南井三鷹の文藝✖︎上等

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非在の芸術

現代アートへのレクイエム「番外編」

山本浩貴『現代美術史』は僕が「現代アートへのレクイエム」を執筆している時期に刊行されました。
読み始めた時には記事のほとんどが書き上がっていたので、この本の内容を少ししか反映させることができませんでした。
リレーショナルアートを取り上げられなかった心残りもあって、
「現代アートへのレクイエム」の付け足し「番外編」のようなスタンスでこの記事を書き始めたのですが、
だいぶ話が違う方に展開してしまったので、とりあえず書評に分類するのをやめました。
(この記事で「本書」と書かれているのは『現代美術史』のことです)
考えてみれば、僕は現代アートという制度はもちろん、作品の多くにも否定的です。
現代アートの価値を疑ったことのない人が書いたものをおもしろく読めるはずもなく、
どうしても批判的な筆致になってしまいます。


僕は現代アートが資本主義と同種の運動で成立していると主張しました。
外部にあるものを自己領域へと取り込んで自らを拡大していく運動です。
簡単に言うと、それまでアートだと見なされていなかった領域を、
「これはアートだ」と命名し認知させることで、それをアート領域へと回収し、結果としてアート領域を拡大していくことになる、ということです。
本書は完全にこの見方を裏付けています。
本書の第一章は1960年台から80年代にかけての現代美術史の概説なのですが、まさに章の名が「拡大された芸術の概念」となっています。
ここでは芸術がその外にある社会的事象を芸術として組み入れ、その概念を拡大していった歴史が示されています。
山本はロンドン芸術大学で研究をしていた人なので、アカデミックな視点で現代アートにアプローチしています。
専門領域の人が現代美術の歴史を芸術概念の拡大と捉えているのは興味深いことでした。
終章で山本は次のように述べています。


本書で見てきたように、とりわけ一九六〇年代以降の美術は、芸術の概念自体を拡張することによって、より直接的な仕方で、そしてより広い「社会」(より多くの人たち)に自らを接続することを志向してきました。(中略)事実、芸術は社会に影響を及ぼし(同時に影響を受けながら)、しばしばその変革の原動力となってきました。

自己領域の拡大を意図して、より多くの人に接続するという山本の説明は、
外部領域へと接続することでネットワークとして成立した自己領域を拡大する運動を示しています。
アートそのものが高額商品になるという事実がありながら、このような考察を資本主義の運動と結びつけようとしないのは知の堕落です。
そのくせ、山本は本書が「芸術と社会」というテーマで書かれている、と宣言しているのです。
大手出版社で本を出すからには、都合の悪いことは触れない「お約束」を共有し、安全領域で「知的ゲーム」に興じておくのが無難です。
商業出版の世界には反抗心や抵抗心の居場所はないのです。
反抗心のない人に、往々にして芸術とファッションの区別ができなかったりするのはよくあることです。