南井三鷹の文藝✖︎上等

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柄谷行人のポストモダン批判【その1】

利権を超えられなかった柄谷のポストモダン批判

僕はAmazonレビューで〈フランス現代思想〉を俗流化した日本のポストモダン受容を批判してきました。
それに対し、千葉雅也や石田英敬、清水高志などの〈フランス現代思想〉系の学者などからツイッターで悪口を言われたのですが、
最近柄谷行人の著書を読み直してみたところ、僕が批判したような内容はすでに90年代に柄谷行人がすでに指摘していたことと重なっていたことがわかりました。
千葉雅也は僕を「ポストモダン嫌い」として貶めることに必死でしたが、さて、彼は同じことを柄谷行人にも言えるのでしょうか。


僕が権威を後ろ盾にせずに自説を展開していたのをいいことに、自らの不勉強を棚に上げて悪口を言う人の頭の悪さには同情を禁じ得ませんが、
せっかくなので僕と柄谷の見解が近いことをここで示しておこうと思います。
(もちろん、僕と柄谷の見解には異なる部分もあります)
しかし、柄谷のポストモダン批判は驚くほどに現代思想界隈では共有されていないのですね。
これは柄谷自身がポストモダン思想の導入に関係したため、あとになってそれを批判する作業に勢いがなかったということもあるとは思いますが、
当の柄谷自身にポストモダン批判に対する熱意が足りなかったことが最大の要因だと思います。
その後に20年以上もポストモダン思想が隆盛をきわめたこと、そして現在に同様の批判をした僕がどのような立場にあるかを考えれば、当時の柄谷の批判に耳を傾ける人はそれほどいなかったことが想像できます。
実際、柄谷のポストモダン批判を受け継いだ人は皆無だと言って良いのではないでしょうか。



作品所有の欲望について

「基本的歌権の尊重」という批評殺し

まずは、あきれた話。
短歌ムック「ねむらない樹」というのを適当に眺めていたら、批評を殺したがっている若手歌人がいることを知りました。
「ニューウェーブ30年」というシンポジウムで人気歌人の穂村弘が語った話なのですが、
穂村は「基本的に若い人の方の考え方が正しいという発想」だと宣言しつつ、自分の批評が若手の寺井龍哉から「そういう批評はいまは無しなんですよ」と言われて困惑したというものです。


穂村はこの若手の言い分を、書かれた歌にはそれだけの理由があるから、最大限リスペクトして批評する必要がある、という「基本的歌権」みたいなものと理解しています。
僕はこの「基本的歌権」という穂村の言葉には皮肉があるように感じましたが、寺井自身はまったくそうは感じなかったようで、同誌の短歌時評でこう書いています。


それぞれの作品の背後には固有の必然性があり、評者の後追いのさかしらでは推しはかりきれないのものなのではないか、というのは、穂村が前出のシンポジウムで私との対話をもとに提示した「基本的歌権の尊重」なる新語の指す事態である。(原文ママ)


批評を殺す〈内実に対するニヒリズム〉

〈内実に対するニヒリズム〉という日本の病理

僕はこのブログのトップページに「批評がすべて誹謗中傷扱いされる時代」と書いています。
批評の衰退はだいぶ前から起こっていることですが、SNSが一般化した時代になって、
作り手たちの「批評殺し」(というか批判殺し)の欲望がいよいよ前景化してきたと感じているからです。
もちろん、前々から創作者は批評家による批判をおもしろくないと思っていたと思います。
しかし、ある種の「必要悪」としてその存在を認めてきた部分があったと思います。


僕がこの現象を意識しはじめたのは、純文学のジャンルにおけるある出来事でした。
2006年冬号の「文藝」という雑誌で、高橋源一郎と保坂和志が対談をしたのですが、
「小説は小説家にしかわからない」と批評を否定する趣旨のやりとりがあったのです。
評論家の田中和生が「文学界」同年6月号でその態度に疑問を呈したのですが、
この論争は文壇全体を巻き込むほどに盛り上がることもなく終わったような気がします。
他者を重視するはずのポストモダン思想に前のめりだった人たちが、同質性に居直っている姿に僕はあきれたのですが、
このような同質集団に信を置く「日本人の本音」が露出したのが、日本型ポストモダンの成れの果てであったと今なら言うことができます。



芸術で現代に挑むために

ポストモダンという「近代=世界大戦」批判の恣意性

1990年の冷戦構造崩壊以後、資本主義一強体制となってから、文学は世界的に衰退しています。
それは2016年のノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞したことでも明らかです。
日本ではいまだ「純文学」を扱う文芸誌が存在し続けてはいますが、吉本興業のお笑い芸人が芥川賞を受賞したことで、
出版社にとっては、文学そのものより文芸誌や芥川賞の生き残りの方が重要であることがハッキリしました。
社会性に欠けた研究者をスター扱いする思想界を含めて、出版業界を中心とした文学や思想の形骸化は決定的な局面にあると思います。



ソシュール言語学は西洋中心主義でしかない

〈フランス現代思想〉の入口を問い直す

構造主義、ポスト構造主義に代表される〈フランス現代思想〉は、その言語的なアプローチから「言語論的転回」と言われたりしますが、
その始まりはF・ソシュールの言語学にあります。
僕は前々からソシュール言語学に疑問を抱かない日本人は思考停止をしていると見なしているのですが、
ソシュール的な記号論や〈フランス現代思想〉を権威として疑わない人の多さに嫌気がさします。
ハッキリ言えば、オマエたちは西洋人ではないんだぞ、ということなのですが、
日本には西洋人に憧れる「ワナビー西洋人」が多いせいなのか、そのことを否認し続ける「自己逃避」を延々と続けています。
〈フランス現代思想〉はそのような「ワナビー西洋人」のさもしい自意識を満たすために日本で流通したので、
実際の〈フランス現代思想〉とは似ても似つかない〈俗流フランス現代思想〉となってしまいました。
〈俗流フランス現代思想〉はヨーロッパ近代を批判のターゲットとすることで、
その外部にある日本を相対的に持ち上げ、自分たちが「西洋から評価される日本」であるという幻想を振りまくことになりました。
(実際は日本も帝国主義に加担したので「ヨーロッパ近代」の外部にはいないのですが、
インチキ学者はこのことに触れずに自己欺瞞を貪っています)



〈俗流フランス現代思想〉という思想たりえない「まやかし」

日本の個の脆弱さを隠蔽する〈フランス現代思想〉

日本には共同体と個とのフェアなコミュニケーションが成立していない社会です。
そのため、共同体による個の切り捨て(デッドコミュニケーション)が、個を抑圧するかたち(村八分など)で作用してきました。
その原因にまでは僕の研究は行き届いていませんが、多くの識者が指摘しているように、おそらく日本が中華帝国の圧力下にありながら、適度に辺境にあったことが影響していると思います。
国内の内的関係以上に外圧との関係が優先されるお国柄であったため、 外的事情の前では内部の意見などたいした価値がなかったのでしょう。