南井三鷹の文藝✖︎上等

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「権威」という病

ネット民に支持を受けた人がネット批判をはじめた

最近インターネットで支持されてきた人がインターネットを批判する(もしくは悲観する)ことを目にするようになってきました。
わかりやすい例が「ゲンロン」を運営していた東浩紀です。
僕は同世代だったので初期のころから彼の活躍を知っているのですが、
1998年に『存在論的、郵便的』で注目を集めたあと、
網状言論などと言って出版よりネットでの言論活動を重視して、インターネット世代の代表としてオタクの肯定に勤しんでいました。
インターネット嫌いの僕は彼が世代の代表と思われることが本当に嫌でしたし、
そういう世の中から距離をとりたくて作品発表も断念していました。
しかし、最近の東はどうやらインターネットの未来を悲観するようになっているようです。
BLOGOSに掲載されている東のインタビューでは、ネットの古き良き時代を振り返る哀愁のオジさんという雰囲気で、このように述べています。


ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている。フェイクニュースとかポストトゥルースといわれていた現象で、これもいまはみなわかっていることだと思います。

このインタビューで東が「問題は「リアルタイム」が重視されすぎていることです」とか言うようになっているのが面白かったです。
(2003年に僕は、webを礼賛する東がデリダのリアルタイム批判を理解していないと批判していたのですけどね)
東はネットに夢を見たあとに「転向」して雑誌の形態へと戻り、「ゲンロン」を出版するようになりました。
ネットでしか見れないコンテンツで活動していた人が、あとになって出版に戻るのも考えが浅かったことの証明でしかありませんし、
「誤配」とか「切断の自由」とか言ってた人が、フェイクニュースの批判をするのも、
自分にその資格があるのか、しっかりとした反省をしてからにしてもらいたいものです。


彼の周辺人物も似たようなジレンマを抱えています。
初期インターネットにドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」を感じたと語っていた千葉雅也も、
最近ではインターネットを「民主主義幻想」として否定的に扱い、社会的地位を尊重しない人に対する苛立ちを隠しません。


率直に言うけど、若い人にとって僕は「目上の人間」なのであり、目上の人間が言うことに対する基本的尊重というものがなければ文化の歴史は崩壊する。そういうことがインターネットの民主主義幻想によってめちゃくちゃになってしまった。
午前0:55 · 2019年5月20日 · Twitter for iPhone

「目上の人間」の「基本的尊重」(まるで儒教道徳!)が「めちゃくちゃになってしまった」のは、インターネットのせいだと千葉が考えていることがわかります。
このように、インターネット肯定派であったはずの人々がインターネットに否定的な見解を示すように変わったのは興味深いことです。
僕自身はもともとインターネットには否定的ですし、SNSもAmazonレビューという手段を奪われたために仕方なく始めました。
その意味で彼らの方が僕の見解に近づいているのですが、ネット利用者を責めるだけの彼らの口ぶりからすると、
彼ら自身はどうして自分が「転向」するハメになったのか、あまり理解できていないように思います。
自分自身のやっていることを理解できていないから、のちに宗旨変えすることになるのです。


東や千葉という現代思想の人を取り上げたのは、それが現代思想の敗北を示していることを明らかにしたかったからです。
今回は彼らの「転向」もしくは「自己矛盾」から、インターネットをめぐる権威の問題を考えてみたいと思っています。