南井三鷹の文藝✖︎上等

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『「社会正義」はいつも正しい』(早川書房)ヘレン・プラックローズ ジェームズ・リンゼイ 著/山形 浩生 森本 正史 訳

差別批判の裏側──〈社会正義〉の横暴

自由を信条とする「リベラリズム」が、近年になって危機に瀕しています。
リベラリズムの意味は多様でわかりにくいのですが、
異質な価値観の共存と個々人の自由を、理性的な議論によって認め合う態度、と理解しておけばいいでしょう。
liberalという語に「寛大な、度量が大きい」の意味があるように、
自由だけを尊重するのではなく、自由と平等の両立を模索していくのが、本来のリベラリズムです。
リベラリズムは左派的と見なされるので、右派の保守勢力がこの考え方を敵視するのはわかるのですが、
最近になって目立っているのは、リベラルに分類される〈社会正義〉(Social Justice)の活動が、人々の自由を害している状況です。
とりわけ、「表現の自由」が危機にさらされています。
左派の尊重する自由が、〈社会正義〉という左派勢力に脅かされる「ねじれ現象」は、どうして生まれてしまったのでしょうか。



『日本語と西欧語』(講談社学術文庫) 金谷 武洋 著

日本語に主語はない

本書は講談社メチエの『英語にも主語はなかった』(2004年)を原本として、加筆修正された文庫版です。
著者の金谷はカナダに移住して、モントリオール大学東アジア研究所の日本語学科で日本語教師を長年務めていました。
どうやら日本語学のアカデミズムの外部にいる人のようです。


金谷の論の骨子は「日本語には主語がない」ということにあります。
権威化した日本語文法では主語は存在することになっているので、金谷はそれに真っ向から反対しているわけですが、
ほとんど同調する研究者がいないらしく、彼に先行して「主語廃止論」を主張していた三上章という存在がしばしば取り上げられています。
三上は高校教師(どうも数学教師だったらしい)の立場で『現代語法序説』(1953年)を書いたのですが、
主流に反対する立場の上にアカデミズム外部の人間であったため、「黙殺」されたと金谷は述べています。
国語学界の排他的な「村の論理(差別体制)」がそこに見えると言うのです。



『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎) 野口 悠紀雄 著

バブル崩壊の後遺症

野口は頻繁に著書を出す売れっ子経済学者です。
僕も過去に野口の本を何冊か読んでいるのですが、それでも新刊が出ると内容を確認してしまいます。
経済という現在進行形の状況を分析する視点は数多くあり、どの見解が正しいのかは判断が難しいのですが、
野口の視点は確かなものがあるため、つい参考にしてしまうからだと思います。



『個人空間の誕生』 (ちくま学芸文庫) イーフー・トゥアン 著

実際の原題は「分節化世界と自己」

邦題は『個人空間の誕生』となっていますが、本書に「個人空間」の考察を期待して読んでみると、物足りなさが残りました。
そこで原題を見てみると、「Segmented Worlds and Self」とありますので、「分節化された世界と自己」の方が正確かもしれません。


著者のイーフー・トゥアン(段義孚)は天津生まれですが、アメリカの大学で学位を取得し、
人間主義的地理学の創建者とされているそうです。
西洋の異邦人であるトゥアンは、西洋を相対化する視点を持たざるを得なかったため、
本書の分析もどこか外から西洋を眺めているような冷静さ(というか冷淡さ)が感じられ、
考察が終始理知的で非常に明晰な論考になっています。


ところどころに中国人の空間意識についての考察があるのですが、実は僕はこちらの方が冴えたことを言っていると感じました。
考えてみれば、トゥアンは中国にとっても内なる異邦人として、広い視野から考察できる立場にあったのです。