南井三鷹の文藝✖︎上等

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作品所有の欲望について

「基本的歌権の尊重」という批評殺し

まずは、あきれた話。
短歌ムック「ねむらない樹」というのを適当に眺めていたら、批評を殺したがっている若手歌人がいることを知りました。
「ニューウェーブ30年」というシンポジウムで人気歌人の穂村弘が語った話なのですが、
穂村は「基本的に若い人の方の考え方が正しいという発想」だと宣言しつつ、自分の批評が若手の寺井龍哉から「そういう批評はいまは無しなんですよ」と言われて困惑したというものです。


穂村はこの若手の言い分を、書かれた歌にはそれだけの理由があるから、最大限リスペクトして批評する必要がある、という「基本的歌権」みたいなものと理解しています。
僕はこの「基本的歌権」という穂村の言葉には皮肉があるように感じましたが、寺井自身はまったくそうは感じなかったようで、同誌の短歌時評でこう書いています。


それぞれの作品の背後には固有の必然性があり、評者の後追いのさかしらでは推しはかりきれないのものなのではないか、というのは、穂村が前出のシンポジウムで私との対話をもとに提示した「基本的歌権の尊重」なる新語の指す事態である。(原文ママ)


『カントの「悪」論』(講談社学術文庫)中島 義道 著【その2】

定言命法と仮言命法

中島義道のカント読解の続きです。
前回はカント倫理学が「誠実性の原理」という理性のはたらきによって成立しているという中島の主張を確認しました。
しかし、自己愛に基づく「幸福の原理」の声の大きさの前に、理性の声はかき消されがちだとカントは言います。
カントは自己愛と理性を比べたときに、易きに流れる人間が自己愛という「悪」へと傾くことをよく自覚していました。
理性信仰に基づく倫理学をカント自身が「危うい立場」と語り、脆いものとして捉えているのはそのためなのですが、
中島は「カント倫理学の真価は、まさに倫理学の危うさ、道徳的善さの危うさ、人間存在の危うさをしっかり見据えているところにある」と言います。



『カントの「悪」論』(講談社学術文庫)中島 義道 著【その1】

カント倫理学の真髄は自己愛の排除にある

本書の原本は2011年に勁草書房から出版された『悪への自由』です。
カントが道徳的な善を「形式」に求めたために、倫理が「形式」にあるかのように解釈する俗説(ラカンの読みがこれにあたる)があるのですが、
これに対して中島はカント倫理学には「形式」の名のもとに「誠実性の原理」という実質が潜んでいることを明らかにしています。
専門的な哲学研究にとどまらない活躍をしている中島の書いたものだけあって、解説は平易な文で読みやすく書かれています。
(それでも第三章の議論は難しく、僕には追いかけるので精一杯でしたが)


中島は「形式」だけで倫理学が成り立つはずがない、と言います。
表面的には「形式」を強調する姿勢をとっていても、それを支えるのはカントの信念というべきもので、これを中島は「誠実性」という言葉で説明します。
カント倫理学を裏で支えているのは「誠実性の原理」なのです。
カントは「誠実性の原理」が生命や安全や快適などを求める「幸福の原理」よりも重要だと考えました。
この誠実性を支えているものが快や幸福ではなく、理性であるということが非常に重要です。



批評を殺す〈内実に対するニヒリズム〉

〈内実に対するニヒリズム〉という日本の病理

僕はこのブログのトップページに「批評がすべて誹謗中傷扱いされる時代」と書いています。
批評の衰退はだいぶ前から起こっていることですが、SNSが一般化した時代になって、
作り手たちの「批評殺し」(というか批判殺し)の欲望がいよいよ前景化してきたと感じているからです。
もちろん、前々から創作者は批評家による批判をおもしろくないと思っていたと思います。
しかし、ある種の「必要悪」としてその存在を認めてきた部分があったと思います。


僕がこの現象を意識しはじめたのは、純文学のジャンルにおけるある出来事でした。
2006年冬号の「文藝」という雑誌で、高橋源一郎と保坂和志が対談をしたのですが、
「小説は小説家にしかわからない」と批評を否定する趣旨のやりとりがあったのです。
評論家の田中和生が「文学界」同年6月号でその態度に疑問を呈したのですが、
この論争は文壇全体を巻き込むほどに盛り上がることもなく終わったような気がします。
他者を重視するはずのポストモダン思想に前のめりだった人たちが、同質性に居直っている姿に僕はあきれたのですが、
このような同質集団に信を置く「日本人の本音」が露出したのが、日本型ポストモダンの成れの果てであったと今なら言うことができます。



『個人空間の誕生』 (ちくま学芸文庫) イーフー・トゥアン 著

実際の原題は「分節化世界と自己」

邦題は『個人空間の誕生』となっていますが、本書に「個人空間」の考察を期待して読んでみると、物足りなさが残りました。
そこで原題を見てみると、「Segmented Worlds and Self」とありますので、「分節化された世界と自己」の方が正確かもしれません。


