南井三鷹の文藝✖︎上等

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アドルノの文化産業批判【前編】

文化産業とは何か

普通に現代思想の本を読んでいても、「文化産業」という言葉を目にすることは、珍しいのではないでしょうか。
初めて聞いた、という方もいると思います。
この言葉は、フランクフルト学派に属するマックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノの共著『啓蒙の弁証法』(1947年)のⅣ章「文化産業」で用いられたものです。
「文化産業」の章は大衆文化(消費文化)に対する本質的な批判になっているので、
消費資本主義に依存した私たちにとっては、かなり耳が痛い内容です。


ホルクハイマーとアドルノが「文化産業 Kulturindustrie」と呼んだものは、複製を基盤とした大衆消費文化の生産者(生産事業者)にあたります。
今で言えば、市場にある文化的な生産物のほとんどが文化産業の手によるものです。
そんな文化の担い手が、なぜ批判されなければならなかったのでしょうか。
簡単に答えるならば、経済システムによって流通する文化生産物は、文化である以上に「商品」でしかないからです。
文化産業には、大衆向け文化を通して人々から主体性を奪い、社会体制にとって都合の良い「労働者」を作り上げる役割があります。
つまり、文化的商品﹅﹅には労働者を支配する側面が隠されているのです。



集約−拡散ゲーム

集約と拡散のせめぎ合い

社会のかたちは時代ごとに移り変わっていきます。
右に寄ったと思えば、今度は左に寄ってみたり、またその逆になったり、なかなか同じかたちを維持し続けることができません。
そのような社会変化を大きく捉えれば、「集約」と「拡散」のせめぎ合い、というふうに整理できると僕は思っています。
「集約」とは、さまざまなものを一つにまとめることですが、
人々が集まって社会を形成することが、まずは社会集約の運動だと言えます。
その上でさらに集約の運動を推し進めると、中央集権的な管理へとたどり着くことになるでしょう。
集約は中央に管理された同一性を価値とする運動です。
「拡散」は、集まっていたものが散り散りになって拡がっていくことです。
集団が個へと分解するのは拡散運動ですし、社会形態としては権力分散型や地方自治にあたります。
拡散は多様性を価値とする個々の自立を価値とする運動です。
大雑把に言えば、国家権力を中心として人々をまとめ上げた「近代」は集約の時代でしたし、
自由市場を前提として脱中心的な欲望を称揚した「ポストモダン」は拡散の時代でした。



文学業界への提言

文芸誌という横並び文化

日本の「商業文芸誌」は、横並び文化で成り立ってきました。
そう、隣の人を見て自分のやることを決めるという、日本的なアレです。
気がつくと、みんなで同じことをやっている……。
これは新規参入がなく、周囲の「空気」から浮かなければ「安全」だという、自己保身的な社会にありがちな構造です。
どこでも同じニュースを流している地上波テレビ局が、その典型です。
商業文芸誌の代表は「文学界」「群像」「新潮」「文藝」「すばる」などですが、それぞれ出版社が違うはずなのに、登場する書き手は驚くほど変わりがありません。
他の文芸誌が評価しない作家を、ある文芸誌だけが掲載することにこだわった、という現象は見られないと思います。
どの雑誌も掲載する作品を作者﹅﹅によって決めていますし、
要求するレベルも全部同じだということです。
文芸誌は複数存在するように見えても、実際は一つのイデオロギーを共有した競争﹅﹅なき﹅﹅中央管理世界でしかないのです。



「資本教」についての覚書

価値とは交換であり、力とは数である

社会主義体制が崩壊した1990年代以降、資本主義が世界を支配しています。
それが唯一絶対の地位を得たことで、人々は消費資本主義がイデオロギーであると意識しなくなりました。
社会の評価基準を手中に収めた資本主義は、
現代の犯すべからざる神とまで言える段階に達しています。
もはや資本主義をイデオロギーだと主張するだけで、神が作った世界の安定を乱す「迷惑な人」と見なされてしまうのではないでしょうか。



「従属」を価値とするパロディ国家【後編】

対米従属から離脱する自主防衛

今の日本はアメリカに従う「対米従属体制」であり、他国に主権を譲り渡したパロディ国家です。
たしかに主要7か国の一員に名を連ねてはいますが、もはや日本に主要先進国の内実はありません。
では、欧米列強のパロディ──「贋物」の国家──を不本意とした場合、それを改める方法はあるのでしょうか。
当たり前の結論ですが、アメリカに従属することをやめるしかありません。
「対米従属体制」は、アメリカに国土防衛を任せていることで成立しています。
そのため、アメリカに頼らず、独力で防衛する力を持つことが、対米従属から抜け出る条件になります。
その現実化には、周辺国と平和的関係を築く努力が欠かせません。
つまり、対米従属から離脱する条件は、こうなります。

