモダンの成れの果てであったと今なら言うことができます。