著者のイーフー・トゥアン(段義孚)は天津生まれですが、アメリカの大学で学位を取得し、
人間主義的地理学の創建者とされているそうです。
西洋の異邦人であるトゥアンは、西洋を相対化する視点を持たざるを得なかったため、
本書の分析もどこか外から西洋を眺めているような冷静さ(というか冷淡さ)が感じられ、
考察が終始理知的で非常に明晰な論考になっています。


ところどころに中国人の空間意識についての考察があるのですが、実は僕はこちらの方が冴えたことを言っていると感じました。
考えてみれば、トゥアンは中国にとっても内なる異邦人として、広い視野から考察できる立場にあったのです。



芸術で現代に挑むために

ポストモダンという「近代=世界大戦」批判の恣意性

1990年の冷戦構造崩壊以後、資本主義一強体制となってから、文学は世界的に衰退しています。
それは2016年のノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞したことでも明らかです。
日本ではいまだ「純文学」を扱う文芸誌が存在し続けてはいますが、吉本興業のお笑い芸人が芥川賞を受賞したことで、
出版社にとっては、文学そのものより文芸誌や芥川賞の生き残りの方が重要であることがハッキリしました。
社会性に欠けた研究者をスター扱いする思想界を含めて、出版業界を中心とした文学や思想の形骸化は決定的な局面にあると思います。



『大江健三郎 柄谷行人 全対話』 (講談社) 大江健三郎・柄谷行人 著

20年という歴史なき時間

ノーベル賞作家の大江健三郎と批評家の柄谷行人の対談本です。
本書には3回分の対話が収められていますが、実際にこれらの対話が行われたのは、
大江がノーベル文学賞を受賞した1994年前後に集中しています。
優に20年以上が経っているので、いまさら本にするのかという感じはありますが、
内容の古さを懸念した柄谷が「読み返してみると、別に古びた感じはしなかった」と書いているように、
あまり20年の時間を意識せずに読むことができました。


ただ、二人の対話を古く感じないことがいいことなのかは疑問が残るところです。
端的に文学が20年以上も停滞しているだけだとも言えるからです。
文学だけではありません。
政治にしても思想にしても、この20年の間に停滞を続けているというのが現状です。



「現在」に依存する「甘え」を許すな

無知な「若手」俳人のワガママはもうたくさんだ

50歳以下の人を「若手」と呼ぶのもどうかと思うのですが、
『新撰21』(邑書林)以後に頭角を現した若手俳人たちの多くには共通する「病理」が感じられます。
簡単に言えば、自分の作品を「俳句」であると言いたがるくせに、
俳句の歴史や詩型の制約からは自由にさせてくれ、というものです。
彼らは俳句の因習から自由な新しい俳人を気取っていますが、その実ただ俳句の資産にぶらさがってアンモラルなことを貪っているだけに終わっています。
大きなものには守られたいが、その中では好きにやりたい、という発想は、ガキっぽい「病理」とも言えるものなのですが、
商業主義に走る俳句出版界では彼らが新しいことをやっている若手であるかのように捉えています。
冷静に見れば堕落しただけの作品を、新しい潮流であるかのように扱い、
それを大御所たちが見て見ぬ振りをしているというのが現状です。
日本の内輪組織のアンモラルさについては、最近のスポーツ界ではかなり表面化しているのですが、
同じく因習を維持している伝統文学の世界では、一般人の注目が低いのをいいことに、同様の問題に対して批判精神が薄いように思います。



『相互批評の試み』 (ふらんす堂) 岸本 尚毅・宇井 十間 著

相互性に欠けた「相互批評」

本書は岸本尚毅と宇井十間という二人の俳人が、往復書簡の形式で俳句について語り合ったものです。
「相互批評」という言葉が意味するものがよくわからないので評価が難しいのですが、
そもそも「相互」というならば、その両者の実力にはある程度拮抗したものが必要となるのは言うまでもありません。
しかし、僕が読んだ印象では、宇井の持論というか個人的見解を岸本が深い洞察においてたしなめつつ受け止めるという展開で、
知性と俳句に対する深い理解に関して両者の実力の差がはっきり現れていたように感じます。



『古代インド哲学史概説』 (佼成出版社) 金岡 秀友 著 【その3】

六師外道と仏教の登場

紀元前6世紀になると、アーリヤ人が東へと移住するようになり、混血化が進んでアーリヤという実態は薄まっていきました。
それとともに、ブラフーマナ中心の貴族政治からクシャトリヤによる国王統治へと政治体制も変化しました。
小工業も発達し、のちにこれらの層が仏教を支持するようになるわけですが、
仏教に先行してまずは「六師外道」と呼ばれる多様な思想家が活躍をしました。