南井三鷹の文藝✖︎上等

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〈俗流フランス現代思想〉という思想たりえない「まやかし」

日本の個の脆弱さを隠蔽する〈フランス現代思想〉

日本には共同体と個とのフェアなコミュニケーションが成立していない社会です。
そのため、共同体による個の切り捨て(デッドコミュニケーション)が、個を抑圧するかたち(村八分など)で作用してきました。
その原因にまでは僕の研究は行き届いていませんが、多くの識者が指摘しているように、おそらく日本が中華帝国の圧力下にありながら、適度に辺境にあったことが影響していると思います。
国内の内的関係以上に外圧との関係が優先されるお国柄であったため、 外的事情の前では内部の意見などたいした価値がなかったのでしょう。



『古代インド哲学史概説』 (佼成出版社) 金岡 秀友 著 【その1】

多と一を結びつけることが哲学の課題

本書は1979年に刊行された『インド哲学史概説』の新装改題版です。
岩波新書の赤松明彦『インド哲学10講』を読み始めたところ、恥ずかしながら内容についていけなかったため、まずは概論的な知識が必要だと痛感して、本書を先に読むことにしました。
金岡は古代インド文化の成立から順を追って丁寧にわかりやすく説明しているので、僕のような初学者でも困らずに読み進められました。


インドは現代でも多言語国家です。
地方が変わるとインド人同士でも言葉が通じないことがよくあるようです。
つまりは異質な「多」が集合してインドという「一」を構成しているわけですが、
外来のアーリヤ人が原住民を征服して成立したと見られる古代の時点から、このような異質性の混淆というのはインド的な現象で、
それが古代インド思想にも影を落としているように感じました。