- 2021/01/03
- Category : 【評論】芸術疎外論
芸術疎外論【その4】後編
敵対性を前提とする一神教思想
ヘーゲルの共同体において、否定性を介した「反省」というプロセスが重要であることはすでに確認したとおりですが、
この否定性の導入のことをヘーゲルは「疎外(Entfremdung)」や「外化(Entäußerung)」という言葉で示しています。
法律用語のEntäußerungは財産などの「譲渡」を意味する語です。
ここから個人の意志を権力へと「委譲」する意味で用いられることもあるようです。
疎外の概念が登場するのは、古代ギリシア的な人倫共同体が没落して、ローマ帝国になぞらえられる「法支配」が成立するようになってからです。
そのプロセスに軽く触れておきます。
共同体は他の共同体を排除して独立を保ちます。
その戦いに備えて、共同体は自らの内部をワンチームにしようと「個体が個別化することを抑圧する」ことになります。
なぜなら、ポリス的な人倫共同体にも共同性と個別性の葛藤は存在するからです。
ヘーゲルがそれを男性原理と女性原理、年配者と若者の葛藤として描いたりするのも興味深いのですが、
祖国防衛戦争に突入すると、共同性の原理が強まって個別性を否定していく結果になります。
しかし、それが皮肉な結果を導きます。
祖国を守るのは若い個別の兵士たちです。
共同体の維持という仕事が、命を賭けた若い兵士の個別性をかえって輝かせることになってしまうのです。
こうして生き生きとした人倫的な共同性は没落し、個別的な個体が生き生きとする普遍的な共同体が成立します。
これを『精神現象学』では「法支配」の状態と呼んでいます。
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