 ① 自主防衛力の強化
 ② 周辺国との平和的関係

この両輪のどちらが欠けてもいけないのです。



「従属」を価値とするパロディ国家【前編】

対米従属と強者依存

日本では経済繁栄を極めた80年代以降に、「文化のサブカル化」と「知性のオタク化」が進みました。
これまで僕は、このポストモダン現象を、主に消費経済との関係で考えてきましたが、
今回は政治的問題、とりわけ「対米従属体制」の絶対化という視点からアプローチしたいと思っています。
「対米従属体制」とは、国土防衛を日米安保(日米同盟)に依存するだけにとどまらず、日本の種々の政策決定をアメリカの都合に合わせて行う社会体制のことです。
簡単に言えば、今の日本はアメリカから言われたことに、できるかぎり従う「子分」でいることに自足﹅﹅した﹅﹅ということです。
実際、日本にはアメリカに従う以外の選択肢が、少数派の間でさえ社会的に共有されているとは言えません。
「対米従属体制」は80年代以降の「国是」であり、日本人は他の可能性を考えることをやめてしまいました。
それ以後の日本は、世界で経済競争に勝利するのではなく、世界経済の支配国(アメリカ)にただ認めて﹅﹅﹅もらう﹅﹅﹅ことを国際的﹅﹅﹅目標にしていったのです。



アニメ【推しの子】にハマってみた

「推し=母親」の二重性

今回は2023年4月〜6月期に放映されたアニメ『【推しの子】』(第一期)を取り上げて、「今」という時代を考えたいと思います。
この作品がヒットしたことは感覚でわかります。
僕は毎週楽しみました。
アニメ最終話以降の展開が気になるので、赤坂アカ・横槍メンゴの原作漫画を読みたい気持ちもあるのですが、
僕は純粋にアニメ作品として味わうことに決めました。
(無料で楽しめるから、という面も大きいですが)
なので、この記事のネタバレ情報は、ほぼアニメ化したところまでの内容です。



老いてなお「ニューウェーブ」の日常

ポップ文学が新しかった時代

1970年代に政治の季節が衰退し、80年代になるとバブル経済を背景として、消費文化が日本社会を牽引するようになりました。
音楽ジャンルでは、湿った「負の心情」に寄り添う歌謡曲や演歌より、
CMやドラマを彩る「軽快な」ポップ・ミュージックが主流になりました。
それと歩調を合わせるように、文学市場でも消費に適した「大衆的ポップ」な文学が求められていきます。
それまでの文学は、現実の重苦しい問題を意識させる堅苦しいものであったため、
「ポップ文学」は新しいスタイルだと信じられて、40年を経過した現在にまで至っています。
その結果、「ポップ文学」は、自覚なく同じ話を反復﹅﹅する﹅﹅、痴呆の初期症状のようなマンネリに陥っているのですが、
消費以上の文化的価値を持たない社会では、若さを失った老人たちがいつまでも「ポップ」に執着し続ける痛々しさを目にするほかありません。



イワン・カラマーゾフ「大審問官」の射程【後編】──あるいは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』について

享楽の管理

前回に引き続き『カラマーゾフの兄弟』に収められた劇詩「大審問官」を読んでいきます。
「大審問官」は、カラマーゾフ三兄弟の次男、イワンの悪魔的思考によって生み出された問題作です。
その舞台は16世紀のスペイン。
そこに不意にキリストが現れ、死者を生き返らせます。
大審問官はすぐさまキリストを捕らえさせ、牢の中で沈黙する相手に語りかけます。
キリストの教えは人間の「自由」を価値とするが、人間に「自由」は重荷でしかなく、むしろキリストが「奇蹟」によって人間を服従させるべきだった、
人間は個々の「自由」よりも、みんなで同じ対象に服従する方を望んでいる、
キリストがそれを実現しないので、大審問官が神の代理人として、「地上のパン」を与えて民衆を服従させ、彼らの望みを叶えている、
こうキリストを問い詰めながら、大審問官は自らの民衆支配を正当化するのです。



イワン・カラマーゾフ「大審問官」の射程【前編】

ドストエフスキーとサブカル的要素

ドストエフスキーには『罪と罰』(1866年)や『白痴』(1868年)『悪霊』(1871年)など代表作と呼べる長編がいくつもありますが、
その中でも『カラマーゾフの兄弟』(1880年)は最も宗教色が強く出ている小説です。
物語の軸は、カラマーゾフ家の「父殺し」──父フョードル・カラマーゾフ殺人事件と、その容疑者である長男ドミートリイ・カラマーゾフの裁判ですが、
そこに信仰と無神論という、宗教的なテーマが絡められた複雑な構造をしています。
フョードルの息子にはドミートリイ以外に、修道院に身を置く純真な三男のアリョーシャと、悪魔的知性の持ち主である次男のイワン、不敵な使用人の私生児スメルジャコフがいます。
(この記事では、人物名の日本語表記は新潮文庫の原卓也訳を用います)