南井三鷹の文藝✖︎上等

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現実逃避に俳句を利用するペテンの危険性

岐路に立つ俳句商業誌

俳句人口のうちのどれほどがシニア層になるのかわかりませんが、
世代ごとに俳句人口比率をわざわざ出さなくても、40代が「若手」と呼ばれる世界が高齢層に支えられていることは明白です。
つまり俳句界で商売をするには高齢層への目配りが必要になるのは今さら言うまでもないことです。
もっとマクロ的な話をすれば、テレビ番組の構成を見るまでもなく、日本全体においてマーケティングの関心が主に購買力のある高齢層になっています。
加えて出版という旧メディアに親しんでいるのは高齢層です。
このような事実を考えれば、俳句で商売を考えた場合、どうしたって高齢者を相手にしなければならないことになります。
出版市場に存在する俳句商業誌のほとんどが高齢層の購買によって支えられているのは間違いのない事実でしょう。


しかし、高齢の人は若い人より安定的な顧客とは言えません。
生物としての必然からより逃れ難いところにいるからです。
30年もすれば僕自身が立派な後期高齢者なのですから、僕より上の世代の方がどれだけ「現役」でいられるかは怪しいと言わざるをえません。
そうなると商売の安定化のためには若い顧客がある程度必要になるのですが、そこに一つ大きな問題が存在するのです。
高齢層と若い層とでは俳句に求めているものがかけ離れているということです。


ものすごく簡単に二分化してしまうと、
形式を固定化して日常実感や目に映った風景を俳句にすることが俳句だと考える高齢層(プレバト含む)と、
実感より詩的表現をめざすその裏で自己承認を求めて「作家」であろうとする若い層という感じでしょうか。
実感共有派と詩的ファッション派というふうにとりあえずはくくってみますが、
念のため僕はどっちも文学とは言いにくいと思っていることを表明しておきます。
ただ、どちらかというと詩的ファッション派には自らが高尚であると錯覚して偉そうにしている不愉快な俳人が多いとは思っています。


商業俳句誌の立場に立てば、現状のメイン購買層である高齢層を無視する紙面づくりはできません。
かといって、未来の読者にそっぽを向かれるのも困るので、詩的ファッション派の若い層にも目配りする必要があります。
その結果、「注目の若手」特集のようなものを企画して、ウケがいい人を適当に起用するということに落ち着きます。
「ウケがいい人」が誰に対してウケがいいのか、という問題もあるのですが、とりあえずそういうことをやっておけば、編集者としてはやることをやっている気分になれるわけです。
僕がここ数年の俳句商業誌を見たかぎりでは、このような発想を越えた内容があったようには思いません。